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あさかぜさんは見た

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06/19

Thu

2025

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03/15

Sun

2015

左足関節外果骨折

今年に入り2ヶ月半経ちました。
 相変わらず去年のようなペースでダラダラと進みつつ、文章や芸のこととは別の方向性で頑張っており、そこで少し発想を変えて職場を変えて働いていたら、どうにも使い勝手が悪く、動きづらさを感じすぎていたので、ここは自腹を切って自分で環境を変えようと思い立ち、道具を東急ハンズで買いました。
 東急ハンズの外に出ると先ほどまで降ってなかった雨がパラパラと強く降ってきていて、雨傘も持ってきていなかったことから、嫌な雲行きだなと感じまして。だって、だいたい自分の場合、いいことが起こるというか何かしら予感を感じる時って晴れていて、ほぼお天道様のタイミングを掴むことが物凄く多いのですが、今回に関しては道具一式揃えての帰り際の雨。なんだか流れが悪いと感じるわけじゃないですか。
 それで、狸小路というアーケードがある通りが近く、知っている店も多いので、どこかのお店で雨宿りさせてもらおうかなと思い、どのお店に行こうかなと思っていたら、ふと以前フリーの声優の柴田マサタカさんという方と一緒に行ったお店を思い出し、そこへふらりと立ち寄って飲んでいたわけです。
 時間帯が早いせいもあって、お客は少なく、マスターも自分の顔を覚えていてくださって色々な話をしましたが、結構2回目でも突っ込んだ話をしてくれるというか、ズバズバ屈託なく意見も言ってくれる人なので、この方は正直な人なのだろうなと感じ、たぶん人によっては反発するようなこともしっかりと考えていて、自分にとってはとても好きになれる人でした。
 裏表ないってこういう人のこと言うんだろうなと。
「ナレーションとかで稼いでるんだっけ?」
「いや、稼いでるってほどでもないですね。元々小説とか書いていたんですけどね」
 との流れから、
「それ、本気でやらないとダメだよ」
 と言われ、色々と聞いてみました。
「いくつまでに何をしたいか決めないと、ダラダラとやるだけじゃん。本気って言うのは寝る間も惜しんでやるものでしょ。俺はお客さんもそう呼ぶけど仲間のためなら自分の持っている力総結集させるよ。自分が担がれてここまで来たから、逆にその次元になったらやらなきゃ」
「自分がそのレベルまで行かなきゃ。他の人よりも上のレベルになってようやく他人を助けられるんだよ。それまでは絶対自分のことだけで精一杯だと思うんだよね」
「夢って実現させなきゃ本当に夢じゃん。そういう幻想を語っているうちって本当に口だけの人でしょ。情報もそうじゃん。他人から聞きましたっていうのは違う。自分で見ましたっていうのが情報じゃん。そういう情報持ってないんだもん。」
「本気じゃなければ諦めればいい。時間の無駄じゃん」
「だってそいつ(口だけのヤツ)、泥すすったことないじゃん」
 とまあ、改めてというか、だいぶ酔っ払ってしまいましたが気持ちが引き締まる思いで。
 わかってはいるけれど、とか、わかっている、ってのは人間絶対嘘なんですよね。本当に理解しているっていうのは行為に出るし、行為に出ないのは、なんらかの理由が存在するからですよね。
 例えば自分の場合グダグダと特に精神的な理由をつけて「時間がない」というようなことを繰り返し毎日を過ごしてきましたが、それも工夫すれば工面できた時間たち。もうちょっと気持ちを強く持てば、切り替え方をきちんと学んでいれば、毎日進めている。色々反省点はあるわけです。
 自腹で職場環境変えるために色々買ってきたことを告げると「いいね!自腹っていうのが大事だね!」と言われました。
 自分もそこらへんはわきまえていて、いくら自分の職場でも他人の場所なので、それはただの押し付けがましいことかもしれないし、やろうとしていることも自分勝手なことだから、もしかしたらまったく相手側にとってメリットはないかもしれないという危険性もある。言ってしまえば、自分の能力が低いからっていうのが一番大きいから偉そうなことも言えない。
 大きな荷物抱えて外に出るとまだ雨が降っていてビニール傘を貸してくれました。
「必ず返しに来ますね」
 と伝え、さあもう一件(元々そこに行きたかった)ってな具合で雨の中、行きたかった店の近くの横断歩道の縁石をピョンと飛び越えて着地した瞬間にくじきまして、そのまま立つことができずにうずくまってしまいました。
 左足関節に特に鈍く重い痛みが走っており、力が入らず濡れた路面にお尻をべったりとつけて、「あーっ」と低くうめきながら呼吸をし、今度は傘が杖代わりになり、ようやく立ち上がってすぐさまタクシーを呼んで家まで帰りました。
「すいません。シート汚れちゃうかも」
 と謝りながら「いいよいいよ」なんて言われながら、これ本当に力はいらない、立っているのがやっとだと思って、タクシー降りてからも引きずるというより、なんとか一歩、また一歩と雨の中時間をかけて前に進んで家までたどり着くという具合でした。
 家に帰っても両親が「これは普通じゃない」と言うので、ばあちゃん用の車椅子に乗り、雨の中誰の手も借りず動かしていたのですが、車椅子に使う力とか、スロープでどの程度の負荷がかかってくるのかとか、色々なことがわかって新鮮でした。
 歩けはしないけれど、耐えられないほど痛くはなかったので、自分でも楽観視しているところがありました。
 雨は止む気配がなく、激しく降り注いでいました。救急外来。父親の車で行きました。
 10年ほど前でしょうか。同じ病院に、似たような時間に来ました。
 救急車のサイレンを消してくださいと言った記憶があります。
 母がうつ病で首を切り、救急車で運ばれた時同席してました。首の傷はたいしたことはなく、傷口からも致命傷ではないとわかりましたし、以前に大きな音を覚えていて過剰に反応する母の様子を見ていたのでサイレンを消してくださいと言ったんです。
 救急隊員は怪訝そうな顔をしていましたが、父がすいませんつけてくださいって言ってサイレン鳴らしながら行ったという記憶があります。
 同じ廊下。似たような病室。一人でその廊下まで車椅子をこぎ、眺めていると勝手に涙が出てきて、一人で泣いてしまった。
 色んな思いが込み上げてきたんでしょうね。自分への思いも、思い出しました。
 3月9日深夜。診察時には10日に変わっていました。
 診察は左足関節外果骨折。細い骨が二箇所折れていました。
 L字型の足固定用の器具をつけて包帯で巻いて、それで帰るという流れ。
 なんかもう、一つ一つの説明を冷静に聞いていて、手術で金具を入れる可能性が七割、靭帯ももしかしたら切れていたりする可能性もある、など何の感情も浮かばず、ただ浮かんだことと言えば皮肉なことだなという思いだけでした。
 文章のこととは関係のないことをして、その道具を気合を入れて買った矢先に起こした怪我。
「本気でやれ」とのマスターの話。
 立ち仕事なので、しばらく仕事はまったくできない状況になった。
 そして3月という時期。文学賞の締め切りが目白押しである。
 まったく頭の中になかった思いがぐっともたげてきて、これはもう、文章を書けという天命なのだろうなと妙に納得している自分がいて、これで本気でやれなかったら本物のクズ野郎だなと苦笑している自分もいました。
 次の日近くの整形外科の待合室で目の前に相田みつをの「本気」の詩が。
 また本気かよ。もうわかったよ。なんてしつこさにうんざりしながら、自分の性格も冷静に考えて、これぐらいしつこくないと無理だなとどうしようもない自分に冷めた目を向けておりました。
 先生の説明は二箇所折れてますとのこと。あれ、自分の見立てであってるじゃんか、と。
「この白い線わかります? これ骨がずれた跡なんですよ。これね、2mm以上ずれたら手術しか手がなくなるんですけど、まだ1mmの範囲なのでギプスという選択肢もあります」
 手術すると10cm切って金具をいれ、さらに一年後に取るそうなんですね。治ったと思ってるのに、さらに手術っていうのも面倒なので、ギプスと言うか正確に言うとプロテクターのような着脱可能なものらしいのですが(イメージ的にはアイスホッケーのプロテクターのようなものが近い)、それをつけることにしました。
 さて、松葉杖生活。小さな小物がとても危険に感じるようになりました。
 例えば瓶や紙、袋、箱など、小さなスペースも動きづらいし、周囲に物があるだけで今までとは違った感覚で注意しなければいけなくなりました。
 足一つ使えなくなるだけで、これだけ世界が変わるのかと、どこかしら新鮮な気持ちを抱きつつ、例えば足を折ったり、手が使えなくなったりしたら、仕事もできなくなるし、周囲に知り合いもいなかった場合助けも呼べずに一人で生活しなければいけないのですから、本当にこれは大変なのだなと改めて感じました。
 大変だなと眺めるのと、自分が大変さを被るのとでは、言葉の上では違うとわかっているのですが、その感覚を生めるのはとても難しい。
 今とてもいい経験をさせていただいているのだなと、すっきりとした気持ちで過ごしております。
 立ち仕事できなくなって、それで悩み事が今は消え、マスターの言葉もあり、わりとシンプルに物事を捉えようとしています。
 ごちゃごちゃしていた心が整理された感がありますよ。
 さて、せっかくのお休みなので、文章書いていこうと思っております。
 救急外来の帰りのときから「窓」が浮かんでいて「窓」と「部屋」で一つ心の中を描写しながら小説書こうと思っています。
 ある意味これも、一つチャンスを与えてくださったのだと思うことにしています。



「本気」 著:相田みつを
なんでもいいからさ
本気でやってごらん
本気でやれば
たのしいから
本気でやれば
つかれないから
つかれても
つかれが
さわやかだから


追記:
ちょっと前にもリアルラジオのDJさんと話し合ってFMの枠が取れるかどうかという話の中で、「それだけいいもの持っている団体なら、無理にでも負荷かけたほうがいいんじゃないのかな。僕も面白かったらガンガンラジオで流すから」という話をされていて、色んな意味でここが踏ん張り時、むしろこの機会を逃したら一生なくなるんじゃないかというぐらい。
思うところが多すぎる。

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03/09

Mon

2015

勉強させてもらえる先生はいつも目の前にいる

やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。
ー山本五十六ー

有名な言葉ですが、前半部だけがよく取り上げられます。


「人望がない人」は、大体"話しすぎ"ている
職場で、どうすれば人はついてくる?
http://toyokeizai.net/articles/-/62331


先日、上記の記事を見つけまして、色々と考えておりました。
束ねている、というほどのことでもないのですが、団体を持ち、年齢層も幅広く、様々な才能の人たちと関わっていくと、例えば10個下の上司の自分への接し方一つ取っても勉強になるわけです。
つまり我が身に置き換えて、一体自分の何がダメだったのかよかったのか、そしてどうしていけばいいのか、傷つきながら喜びながら、自分がやってきたことを反省し酷く落ち込んでいる日々が続いているのですが、こういうことは金を払って学べるものでもないし、言葉を学んだとしても感覚ではわからない。
最初に書いた言葉だって熟読していくら覚えていても、個々人に対しての細かな方法、実行した時の大変さだってわからない。
多くの人もそうだと思いますが、普通の人は今必要だと思っている情報以外のことには鈍い。そして、感覚を研ぎ澄ましていないから見逃す。
つまり言葉だけ知っていても行動しないから理解しない。知っているつもりで、中を見れば何も詰まってない。
やっぱり何かをしている人って、自分なりにちゃんと言葉を持っていたりします。そして、その言葉や行動はきちんと自らの人生、生き方から出て来ている。たとえそれがあまりよくない方法や言葉だったとしても、学ぶところは数多くあるわけです。
それは自分自分していたら絶対わからない。俺は、私は、こう思うから、これがこうだから、なんて考え方していたら、絶対見えてこないことでした。
相手の立場を考える。相手の気持ちを考える。相手の思考を知る。その上で一番制御しなきゃいけないのが自分の気持ち。憎いと思える人に程、大親友であるかのように接しろ。最近はそう考えるようにしています。
大親友って逆にベタベタしないし、わかりあおうとするから本当の本当の本当のピンチじゃないと助けようともしないし、でも話を聞く姿勢はいつも保っている。それが大事。受け入れる姿勢があるってこと。だからよく観察しているし、ちょっとした違いにも気がつける。
日々の中で学べるかどうかは、相手じゃない。自分の姿勢にかかっています。
もちろん人間は感情の生き物だから、そう簡単にはできないけれど、そのことを意識することはできます。

最近若い人と接してよく理解したことは、かつての自分もそうであったように、大人が思う勝手な親切心は、ただの説教にしかならず反発心を買うだけだとよくわかりました。
だから余計な事は言わない。聞かれないことは答えない。その前に相手のことをたくさん知るべきなのだとよく思いました。
今自分に足りないのはコミュニケーション能力。相手の力や本来持っている魅力を存分に引き出すということ。日々勉強中です。

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03/01

Sun

2015

一つ場所が違えば素人になる

題名をそのまま解釈すると当たり前のことなのですが、この当たり前、しばらく感覚として忘れておりました。
色々新しいことをやり始めているのですが、10歳以上年下の方から色々怒られたり注意されたりしながら頑張っております。
文章のことなら色々言うこともできるし、年の功で少しなりとも知っていることはあるのですが、文章以外の技術面となるとそうもいかず、たとえ知っていたとしても、できる技術を持っている人間の方がはるかに凄いわけです。
そして、世の中自分よりも何かしら優れた能力を持っている人たちによって支えられていて、自分ではできないことをやっている人たちの活躍によって今の自分の生活もあるわけですね。
なので、たとえいくら年上だろうと、その現場の中に自分が入ってしまえば50歳だろうと60歳だろうと「新人」として扱われ、できなければガンガン怒られるわけですね。20代の人たちに。
それで、彼らだって年上の扱い方って凄く困るはずなんです。私も最近若い人の扱いに困っております。私の場合はちょっと批判的な事を言うと敵視してくるほどの勢いで不満を抱く人が多いということですかね。君たちちょっとのこともダメなんかい、みたいな。
年下の子たちは年上の人たちをどう思っているんでしょうね。昔は私も大人を馬鹿にしておりましたが、大人になって交友関係が広がってくると、すげーーーー人が結構おりまして、足元にも及ばぬ人もちらほらいたりして、本当に視野の狭い子供だったんだなと思いますが、もしかしたら、今の子供たちも当時の私と似たような思いを抱いて見下しているのかもしれません。
でもなんなんだろうね。あの若い頃に抱く意味のない根拠のない自信。何の行動もしてないのに湧き上がる自己陶酔感。私はそういうのなくなっちゃったんですけど、不思議ですね。
今はどうしてなくなったかっていうと、そりゃジャンル一つ変えればたちまち素人になるからですよ。文章のことに関しても、もうどうでもいいって領域にまで来てますからね。作りたいもの作る。そして創作ってものに集中する。取り囲んでいるすべてのものを含めて創作ですから、他人の言葉も反応もすべて含めて創作だと思えるようになりました。だから自分なんて、ある意味どうでもいい。
今色々苦労しておりますけど、なんか泣きそうなくらいケチョンケチョンで、少し自信なくしかけております。でも、なんとなく忘れてた感覚だなぁと思い返しております。
新しいことをやれば新しい発見がある。その自己への他者への新しい発見がとても楽しいかなと思っております。
挑戦ってほどでもないけれど、苦労は買うべきだし、買わないと心の負債が増えていく気がして、心がどんどん弱くなって人にただ口先だけ動かす人間に成り果てる気がして、そういう人間にはなるべくならないように、日々勉強です。

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02/19

Thu

2015

恐れているほど自分は変わらない

ダメなタイプってものの中に、妙な細かいところにこだわりすぎているというのが挙げられる。特に何かに影響を受けすぎていて、人に伝わらない細かさにこだわり続け、「伝える」ということをまったく無視している人。
 伝えたらどのように解釈されるのかの想像力がなく、他人に伝える実践が少ないため、余計に独善的な事を繰り返し、ドツボにはまっていることにも気がつかない人。
 結構この手のタイプは多くって、自分は間違っていないとこだわっている人が多い。
 残念ながらそれは自信のなさの裏返しであって、どんなにスタイルを変えようとしてもやっぱり自分というのは残る。

 それで、自分を変えることに恐怖を抱いている人がいて、自分が自分でなくなってしまうのではないかとやってもいないのに尻込みする人がいるけれど、別人になるという発想でいるからできないのであって、「適応力を鍛える」とすればなんら問題はない。
 世の中で生き残るためには「相手が欲しいものをさっと作れる」能力が必要だ。
 その能力は達人レベルじゃなくてもいい。大満足というレベルじゃなくてもいい。相手が普通にしていられる程度のレベルでいいのだ。それをうまくやれば生き残れる。
 ただ、どうして独善的になってしまうかと言うと「対話」をまったくしないからに他ならない。だって与えようとしている人の話も何も聞かないで、ただ自分が努力し続けたからってどうにもならないところがある。
 たくさん人の話を聞き、その話を沢山蓄積できれば、普通に情報は処理されていき、自分と他者との妥協点は見出せる。そこに商売のコツはあるし、生きたいくためのヒントがある。

 私も文章上では偉そうなことを並べ立てているが、別に自分が正しいことを言っているという自覚は一つもなく、たぶんどこかで間違っているのだろうなという意識は常に持っている。
 それでも、まずはやってみないことにはわからないし、自分の中の体験として色々蓄積はあるものの、腐っても創作に携わっているので、時代によって考え方も変わってくるだろう。

 さて、例えば文章でどうしてもダメな人の中には、特に強く影響を受けた作家の文体に引きずられる人がいる。構成とか、人物設定とか。
 無意識に「こうじゃなきゃいけない」みたいな考えが強くて、そのこだわりを捨てると自分のスタイルを見失う弱さがある。
 新しいことに挑戦できない、もしくは変えられないというのは、逆を言えば引き出しの少なさをモロに物語っていて、普段何しているかと言うと、趣味の領域から出ずに、その領域でずっと楽しんでいる。
 新しい知識を入れること、強いて言えば自分がまったく知らなかったジャンルを知っていくことは最初は大変苦痛だし、自分の思い込みが強ければ、思い込みを裏づけする資料のみを探し出すという了見の狭いことしかしなくなる。
 好きなものばかり集めてもいいものはできない。ダメだと思うものも一旦自分の中で受け入れて処理する必要がある。つまりは、ダメはダメでも「何故ダメなのか」を感情をまったくいれずに考えられるようになると少しは見えてくるものがある。
 当然一つのものばかりを考えてもいけない。本当にダメなものというのは、最低でも20くらいのサンプルを集めてようやく見えてくるものだ。
 その点、いいものは結構たくさんある。大小こだわらないのであれば、発想を変えるだけで、いいものは見えてくる。
 いいものというのは完成されていなくてもいいのだ。むしろ完成されたいいものというのは時間を止めなければあり得ない。
 自分に劣等感があれば、いいものを見つけるのは難しい。そのまま自らのコンプレックスを刺激する材料にもなりかねないから。
 でもね、世の中捨てたもんじゃないと思う。何も変わらない人生を送っているのならば、見知らぬ誰かと懸命に会話をすべく、外へ外へと出て行くといい。
 大丈夫。恐れているほど自分は変わらないし変われない。
 必要だと思ったら懸命に努力して変わっていけばいいだけの話だ。

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01/18

Sun

2015

何度も辞めようと思った

今文章を書いたりして作品を作っている。
一昨年あたりから発想を変えてグループを作って作品を作るようになった。
今でも思うが、大変な事だし、何度も何度も辞めようと思った。
馴れ合いの中ではいい作品が生まれなくて、そしてお世辞を受けても改良点がわからない。
何よりも自分で欠点がわかってしまうから、嫌な気持ちにしかならなくて。
納得できるいい作品を作りたい。
そしてその上で感動してもらいたい。
いつも夢を見ていたように思う。
辛くて、やっているふりをして、目をそらし続ける。
結局行動としてできていなくて、すべてが先送りになる。
こういうことを繰り返して何年も過ごしている。
だがこれは自分に対しての裏切りだし、何よりも、生きている価値をただ「夢想」で作り上げているだけなのだ。
これではいけないと思う。
色々な話が少しずつ進んでいて、よい方向に向かえばいいと必死にしがみついている。
とにかく、もっと自分を苦しめて行為の中に置いていかなければいけない。
自分の言葉が薄っぺらく、机上の空論にならないためにも、ちゃんと実践で自らを鍛え上げていく。
一生、辛い思いをして、そして孤独の中に身を置きながら、進んでいかなければいけない。
人は欲望に負ける生き物らしい。
自分の弱さを何かに転嫁しながら、薄っぺらな正しさを正当化するものらしい。
今でも辞めたいと思うし、何度も思ったし、辞めたら自分に価値がなくなるから死んでしまいたいなぁと思うこともある。
だけど、まだやれるかなと思うし、もどかしい、本当にもどかしい状態を続け、我慢に我慢をし続けながら、一つ一つしっかりとやっている。
これがどこに続くのか、これが何を作り上げるのか、自分にもわからないけれど、自分にしかできないこともあるのではないかと、手段尽きるまで必死にやろうと思っている。
もちろん、考えるだけではなく、実践しながら。
精神は弱りはするが、死に絶えるまでには至っていない。
その「熱」ある限り、が大事なのだ。
その大事さを多くの人は大小優劣で否定することがある。
もったいないことだ。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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