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あさかぜさんは見た

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01/26

Tue

2016

底辺の生活

仕事やめて文章一本でやろうと思ってます。
今年の目標というか、達成しなければいけないことなんだけれども、それ言ったら結構「大丈夫か?」みたいな目で見られる。
でもね、先ほどエンゲル係数上がっているというニュースもあったけど、どん底には変わりない。
社会の底辺にいる人間にとって、いつでもどうにでもなる労働力でいることは、これから先この社会で生きることに、さすがに危機感を覚えるのです。
どうせこのままいっても、消極的に人生が終わっていく。
たぶん餓死か病死か。
じゃあ積極的に生きるか死ぬか決めた方がいいじゃないですか。
先月から一ヶ月風邪を引きまして、今もまだ咳が取れない。
今までかかった治療費が二万。
これだけで生活がやばくなるレベル。
体を使って稼いでも、疲れて体調を崩してお金が飛ぶ。
本末転倒じゃないですか。
抜け出せなければ死ぬだけ。
単純明快すぎる理屈。
この先底辺にとっては危ない社会が待っている。
そして中流でいられるのも、あと少し。
だからもう時間がないのですよ。
気がつくのが遅いって?
まあまあ。ここはここなりに意識が何処に向かって日々を過ごさなければいけないのかがわかりましたよ。
金ですよ。
金。
つまり「どうやって生活していくか」です。
そのことしか考えられなくなったら文化的な生活も勉強も何もかもないわけです。
不安でそわそわして、毎日落ち着かなくて、疲れきっていて、残り少ないお金でお酒など煽って今日一日忘れるのが精一杯になるわけです。
そういう生活をする人間が、本当に「社会を構成する一員」になれますかね?
考えることも失って、ただの道具ですよ。
そんな人間が「命の価値」など見出すと思います? NOだと思いますね。
まあ、そんなことを学びましたね。
色々ありますが、とりあえずここらへんで。

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01/25

Mon

2016

描写が変わった

五年以上もの前の作品を手直ししていると、あらまあ、よくもこんなスカスカで・・・と、いちいち過去の自分に説教しながら手直しできる。
だいたい1.5倍くらいに膨らませることができるというか、いや、もっとね、ここをこうしたら情景豊かになるじゃんか・・・とやっていくと、それくらいの文量になってくるってわけで、視点がより細かくなってきたし、物を見る目が少し変わったような気がする。
昔「社会に出て色んな経験して」というおばあちゃんたちのお説教に物凄いイライラしていて、自分のことを認めてくれない、みたいな、そんな、勘違いした、今よりももっと痛々しい子だったの・・・悲しいね。うぅぅ・・・。
そして昔は意地悪なことが描けないでいたけど、今ならいくらでも描けるようになってきましたよ。
と、なると心も相当意地汚くなってきているというか、あいつを貶めてやるにはどうすればいいのかなんて邪悪なことも考えることがあったということなんだよね。
大人になるとは汚れていくことなのか。
色々な人と接していて「大人の対応」みたいなのをやられるんだけど、物凄い皮肉たっぷりだったり、逆に子供が大人の対応しようとして「慇懃無礼」になっていたりとか、あからさまに敵意を向けられたりとか、丁寧なふりしてさりげない意地悪をされたりとか、どうにもそういう経験をしてくると手口が少しずつ身にしみてきて、こうすればいいのかと学ぶわけですよね。
それで実際自分でも意地悪な事物凄いやっていたりとか、心汚かったりとかね。
風景に対する感覚も少しずつ変わってきていて、人って実はこういうこと感じているんだっていうのが、年を取るごとに変わってきていて、例えば街の中で「人工的な音を排除したらどうなるだろう」って考えて歩いたり、人間は人間の脳や感覚があるから今の世界があるわけだから、イルカとか他の動物だったらどうなるんだろう、とか。
感覚を変えるというよりも考え方を変えて改めて接しているってところなのでしょうか。
そうすると世の中が、接している世界が少しずつ違って見えてきて、特にこれから本腰入れて、全てのお仕事を捨てて文章一本でやろうと思っているわけなのですが、頭の中も別世界に少しずつトリップしてきていて、なんかいい感じに人間離れできそうです。
小説って、特に言葉のバランスゲームみたいなものだと思っていて、小さな石ころを積み上げて強固な塔を作るような作業だと考えているんです。
積み上げ方間違えるとちょっとしたことで壊れてしまうし、やっぱりそびえ立ってないと迫力がない。
だからしっかりと高く積み上げるためにも技術や感覚や視点が必要で、汚いものも綺麗なものも同じくらい知っていないとバランスが取れないんじゃないかとかね。
そのバランス感覚が汚いものを知ることによって、上手く取れるようになったのかも。
40歳手前にしてようやく一念発起。
全ての退路を断って、三月より始めていきます。
作品が表に出てくるのは夏ぐらいになるかと思いますが、待っててね。

※今年は骨を折るとかありませんよーにっ!(願

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01/07

Thu

2016

他の人は褒められて伸びているらしい

何か物事を目指すきっかけとなることに、誰かに「褒められた」とか「感謝された」とか「大いに頼られた」とかがよくあるエピソードとしてあげられる。
自分なんぞは、それは知らない人のエピソードであり、本やテレビの世界であったから、結局どこかで編集されていて美談に仕立てているのだろう、という思いがあってすんなりは受け付けていなかった。
何故なら、自分自身今の文章を書くという行為は好きだから始まったわけでもなく、褒められたからでもない。
ただ、自分がこれをしていないと心が壊れそうになったから始まったものだし、今でも自分の生命に対する最後の価値観を見出せるものとして続けている。
書いていないと落ち着かないのだ。
話を戻すが、最近様々な人と繋がっていくにつれ、一生懸命やって「また来てください。本当によかったです」と代理で出て受け持った人たちに感動されてこの道目指そうとか、小さな頃に先生に大いに褒められてクラス中の注目の的になり、その道を目指そうと決心したとか、そんな話をちらほら直接聞くようになると「あれ? やっぱり人って褒められて伸びるものなのか」と、自分とは真逆な、いやむしろ自分こそ信じられないような正反対方向から来ているのだと自覚せざるを得ない状態になっております。
っていうか、この年でようやくわかったの!? という驚きもあるのですが、本当に自分は負の力を原動力に進んでいるも同然で、だいたいケチョンケチョンに言われてきたし、この道をやるってこと自体も白い目で見られたりしてきたし、いいことあまりなかったなぁって振り返っても思います。
何度もやめようと思ったし、でも続けているのは先に書いた理由が大きい。
自分で自分の命に対する価値を完全に失ってしまう。
後は馬鹿にした人たちに対して出世して、じとっとした目で見つめてやろうと、まあその程度の理由です。
子供の頃は才能は無限大に広がっていきますから、どの分野で花開くかは大人にとってまったくわからないことです。
ですから子供に対してあれやこれやと大人の狭い見識で物事を言うことの馬鹿らしさっていうのをどこかで感じていないと、せっかくの才能の芽を摘んでしまうことにもなりかねない。
まず子供が一番最初に対峙する理不尽さって大人だと思うので、ここはじっくりと向き合わないと安易に物事を否定してしまうと一生の傷にもなりかねない。
子供って繊細ですからね。
ほとんどの人が褒められて伸びるエピソードを大事にしているし、本当にそういうエピソードを直接多数の人から聞くと、やっぱり人は基本褒めた方が断然いいに決まっている。
それでも私は態度は改めないっていうね。
何度も何度も書いておりますが、芸の道は命一つ使うってくらいじゃないとよほど才能のある人以外は人を不幸にしますからね。
基本は自分を取り囲む全てのものには自分が持っていない何かが存在するので、そういう細かなことに感動できる心の余裕というか豊かさを保っていると、本当に人生は素敵になっていきますし、まず悪いものに囲まれることがなくなってきます。
なかなか人を育てるということはできないのですが、少なくとも何かに常に感動できるような純粋な心を保てるようにはしたいですよね。
心が荒むとろくなこと考え出さないし、他者に攻撃的になったり、常にうじうじしたりするので。

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12/31

Thu

2015

世界は広い

世界には様々な可能性が溢れている。
まるでこの日本だけを見ると、周囲のせせこましい意見や価値観を聞いていると、住んでいる世界はなんと狭く息苦しく、そして生き辛い世界なのだろうと思ってしまう。
だけれどそんなことはないんだよ。
狭く息苦しく生き辛いのならば、その世界とは違った世界がまた外に溢れている。
絶望的な状況であろうと、人は人のために生きていけるし、人は人への希望を微かでも見せることが出来る。

例えばその希望を見せてくれた時、すぐに叶わないからと喚き散らさないことだ。
玩具を買ってくれないとすねる子供であるよりも、忍耐強い大人であれ。
何度打たれようと罵られようと、人の心へ真っ直ぐに心を傾けられる紳士淑女であれ。
大志とは、その忍耐強さと、そこで培われる思慮深さにこそ宿される。
そして大志こそ、人のためにあらんとする力強い魂こそ、人類の最高の創造物となって後世のために残されていくのだ。

花や星に人は例えられるが、人の命とは、人生を賭してでも何かを成し遂げようとする魂は、常に何者かの光となり、美しさとして映るだろう。
人は薄汚く、そして何者も無責任で調子がいい。
そうやって言葉を適度に適当に交わしながらも、無償の力を発揮しようとするものがいる。
この手の輩だけは、どんな力にも屈しないような強い魂を持つに相応しい人間だ。
人の弱さをよく知り、誰かのために膝を屈して話をすることのできる人間だ。

もっとよく知り、よく学び、よく目を開いていくんだ。
世界は広い。世界はあまりにも両極端のものを含んでいる。世界は無情で温情がある。
どちらに組するかは、何を訴えるかではないんだ。
何を創造していったかで見られる。
見て、認識して、生きているであろう、その「世界」に従順であってはならないのだ。
人は歪む。人は欲する。人は相反する。
だから「世界」は歪んでいくのだ。
だとしたら闘っていかなければいけない。
旗をふれ。自らの道を歩み、誇りを持ち、他人を尊ぶんだ。

世界は広く、美しく、そして光り輝いている。
例え闇が多く本当の空が見えなかったとしても、見えるではないか。
多くの闘っている魂が。
その魂への共感こそ、人を人たらしめる証なんだ。
だからこそ、人は人のために闘いたくなるんだ。
そんな世界こそ、美しい創造物で溢れかえるのだと信じている。

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12/23

Wed

2015

「相手の気持ち」をわかるには

最後にこの手の記事を書いたのは4年前ほどで、

「相手の気持ちを考えて」
「人の気持ちを考えろ」は「自分の気持ち」しか考えていない

そこから4年ほど経ち様々な経験をし、そして今言えることは、相手の気持ちをわかれっていうのは「無理」です。
無理です。本当に無理なんです。
本当に4年前にも書いたように、そんなこと言ってくるやつは「だいたい自分のことしか考えてない」がほとんどだと思います。
やっぱりね、どう言っても、どう何度もアプローチしても、どうしても自分のことしか考えない人っている。
全部自分主体で考えて、自分主体で人の話聞かないけど、色々自分が苦労しているから他人にも配慮しているんだっていうタイプがいまして、何人かと遭遇しましたが、やはりね、変えようとしても無理でした。
だから言うだけ無駄なんです。言ってわかるならやんわり言い続けますよね。

人って人の気持ちなんてわかることはできないんですが、察することはできる。
昔書いていた記事の内容とほとんど今考え方が変わっていないってことは、やはり人と人との理解を深めるには、まず「聞き出す」「よく聞く」という技術が必要だし、そして初めて相手の心が開いてきたところでようやく自分の話をしたり、自分の場合は自分の恥ずかしい部分も全部いざって時ひけらかして、相手の話を聞いたりとかします。
それで察するという部分に辿り着くにはどうすればいいかっていうと、自分の場合は相手の生い立ち、経歴、立場、職業柄の苦労や責任、友人関係、家族などなど、ほぼ探偵並に探りつつも色々考えを張り巡らさないと、なかなか見えてこない。
それだけ他人が人の心を察するって難しいことだし、自分はまがりなりしも文章を書いているので、どうやら同じ「職人タイプ」の人とは話が滅茶苦茶合うのがわかってきましたが、やはりジャンル違ったり立場違ったりすると、まったく通じなくなるし、嫌なタイプ、肌が合わないとかはあるので、そこは無理に察しようとしなくても攻撃的だったり、やたらネガティブな人への対応は「荒んでいるんだな。お気の毒に」と心で思うくらいで大丈夫だと思います。
どうしても避けられない人間関係ってあるし、そこで「相手の気持ちを考えろ」は常に「私の苦労を理解しなさい」とイコールなので、嘘でもやんわりと相手を少し高く自分を低く見積もって話をすればいいのです。
そんで「あー疲れた。やってらんない。こんな会社やめてやる」とかあとの準備を進めるのもいいし、どうやったら上手くいなせるかを考えて日々トライ&エラーを繰り返すのもいいだろうし、そういう面倒なやつを上手くいなせるようになると確実に世渡り上手になりますね。
あとね、自分の苦労話とか親しくもないのに勝手にしてくるやつも要注意ですよ。やたらと世間を狭く見ている人とかね。
俺これだけ苦労したんだ。お前も俺を見習って苦労しろ。世の中はこれだからな。そうだろ。みたいなニュアンス含んでくる場合が多いので、これも安易に反抗的な態度取ったら危ないです。
つまり同意しか求めていないので、それ以外はだいたいダメなんですよ。
そんな人の「人の気持ちわかれ」なんてたかが知れてるでしょ。
どうしてもわかりたい人は苦労してください。色々な事を知ってください。そして人に対して優しくあってくださいとしか言いようがなく、もはや「逆説の十か条」並に強い人であり続けることを意識的に続けなければいけません。

私自身は他人に対して「強くありなさい」と言うことはまったくできないし、強くあろうとすることはとても辛いことなので、おすすめしません。
人に対して優しくあろうとすることは、自分に対して厳しくあろうとする人なので。
他人にも甘い、自分にも甘い、となると「自分を認めて欲しい」「仲間が欲しい」と同意なので。
他人は他人。自分は自分。
それでも社会は人間の協力生活区域のようなものなので、自分のできる範囲で自分にできないことをやっている人を尊敬できれば、相手の気持ちを察することができずとも、妙な扱いは受けないと思いますし、友達もできやすいですよ。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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