忍者ブログ

あさかぜさんは見た

日記

12/23

Wed

2015

「相手の気持ち」をわかるには

最後にこの手の記事を書いたのは4年前ほどで、

「相手の気持ちを考えて」
「人の気持ちを考えろ」は「自分の気持ち」しか考えていない

そこから4年ほど経ち様々な経験をし、そして今言えることは、相手の気持ちをわかれっていうのは「無理」です。
無理です。本当に無理なんです。
本当に4年前にも書いたように、そんなこと言ってくるやつは「だいたい自分のことしか考えてない」がほとんどだと思います。
やっぱりね、どう言っても、どう何度もアプローチしても、どうしても自分のことしか考えない人っている。
全部自分主体で考えて、自分主体で人の話聞かないけど、色々自分が苦労しているから他人にも配慮しているんだっていうタイプがいまして、何人かと遭遇しましたが、やはりね、変えようとしても無理でした。
だから言うだけ無駄なんです。言ってわかるならやんわり言い続けますよね。

人って人の気持ちなんてわかることはできないんですが、察することはできる。
昔書いていた記事の内容とほとんど今考え方が変わっていないってことは、やはり人と人との理解を深めるには、まず「聞き出す」「よく聞く」という技術が必要だし、そして初めて相手の心が開いてきたところでようやく自分の話をしたり、自分の場合は自分の恥ずかしい部分も全部いざって時ひけらかして、相手の話を聞いたりとかします。
それで察するという部分に辿り着くにはどうすればいいかっていうと、自分の場合は相手の生い立ち、経歴、立場、職業柄の苦労や責任、友人関係、家族などなど、ほぼ探偵並に探りつつも色々考えを張り巡らさないと、なかなか見えてこない。
それだけ他人が人の心を察するって難しいことだし、自分はまがりなりしも文章を書いているので、どうやら同じ「職人タイプ」の人とは話が滅茶苦茶合うのがわかってきましたが、やはりジャンル違ったり立場違ったりすると、まったく通じなくなるし、嫌なタイプ、肌が合わないとかはあるので、そこは無理に察しようとしなくても攻撃的だったり、やたらネガティブな人への対応は「荒んでいるんだな。お気の毒に」と心で思うくらいで大丈夫だと思います。
どうしても避けられない人間関係ってあるし、そこで「相手の気持ちを考えろ」は常に「私の苦労を理解しなさい」とイコールなので、嘘でもやんわりと相手を少し高く自分を低く見積もって話をすればいいのです。
そんで「あー疲れた。やってらんない。こんな会社やめてやる」とかあとの準備を進めるのもいいし、どうやったら上手くいなせるかを考えて日々トライ&エラーを繰り返すのもいいだろうし、そういう面倒なやつを上手くいなせるようになると確実に世渡り上手になりますね。
あとね、自分の苦労話とか親しくもないのに勝手にしてくるやつも要注意ですよ。やたらと世間を狭く見ている人とかね。
俺これだけ苦労したんだ。お前も俺を見習って苦労しろ。世の中はこれだからな。そうだろ。みたいなニュアンス含んでくる場合が多いので、これも安易に反抗的な態度取ったら危ないです。
つまり同意しか求めていないので、それ以外はだいたいダメなんですよ。
そんな人の「人の気持ちわかれ」なんてたかが知れてるでしょ。
どうしてもわかりたい人は苦労してください。色々な事を知ってください。そして人に対して優しくあってくださいとしか言いようがなく、もはや「逆説の十か条」並に強い人であり続けることを意識的に続けなければいけません。

私自身は他人に対して「強くありなさい」と言うことはまったくできないし、強くあろうとすることはとても辛いことなので、おすすめしません。
人に対して優しくあろうとすることは、自分に対して厳しくあろうとする人なので。
他人にも甘い、自分にも甘い、となると「自分を認めて欲しい」「仲間が欲しい」と同意なので。
他人は他人。自分は自分。
それでも社会は人間の協力生活区域のようなものなので、自分のできる範囲で自分にできないことをやっている人を尊敬できれば、相手の気持ちを察することができずとも、妙な扱いは受けないと思いますし、友達もできやすいですよ。

拍手[0回]

PR

12/19

Sat

2015

もはや小説を書くことは、自分の命に対して最後の価値観を見出す行為でもある。
それが食えなくとも、一人前に稼げなくとも、これが自分がしがみついている最後の人間としての価値だ。
そして書くことを、表現することを失ってしまったら、もう生きる意味を見出せなくなる。

死んだ方がいいんじゃないかと思うことは多々あるけれど、生きる屍にまだならないのはこれがあるから。
そんなものが自分にはまだあるから、生きる希望のようなものを見失わずに済んでいる。

拍手[0回]

12/09

Wed

2015

私は理不尽さを教えたい

私は親に思春期の頃から否定語を与えられ続け、かなり精神が歪んだ方です。
でももっと酷かったのは、私を取り囲んだ「読者」の人たちで、こういう言葉を使っていいのか「無神経」にもほどがあった。
傷ついたし、立ち直れないと思ったほどにも言われた。
一般の人から芸術家の人まで。
あらゆるジャンルの人たちから言われた。
夢を持てと言うけれど、こういう理不尽さに耐性がなければ、下手に希望を持たせると周囲を不幸にするし、そして最悪の場合個人の死が待っている。
下手にのめり込んで、引き返せないところまで行ってしまい、夢も何もない悲惨な状況に囲まれ、そして絶望したまま死んでいく。
だから、才能は早めに悟った方がいいんだ。
苦労をすればいい。
特に20代は特に。
トラウマになろうと何になろうとやった方がいい。
トラウマを抱いて進めなくなるようなら、残念ながらそこは天運がない道。
もう少し頑張ればいいとか、そういう次元じゃないんだ。
そういうギャンブルに溺れて、もう少し金があれば大金が当たるんだ的なジャンキー的発想になるのは、やっぱり自分が苦労した分を取り戻したい、ギャンブルなら自分が金をつぎ込んだ分を取り戻したい。
同じ発想でしかない。
日記では「いつ始めても遅くはない」という内容も書いているけれど、そこはどんな業界なのか調べないといけない。
勘違いする人は、まったく調べていないし、妄想だけを膨らませて「自分の夢は叶う」という言葉や材料や励ましを集めてくる。
その業界で生き続けるということと、一生大事にしていく趣味、年をとってもできること、を混同してはいけないんだ。
でもその限界を悟るためにも懸命に、本当に身を削りに削りつくしてやらなければいけない。
さもなければ、最悪他人の人生を狂わせる。不幸な形で。
夢はぬるま湯では叶えられない。
だからこそ、夢に向かう人に理不尽さを教えたい。
恨まれても、いかに嫌悪されてもいい。
どんな素人でも自分なりの正当な評価を下すようにしている。
今最年少で世界の宝と個人的に評している映画監督がいるけれど、本当に傑物だと思っている。
1996年生まれ。恐ろしい人材だ。学生で100万貯めて自主制作映画作るとか普通じゃない。
数年前から凄いと思っていたけれど、ああいうのを才能というのだと思う。
最初からやることが桁が違う。
やっぱり人と一緒じゃダメなんだよ。普通の人と同じじゃ洒落にもならない。
夢の世界は、食っていくには厳しい。
でも、もし応援してくれる人が、金を払ってまでも応援してくれる人がいるのなら、その人のために懸命に、本当に命がけでやらないといけないんだよ。
この世界は理不尽。
だから私は心底理不尽さを教えたい。
さもなければ、人が不幸になるのだから。

拍手[0回]

12/05

Sat

2015

何故夢は叶わないのか

「才能」という単語を出してしまうと元も子もないのですが、それを抜きにすると誰しも「秀才」と呼ばれるレベルまでは上達できます。
「天才」と「秀才」の圧倒的な差は、「才能」という「言葉にできないものを的確に捉える異次元の心の動き」にあるのですが、それに関してはどのように鍛え上げればいいのかわからない上に、唯一私から言えることは「子供のような感性」を保持していなければいけないのです。
大人になり、様々なことを経験し、そして社会という荒波にもまれていくと、どうしても自らの経験や周囲の感覚に合わせてうまく生きようとする気持ちが必ず出てきます。
それに逆らい天と地を自らの中で突然ひっくり返しても逆に「これ面白いし、でもなんでみんなこう考えているの?」という突拍子もない考えと哲学的な疑問がなければ「天才」の領域には辿り着けないと考えています。
かといって、天才は努力しなくていいのかっていうと、やっぱり努力は必要で、最後の最後で壁ができるのは「学んだものを徹底的に鍛え上げる秀才」と「学んだ以上のものを常に自らの中でリミックスしちゃう天才」の差なのです。
天才は「感性」で学んだ以上のものを手に入れてしまうし、既存のものにこだわったりしないので。

さて、ほとんどの人は「秀才」になれるのですから、夢は必ず叶えられるのです。
なのに何故夢を叶えられないかと言うと、自分の実力がまずわかっていない、周囲のことが理解できていない、目標達成へのレベルがわかっていない、忍耐力がない、打たれ弱い、時間が上手く使えない、「好き」が「仕事」としてではなく「趣味の範囲」でしかない、持論にこだわっている、勉強しないなどなど。
要約すれば「全てにおいて勘違いしており、努力を怠っている」ということが言えるわけです。
例えば多くの人を見て首を傾げるのが「食っていければいいかな」という程度の考え方。
「夢が叶えばいい」という漠然とした思いのみで、具体的な目標への達成プランがまったくないこと。
食っていくっていうのは「今のトップランナーを追い越すぞ」という気持ちを持って初めて成り立つか成り立たないかってぐらいなのに、目標設定が低いと当然そこしか目指さない。
だからまず他の人たちに追い抜かされる。
残念ながら同じ道を目指すのはよほどニッチではない限り百万はライバルがいると思ったほうがいいです。
褒められて、そして色々道が開ける人がいるんですけど、基本プロになったら周囲は辛辣ですし、好き勝手言ってくるのでまず精神力が強くないといけない。
何が起こっても自分の責任なんですよ。全部他の人がもたらしたものでも自分の責任。
この原理が理解できないならプロにはまずなれない。
ちょっとやそっと言われて落ち込んで動けなくなるようじゃ、たぶん「お客さん」を持った時、死にたくなるんじゃないのかな。
特に芸術の分野だと精神のバランス崩して、うつ病になる確率が高くなり、当然「死」とも隣り合わせになってきますし、周囲の人間も巻き込むので周囲も不幸にしていきます。
だから自らを客観的に見る目と、自らを信じぬく心の強さと、観察力と、仕事に対する最高の面白さってやつを身につけていく必要があります。

ほとんどの人はどこかでバランスを崩していて、ナルシシストすぎるとか、努力の方向性を間違っているとか、思い上がっているとか、自分がかわいすぎて壁にぶつかったら努力を止めるとか、とにかく周囲の環境やら人のせいにしているとか、何かしら弱すぎて夢を掴む資格を自ら放棄しているんです。
特に心が弱いから勇気がないし決断力もないし、だからチャンスをずっと逃し続けている。
そういうのは叶えられなくて当然だし、これは時代の運ってやつも絡んでくることなので、自分の才能が完成されても時代が求めていないっていうことも充分にあることなので、上に行けば行くほど理不尽さが待っておりますが、その理不尽さの中に人生の楽しさってのがあるとわかれば、色々なことが楽しめるはずです。
人生の出来事を無駄にするのは自分次第なので、そこはいかようにもわめけばいいし、受け入れられるならしっかりと人生と向き合えばいい。
でも人間は逃げ出した問題には何年か巡り巡り同じ問題にぶち当たり悩むことになります。
サイクルが短い人は数年単位でやっている。怖いほどこの法則はすべての人に当てはまっていた。

あと、夢に向かいたい人にアドバイス。
敗北を恐れないこと。何でもかんでも勝ち負けに置き換えないことです。
いらぬ勝負をして浪費をするより、いざって時の大局で勝ってしまえば上にいけるんです。
だから勝負どころと、そうではないところを見極めて、勝負すべき場所でないところでは逃げてもいいということを、しっかり覚えておいた方がいいです。
さっき逃げ出した問題は巡ってくるみたいなこと書いておいて、おかしいって?
そりゃ自分のこときちんとわかれば、それは矛盾ではないことが理解できてくるはずなので、しっかり自分のことを理解して、自らを勘違いしないようにしましょう。
そして勉強しましょう。
薄っぺらな理解力で恥ずかしい思いをしないためにも、しっかり人と接して自らの経験を豊かにしましょう。
私もそう豊かではないですが、ある芸術家にケチョンケチョンに、それ言われたらもう書くのやめるしかないんだけど、っていうレベルで酷い言われようしました。
それでもやってます。学ぶしかないので。
心が傷つくどころか、魂が傷つきましたし、それでもやっていけるものです。
ちょっとでやめる程度なら、それはもう夢どころの話じゃないんですよ。
本当に「趣味」で止めた方がいいです。
じゃなければ、人を不幸にしますので。

夢に向かいたい人、腹括って頑張ってね。
私もどんなことになっても続けるので。

拍手[0回]

11/11

Wed

2015

このヤローぜってぇやってやるからな!って気持ちは大事

職人は一生未熟だし、勉強嫌いな私が技術的にまだまだなんだということは重々承知しているから、意見や批判はひとまずは聞くわけですが、内心「やってやっかんな。今に見てろよ」と煮えくり返る気持ちを抑えつつ、そういう刺激を与えてくれる人を大事にしていきたいなと思っているわけです。
さて、思っててもしょうがないわけだし、こうしてブログに書いてても、誰かに言い続けるだけでもいかんわけです。
前に北方謙三のインタビューを読んだ時に、売れない時書きまくって原稿用紙が身長以上になったこともあった、というエピソードを見て、こりゃロックだなぁと愉快な気持ちを覚えたものです。
昔々、十年前くらいなのですが、精神的な暗黒時代がありまして、もう何をするにも少しやっただけで精神的にしんどく、少しやっては数日休むというようなことを繰り返しておりました。
今はそれに比べればだいぶいいのかなぁと、わりと精神的には相当落ち着いているので、ちょっとロックな姿勢で、ぶち壊してやるぞと、そんな攻撃の心持ちを持って生きていきたいと思っているわけです。
自分に対する怒りであったり、破壊欲求みたいなものがないと、作品制作においてはマンネリ化しがちなので、そんな反骨精神は大事にしたいと思っているわけです。

そんで話は変わるんですが、先日軽いぎっくり?腰のようなものをやってしまい、その日だけ重いものが持てなくなったのに続き、腰が姿勢によりカキッとなっているというか、反応が出るようになりましたので整体に通うことに致しました。
3月に左足を折ってからというもの、右足で庇うようにして足を使っていたのでいよいよ歪んできたのかなという気が致しましたので、放置していてもしょうがないと早めの処置を心がけるようにしたのですが、人はね、どうしても年取ると色んなところにガタが出てくるのかなとも思ったんですが、一番大事な事にふっと気がつきまして、つまり歪みって体で言うとバランスゲームのようになっていて、足が歪んでいるとその上の部位で重心を取ろうとして、足、腰、背骨、という具合にちょっとずつ歪んでくるという具合らしいのです。
つまり正しい姿勢だと長期的な眼で見ると楽だってことなんですね。
これって物事にも言える事なんじゃないかなぁと思い浮かびまして、正しいことってきっと楽になれるんだろうなと漠然とした思いを抱きながら、いかに楽ができるのかということについて思案していこうと、考え方をシフトさせていこうと思い至ってます。
「苦労は美徳じゃないから」
という年下の言葉に衝撃を受けてからというもの、楽って素敵、楽しい状態にするには、という生き方でこれからもやっていこうかなと思っているわけです。
とはいっても、クリエーターの端くれ。
懸命に作ったものに何か欠点があると、そりゃ苛立つわけです。
いい年こいて含蓄も何もない薄っぺらい言葉ばかり並べ立てても、本当にどうしようもないし、ああはなりたくないよな、という身近な例もありますから、一生勉強という気持ちと、あいつは絶対ぶちのめしてやるという復讐めいた気持ちも忘れずに、そしてなるべく楽になれるよう努力したいなと、まあ、いつものたいしたことない記事でございましたよ。

今日のまとめはこの2点ですね。
・「反骨精神を秘めておけ」
・「正しい姿勢は楽」

拍手[0回]

フリーエリア

ブログランキング・にほんブログ村へ

バーコード

プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。

気が付いたら他人からとても褒められる娘ができまして、人生が大きく変わりました。
この小さな可能性と向き合うため頑張って生きております。

最新コメント

(07/27)
(02/23)
(03/05)
(03/02)
(01/24)
(07/29)
(01/21)
(08/16)
(04/28)
(04/20)

ブログ内検索

カレンダー

09 2025/10 11
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

忍者アド

Copyright © あさかぜさんは見た : All rights reserved

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]