このレストランはフライパンを一切使わないということを僕は記事で読んでいた。
北海道でも数少ないであろう漆塗りの職人さんの個展の最終日ギリギリにお邪魔すると、今回は額に飾ってあるものなど目新しいものがあったが、前回お邪魔した時にあった食べ物シリーズがいくつか作られていた。
寿司、豚串、桜餅、太巻き。これらを革で作るのだ。ついでに漆塗りの重箱の蓋にも目玉焼きが浮かし彫りでおいしそうに表現されていた。
他にも夏ごろに作っていた紅葉の一枚葉が浮き出ている蓋の小さな箱など、完成された作品が数多く飾られていたけれど葉の具合も実におぼろげで美しく日光に霞む秋の昼間を垣間見るような眩しさがひっそりとたたえられている。
最終日ギリギリのタイミングで行った狙いは、最後一緒に食事でもしようかと思い誘ってみたら快く承諾してくれたので、会場と同じフロアにある新札幌duoのレストランへと入り酒を酌み交わしたのだった。
「いやー、だいぶ弱くなってね」
と言っていたものだから、職人さんも還暦が近いことだし、それほどでもないだろうと思っていたのが大間違い。
最初は中ジョッキを空けたかと思いきや、最終的には赤ワイン1500mlを二人で空けたのだから、こちらも途中から「気をしっかり保っていなければまずい」と追い込まれていったのだった。
つまみに頼んだのはポテトとチョリソー。味は別段まずくない。フライパンを使わないとのことなので、油も使っていないのだろう。カロリーオフのフライドポテトと言った印象か。
周囲を見渡せば学生服の男女の姿が数多く見られ、その他は二十歳前後と見られる女性などが見られた。
おじさんと言えばこの二人だけ。別段気にすることもなく色んな話をしていた。
「今だってやってやろうって気はあるからね。自分にしかできないことがあると思っているし、今まで言ってきたやつらにどうだ! って作品作ってやろうって気持ちはあるからね」
僕は僕の感性において「文章」という領域に向き合ってきた。それはどうしても技術面との向き合いになるし、理想と現実との葛藤になる。僕はそれを通じて、ジャンルの違う職人と話を合わせることができる。普通の人に話してわからないことが、言葉少なめで通じ合えることは僕じゃなくとも不遇の作家ならば嬉しいことなのだろうと感じる。
「火縄銃って銃刀法に引っかからないんだよ。北海道の中に火縄銃の部品を修理できる人がいてさ」
他にも日本刀の柄巻きの職人と鍔の職人が北海道に点在しているという。これは北海道内の職人だけで日本刀が作れるのでは、とさえ思えるほどワクワクしてくる話だった。
「蓄音機を直せる職人がいるんだよ。それでこの前その蓄音機でレコード聴いたけどいいもんだね」
その蓄音機でいい酒飲んだら最高にいいに決まってる。ぜひいい音楽を蓄音機で聞きながら酒飲む会でもやりましょうよ、と言ったら「いいね」と言ってくれた。
こういうの、大人の楽しみだと思う。
漆塗りの職人さんは腕一本でやっている。月十二万ぐらいで過ごす生活。子供は男二人。自力で大学の資金を働いて出して出たというものだから立派なもの。僕とは大違いだ。
「俺さ、ある日子供が寝てたのよ。もうその時間大学の授業に遅刻する時間だから起こそうと思ったんだけど、子供っていくつになっても赤ん坊のままのような寝顔をするんだよ。毎日のように働いて疲れているのがわかっていたから、どうしても起こせなくってね、その子供みたいな寝顔見て、こんな父親じゃなかったら苦労させずに授業行かせてやれたし、もっと遊べただろうしってな、だっらだら号泣しちゃって」
「外食なんて滅多にいかないし、回転寿司なんて行った事もなかったんだけど、この前初めて家族で行ったのさ。そしたらどう頼むのかわからずに店員に聞いたら、その画面でやってくださいって。それで頼んだらレールの上新幹線走ってきて寿司が来るの。俺と嫁さんは三皿ずつぐらい食べればいい方だったけど、子供の方が一杯食べてたね。三人でそれでも二千円くらいだぜ」
「半額券みたいなのもらってさ、前に定山渓の鹿の湯に泊まったんだけど、子供も大はしゃぎしちゃってさ、バイキング食べ放題で喜んで部屋に戻ったら畳の部屋にすっと布団がちゃんと敷いてあって子供が布団だーってはしゃいで。興奮しすぎちゃったのか次の日子供熱出しちゃって」
僕も二人で十万という生活をしたことがあったから、この幸せがよくわかった。
際限なく何かがあると幸福を感じづらくなるというのは人間の心理上とても皮肉な事だと思う。
僕はかつてとても傲慢であったし、保護されるのは当然の権利とばかりに他者を親を責めていたことがある。
しかしそれはとても愚かな事で、何一つ自分で生きようとしていなかった証だった。
僕は職人さんが眼を輝かせて喋ってくれるこれらの話を、とても幸福なエピソードだと受け取っていたし、幸福というのは生活の質や金の問題などではないことを改めて感じていた。
元々油絵から始まったと言う。
「だからさ、構図とかそういうの、もう油絵の方が得意だったからすぐできるわけ。図に描かなくても頭の中ですっとできるから、革とかでも頭の中の図案通りやればいいからさ、なんか来るべくしてこういうところに来たのかなって思ってる」
「漆って北海道じゃ手に入らない。だからいつも東京の業者に頼んでいるんだけど二十数年一度も顔あわせた事ない。それでも向こうが信用してくれているのは俺一度として支払い遅らせたことないから。電話でしかやり取りしたことないけど、葉書にも一筆添えてこっちのこと心配してくれるようになってる。これが一度でも払えなかったりしたらこうはならなかったと思う。信用。俺手元にある金でしか頼まないからちゃんと毎回払える。これが将来手に入る金がどれくらいだからとかやっちゃったら、もうこの商売できなかったと思うね」
そうやって話をしていくうちに「どうして君は俺のところに来てくれるの?」と問われた。
僕はわからずとも創作っていうのが好きで、自分も一応物創りのはしくれなんで、創作物が好きなんです、と答えると「こんなおじさんと話したって何の役にも立たないでしょ。でもよく来てくれるよね」と話してくれた。
そのうち創作の話に触れた時、その時には相当、というか「弱くなった」と言いながら、ワイン一本750mlだから二人で一本ずつは空けた計算になるのに見た目ケロっとしている職人に奥歯を噛み締め意識を保ちながらチクショウと心の中で負けるものかと意地を張って話したことなのだけど、
「僕の創作の原点というか、源泉ってどう考えても思春期の頃の傷なんですよ。その傷を通して人を見ているし、やっぱり他のものになろうとしても、それはただの偽りであって偽りを通してできたものなど自分で違和感持つだけなのでできなかった。だからこれからも自分に正直に作品創りをしていきたいなって。僕の人間性が否定されても作品が凄いってなれば、それでいいかなと」
「ふぅん。そうだとは感じていたけど、うん、君は危ないね。俺なんかゆるくやってるからさ。君は火がついたら爆弾みたいに止められないタイプだね」
こうやって、会話をする。
同じクリエーションの領域にいる人は、たぶんわかりあえるものだと思ってる。
そのうち閉店の時間が来て帰ることになったけれど、帰り際店の若い男性店員に韓国語で挨拶をしたら「僕が韓国のハーフだとわかって言ったんですか?」となり話が盛り上がった。他にも中国語と英語の日常会話程度は話せるらしく、エスペラント語という一応世界共通言語を学んでいて子煩悩だった。
もう酒がまわっていて、久しぶりに相当痛飲した帰りの地下鉄の中で合気道に似た技を結構かけられた。
「俺黒帯だから」
「その程度?」ごときの簡単な動きで捻られて痛い。酔っ払っていたから精度が悪かったのだろうけど無理して「痛くないです」なんて言って筋でもおかしくしたら洒落にならない。「ピキッ」ときたところで「イタイイタイ」と早々にギブアップをしたけれど、本当に多才な人だなと感じさせられた。
「俺みたいな人と話してたって何の得もないのにさ、こうやって会いに来てくれて」
酔っ払っているせいなのか瞳を潤ませる。
その時僕は感じた。
クリエーターの源泉は運のいい人、天才を除き、ほとんどは悲しみを力としている。悲しみを持たぬクリエーターなどいないのだ。
この悲しみの力が尊すぎるほどの愛の力に変わっていく。クリエーターとはその術を知る人だし、当然人の幸福を誰よりも感じようとして与えようとする人のことを言うのだと瞳の奥に輝くものを見て思った。
愚直。ここは、その愚かさほど美しく輝ける世界だ。
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