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あさかぜさんは見た

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11/23

Sat

2024

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05/05

Thu

2016

何のためにそれを選び取るのか、という生き方。

昔、売文をしようと思っていた。
お金が欲しい、という考え方で小説もロクに読んでない、小学生の作文レベルで、そのようなことを考えていた。
色々経験して、本当に酷いことを言われまくって、現実見ろとかそういうレベルではなく人格まで否定されるようなレベルで言われて、それでここまで来た。
何のために自分はこのような道を選び取ってきたのか。
正社員にもならずバイトで繋ぎ、職歴はだいたい疑いの目で見られる。会社が潰れ、店が潰れ、派遣では切られ、職歴は結構「一身上の都合で退職」というレベルと変わらないくらいの移りよう。
日本ではだいたい、このような忠誠心が見当たらない職歴は真っ黒だと見られるし、人間性まで疑われるような勢いでまず見られる。
社会からも落ちこぼれ、付き合う女性には蔑まれ、自分が弱かったせいで類は友を呼び、本当に踏んだり蹴ったりな状態が続いたけれど、それも立派な財産として生かせる。
何事も芸の肥やし。文章を書き始めた二十代前半から、そう思って色々捨て身で経験してきた。
といっても、たいしたレベルじゃないかもしれないが、面白い人生にはなっている。
先が見えないと不安になるのは当たり前だろう。
「先」って何だろう。
希望じゃなくて今ある現実。
今時分がどういう状態で、どうなればいいのか。その手順をしっかり考えていく。
色々試すってことは悪いことじゃない。
やっぱり駄目だった。それでも回りまわって、これがいい、にぶち当たれば大収穫だ。
つまり何故駄目なのかのメカニズムをちゃんと自分で理解すれば、先は見えてくる。
やらない。思うだけ。すぐ諦める。愚痴を言う。口だけになってくる。面倒になってくる。
人間誰しも、こんな風になりがちだ。だから少しずつでも自分を進ませる自らの精神力が必要になってくる。

今自分は妙な気分になっている。
一つお話を書くごとに違う現実に来たのではないかという錯覚。
見えている現実空間はほんの少しだけ摩り替わって違う場所なんじゃないかという感覚。
確実に何かが起こっている。確実に変化が起きている。
そんな強い確信がある。
成功するって、やはり一人の力じゃどうにもならない。
様々な人たちの協力があって初めて成り立つんだと、しみじみ思う。
これからは余計に感じることになるだろう。
協力してくれる人の存在は、まさに天運とも言っていい。ただ努力しただけでは見つからないからとても難しい。
誰が一番協力してくれて、かつその協力者に対して惜しみない努力を捧げられるのか、が一番大事な事のように思う。
協力してくれました。ありがとうございました。おしまい。
そんな親御のような存在は社会において現れることは、まずない。
何かの利益を見出して協力してくれるんだ。
自分にその価値があるのかどうか。自分で証明しなければ、協力してくれようとする人も離れていく。
だから結局は誰かを助けるために自ずから努力をする、何事も積極的にぶち当たっていくという姿勢じゃないと駄目なのかもしれない。
世の中の欺瞞を見抜き、社会をたくましく生きていくには、とにかく自立していくしかない。
自立の辞書の意味はこうなる。
「他からの支配や助力を受けずに、存在すること。(デジタル大辞泉)」
これが難しい。
助力というのは社会で生きている限り、やはり何かの存在あっての自分となるから、問題は「支配」の部分だ。
自らが捉われているものから自分を解放できるのか、という問題がここにある。
そこに気がつけたなら、ようやく支配から逃れることができる。
そして自立できたのなら、あえて目の前に現れたものに乗ってみるっていう手もあるし、怪しい臭いがしたら引くという勇気も持てる。
自分の成すべき何かが見えていたら、簡単に見えてくるんだ。
そうして目的を果たしていく。
素敵な人生だと思えるようになる。
人も愛せるようになるさ。

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04/29

Fri

2016

今すぐやらないと手遅れになるのが才能の世界だと言いたい

「準備ができてから」とか「まだそういう段階じゃないし」とか、私にとってはわけのわからない理由を並べて、なかなかやろうとしない人がいる。
自分は小説も読んだことがなければ文章も覚えられないくらい駄目だったところから入ったので、当然小説好きや才能のある人間に比べれば断然才能はない。
 しかしそんな自分でも長くやっていればなんとかなるものだ。例えば最初から小説が好きだとか書いていたとかいう人に比べればスタート地点が圧倒的に違うのだから、やってる年季も圧倒的に違ってくる。当たり前のことなのだが、じゃあそいつらが同業のライバルとして立ちはだかる事態になった時、差をつけるのはセンスとか才能とかそういうのあるのかもしれないけれど、絶対的に経験の差だってことは言える。
 世の中「例外」というものを持ち出して、さも自分はその「例外」の一人なのだと錯覚して悠長に物事を進める人が後を絶たないのだけど、やれば自分は「例外」には入れないということに気がつく。
 世の中には幻想を抱かせる情報が沢山溢れているけれど、特に芸術の世界に入る人は自分は常に凡人なのだという意識をどこかに持っていかないと、死ぬハメになる。
 それでもやっぱり悠長に考えている人、何かと言い訳をして今すぐやらない人は夢を叶える気がないのだと思う。
 この世界において「準備が整う」なんてことは完璧にはありはしない。常に実践の中で鍛えるしかない。己を百戦錬磨の将なのだと心得て、常に勝負を挑んでいく姿勢の中でしか、自らの求めるものを見つけられない。
 夢を奪われても平気な人は、最初からその夢さえも幻想なんだ。人に何を言われようと、どんな悲劇が起ころうと、ある映画が言っていた、「希望だけは奪えない」ということ。その希望は他人から与えられるものじゃない。信念として自らの中に積み上げていくものなんだ。その自分で信じているものさえも跡形もなく崩していくのならば、それは夢でも希望でもない。妄想でしかない。
 妄想じゃ人生は歩めない。妄想じゃ生きてはいけない。妄想じゃ現実の前に傷ついて絶望するだけだ。
 何故妄想で終わらそうとするのか。何故行動で示そうとしないのか。自らの正しさを信じさせるには足跡でしか手段がない。この世の中には口だけ懸命に動かして言い訳がましいことを山ほど並べ立てる人間がほとんどの中、きちんと行動で示せる人間が少ない。
 だからこそ馬鹿にされようと罵られようと進むやつは、いつの時代も凄みがある。
 やれ、と言いたい。さもなくば差がつくぞ。差がつけば、君に用意される席はないのだ。その席をいつでも誰かに譲る気があるのなら、そこで不満だけのうのうと垂れていればいい。同じような友達ぐらいはできるだろう。
 頑張りたまえよ。いつ始めたって遅くはない。だけど、「例外」にはなれない。自分だけは情報の中で知っているような「例外」のような存在になれるのだとどこかで思っているのなら、今すぐ忘れた方がいい。
 何も持っていない。何一つ技術もない。そういうゼロ地点から自分を見直していくといい。得ることは沢山ある。
 今すぐ、勇気を持ってやり続けるといい。それでこそ進んでいける。

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04/23

Sat

2016

奇遇で成り立つ縁

ふとサイトで流れてきた広告。
Webを通じて地域を活性化したい!というコンセプトでセミナーをやるという。
その講演の中に「京都」というワードがあり、ふと行ってみたくなる。
どんなことをやってるんだ、と興味が湧いた。
ほとんど飛び込み参加。
よくわからないまま話だけ聞く。
その中に引っかかるものが四つのうち一つあり、立食の時間も設けられていたので、なんだかぼっち感満載でうろうろとしてみる。
名札を書けと手渡された紙には「作家 光野朝風」と書く。
もちろん会場にもペンネームで応募して入りましたよ。
米原という滋賀県に住んでいる方、風呂敷を広めたいという講演をしていて、私は紹介していた風呂敷の文様に心を奪われた。
こりゃーデジタル技術使えばいくらでもやりようがあるぞ。
そう思ったので、さっそく本人に立食の際に具体的な事を話す。
物凄い感動され、SNSのアカウントを交換。
その他にも、ちらっと話した隣に座った人、小さな広告企画会社の社長さん。
実は自分の家から遠くないところに会社を持っていて、その周辺地域の情報サイトを作っているという。
「え? そこ毎日のように通ってますよ!」という話をすると、奇遇ですね、と。
会社近くにある店の文章も書いたことがあるんです、と見せると、「いいですね!」と返事。
それで文章書かないかって話が舞い込んできている。
今まで何だったんだろうってくらい、次々とお話が舞い込んできていて、嬉しい悲鳴。
うーん。
ようやくここから出られそうな雰囲気というか、いきなり複数の仕事抱え込むことになり、なんということでしょう! っていうビフォーアフター。
色々やること増えてきて、追いつかないっていうね、とってもいいことだと思います。
5年以内に芥川賞取るって指きりげんまんした写真を既にSNSで拡散されているので、札幌から追い出されないように頑張らせていただきます。
しかし、こう見てみると今までの人生の出来事、全部繋がってるなーって怖いほど感じてる。

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04/20

Wed

2016

守るものがない人ほど自暴自棄になる

自分の経験上、過去の自分を考えても、それを考慮して他人を見ても、やはり何かを守ろうとするとか大事なものがない人というのは踏ん張ろうとしないし、すぐに自暴自棄になったりする。
ストレス耐性っていうのは努力でしか養えないし、いまだに何かあれば夜の街にふらふら出て酒びたりになる自分にとって、全部捨てるまでにはいかないけれど、やはり昔はすぐに諦めていたり、何かを捨てていたり。
今は抱えきれない分は捨てようと身の回りはシンプルでありたいなと考え出してきている。
あまり力がないから、やはり影響を及ぼせる範囲も決まっているのだ。

さて、守るものって何だろう。
普通の人は「面体」のようなものだろうか。
社会で生きていくために恥ずかしくないように、とか、会社を首にならないように、とかだろうか。
自分はもう恥も外聞もなくなってきているので、守るものといったら、作品の質、だろうか。
それを高めようとするということ。
最近は中国の友達も多くなってきたので、今まで生まれたことはなかった、日本語をきちんと学習しないと間違ったことを教えることになるんだよなーなどと考え出すようになってきた。
ロシアに旅行に行こうと持ち出されてもいるので、ロシア語を少しずつやりつつ、ロシア人から日本とは何かなんて聞かれた時、自分はどう答えるんだろう、とか。

大切なものがないってことは、それは自分すらも大事ではないってことだ。
結構極端ではなく例えば自分を傷つけているようで、他人を傷つけていることに気がつかないのだから、他人は自分とは関係ない、自分は自分だけのものだ、と確かにその通りなのだけど、よく考えてみたら、好きでいてくれる人も自分を傷つけることによって傷つけているという事実にも対し投げやりになってしまうのだから、そりゃあ自暴自棄になりやすくもなる。
守るって事は自分の足で立たなきゃいけない。
誰かが守ってくれるはずだとか、こうなるはずだとか、そういう淡い期待の中に人生を置いているうちは、どこかに依存的な考えが生まれてくる。
そうじゃなくて、こうしてやろう、という強い意志であり、意志に対する精神力であり、忍耐と闘争のたまものとして、ようやく「守ってやれる」ということができる。
人はそんなに多くのものを守れない。
だから分際を知らない者も必ず破滅する。
そして自分の能力の問題においては、何処にも他人はいない。自分一人しかいない。
自分一人守れて、ようやく次の人が守れるようになるんだ。
自暴自棄になりやすい人は、他人が好きでいてくれても疑いの目を向ける。
嘘なんじゃないかとか、裏切るんじゃないかとか、不安に苛まされている。
それは他人の言葉でどうにかなるもんじゃない。
どんな言葉をかけようと、その場しのぎの気休めにしかならない。
これは私の長年の経験からも言えるし、他人を必至に言葉で何とかしようと思ってもやはり駄目だった。
だから自分で何とかするしかないんだ。
強くなって、自分で自分に勝っていくしかない。
そうやって他人から与えられるのを待つ人間になるのではなく、自分から色々なものを与えられるような強い人間になっていくんだ。
期待は自己陶酔的なところがあって、希望は常に現実の先にある。
自己陶酔は身の破滅を導きやすいし、努力のない希望は絶望を導く。

守るものはどうやって探すか。
今までずっと内向きだったものを外に向けてみる。
自分から与えていこうと試みていくことで、発想が自分から他者に向かう。
この他者感覚こそ私にとっては解決へのヒントを与えてくれた。
大事な事は常に現実と自らの心の内との対話にこそ生まれてくる。

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04/19

Tue

2016

色々あったことを箇条書き

10年前に行ったゴールデン街のバーボンバー。
まだ同じマスターがいて話に花が咲いた。
棚が足りなくなってきていて、酒を何処に置こうか、という話を10年前もしていて、地下にあるひっそりとしたバーのカウンターは今回酒のグラスを置くぐらいの幅しか残っていなかった。
当時より二瓶ほどせり出してきていた。

東京。
10年前、人の怖い自分にとって違和感しかない街だったし、今でも東京の人たちの妙な冷たさ、それが例え優しさの裏返しだとしても、どうにもなぁと思うが、人の心との距離がわかった今では落とし所が見えやすくなってきている。
ただこの街に数年居なければいけないと痛感したことは、優れた芸術作品が東京止まりで終わってしまうことがあまりに多すぎる。
札幌まで来ない。それが痛い。
後学のためにも、特に海外の優れたアーティストや東京止まりの優れた美術品は片っ端から見ておかなければいけないと痛感させられた。
これからの東京に可能性はない。
何故なら、あそこも田舎者の感性が強く幅を利かせている街で、例え最先端と言ってもそれは流されやすい人たちが作り上げた一抹の泡に過ぎないということ。物凄いものがあるのに、それは数日で終わり、日本人のものがロングランになる。それは日本人の感性そのものが隔たっているからに他ならない。いや、まだ日本に来るだけ可能性はあるのかもしれない。
人が集まるから安心感が強いのだろう。安心感の中に閉塞していく芸術性。根本から勘違いしている。
その連帯感こそ、地獄への切符。

結城市。
ここには織物がある。
ホテルに滞在し、市内を見回る時間がなく、袋田の滝など茨城県内をあっちへいったりこっちへいったりしていたものだから今度ゆっくり見て回りたい。
都市圏のように電車が走っているかと言ったら11時過ぎで終電。
タクシーを使ってしまったことは痛い。
宇都宮線のみ、遅くまでやっている。
電光掲示板を見て故障しているのかと錯覚したくらい。

今回東京に行くのに成田に降りた。
成田には海外に行くときにしか利用しなかったから地元観光。
AKIRAの金田のバイクの成田山のステッカー、ようやくこの年で現地見て「ああー」って思った。
境内の中、急な階段を上った先に巨大な香炉。
いっぱい線香を入れてやったら帰り際、白人が煙で燻されていた。お気の毒に。ごめんなさい。私のせいです。
お堂の中。ひんやりしている。
京都に居た、公家の血を持ったあの子によく似た、肩下少しまで伸びた、少しカールがかった髪の女性。
食い入るように後姿を見つめてしまった。
当時も信心深かったはずだから、もしかしたらって思うほどだったけど、恨まれているから、ごめん、と謝りながら。
関係してきた人の中で唯一、何一つ悪くないのに傷つけてしまった人。
この人にだけは、生涯心の中で謝り続けなければいけない。

水戸の人は運転が荒く、プレッシャーをかけられることもあり。
運転マナー、北海道と本州では違うところあり。
割り込みハザード感謝など、しないと感じ悪い。

麺堂稲葉。
B’zの稲葉ファンなのは理解できるが、親まで愛しているっぽいのは愛情か。
愛情はラーメンへも。手抜きは稲葉さんに失礼、くらいに考えているのだろう。
美味しかったです。
どことなく店主も稲葉さんっぽい。

昔絡んでいた版元さんから文章を書かないかと10年ぶりの依頼。
今年中には出版が決まりそう。
大口叩きまくってきたから札幌市から追い出されないように頑張らないと。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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