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あさかぜさんは見た

日記

09/29

Tue

2015

私の親の世代によくあるけど

年上の世代の中で若者の現状を見て「絶望的」と表現する人がいるが、今起こっているそれをこちらからご紹介させていただいたらいよいよ死にたくなるだろう。
もし死にたくならないのなら、心の底から何かを心配していたり気にかけたりはしていない。
全ては自己満足の類だと解釈する。
自殺するか、変えるかしたくなるのが本当の気持ちの落とし所なのだけれど、いたずらに魂をさ迷わせているのなら、命の使いどころを知らぬ人生をやたらと歩んでおられるだけに、あまり相手をするに至らぬ。

今「ゆとり世代」を超えて「さとり世代」だと誰だかが名付けたが、いつの時代だって馬鹿も阿呆も一緒だったではないか。
何を今更いけしゃあしゃあと少しばかり知恵のついたおっさんやおばんが若者を断罪する必要があるのだろう。紀元前から続いていたことを今もまだ続けているということは、本当に一般人は糞ほども学びはしないということなのだろう。
いつだって子供は自分たちが作り上げた社会によって育った「努力の結晶」なのであって、それを批判するということは、自分たちの社会への向き合い方そのものを否定するのだということに気がついておらぬ。

僕は年上とも年下とも接することのできるようになって気がついたが、どうしようもないクズってのは年上にも充分いるし、だからといって年下がその数に勝るってことはない。
これは何故かっていうと、年下だと「まだ知らないからねぇ、教えてやるぞコノヤロウ」って気持ちになるけど年上だと「もうどうしようもないもんね」って気持ちにさせられるし、例えば僕はだいたい大人しいけれど、大人しくしてると遠慮なくやってくるやつがいる。
「こいつはサンドバッグにしていいんだ」と無意識にも臭いを嗅ぎとるんだろう。
よくわかるよ。
暴力は常に弱いやつに向けられるっていうのは、人生の中で実証済みなので。
例えば紳士ぶっているようなやつでも、弱いものには驕り、強いものには口を紡ぐというやつがいた。挙句の果てには都合によって昨日までにはなかったかのように態度をコロっと変える人。
この手の輩は結構多く、こいつだけが例外なわけではない。自分だって長い時間の中で考え方やスタイルを180度変えることもたまにはあるが、人を批判するためだけに言葉を並べ立てる人間の中で、人生の一貫性があったやつを見たことがない。
特にこのような輩は自分の知っているものだけを堂々とひけらかし、相手が何も知らぬということにつけこんで、常に上から畳み掛けてくる。
でも、その手は何も知らぬ若者には通じるが、ある程度知っている人間には影では馬鹿にされているということに気がつかない。
どんな人間にも欠点はあるが、許せる欠点と許せない欠点があって、さらに同じ欠点でも人によって許されたり許されなかったりするのは何故だと思う?

きちんと背負っている部分で言っているか否かなんだと思う。
ただ、それだけだろうさ。
身分不相応のことは、他人からは醜く見えるものなんだよ。

当然年上はその観点で年下を見るし、年下は「なんでこいつ、きちんとできてもいないのにこんなに偉そうなんだ?」という目で見る。
人は万能じゃないから教えられることにも限りがある。
だから年配は視野の狭さを常に自覚して自らを戒めるべきだし、若者は常に素直であるべきだ。
素直であるということは、何でも無条件に受け入れるということではなく、よく聞きよく考えよく吟味しよく調べるということだ。
これを怠れば成長は止まる。
知ったようなことを繰り返し繰り返し機械の様に喋るだけの愚か者になる。

10代の人間は自分が不幸な原因は親や環境のせいだとわかったなら親の価値観を自分の中で壊すか否かを迫られる。
20代の人間は自分が不幸な原因は年上のせいにしても許される。
30代の人間は自分が不幸ならば社会を変える勇気を持たなくてはならない。
40代の人間は自分が不幸ならば人生の努力を怠ってきたのだと反省しなくてはならない。
50代の人間は自分が不幸ならば自らの人生の価値観の半分は捨てて新しい人生に挑まなければいけない。
60代の人間は自分が不幸ならば親友を作るべく手を突いてでも人から学ばなければならない。

人生のどこを出発地点にするのか、そんなもの、他人の価値観なぞどうでもいいから、自分ができると思った時を起点にして成長すればいい。さもなければ、何もかも止まってしまって、結局は弱いものに対して暴力をふるうことになる。
それは年齢関係なく醜いことだ。
そういう醜さを若い頃に押し付けられて、また大人になったからといって年下の世代にやることはないのだ。
優れた人間は年齢関係なくいる。
年下でも尊敬できる人間が僕にも少なからず出来てきた。
しかし不思議な事に年上の一部の人間たちは、どうやら自分の足で若者を見に行かずに、情報だけで若者を捉え絶望しているらしい。
老人諸君には申し訳ないが、いつでも止めを刺してあげるから、墓に入る準備はしっかりとしておけばいい。
だがそうではなく別のものを見たいのなら、若い世代の素晴らしさをいつでも語りましょう。
その言葉を受け入れられる余裕があればの話ですが。
ただ与えられたことを盲信し、社会は終わったというのなら、自らを変えるべきだし視点をきちんと生身の人間へと開けさせるべきだ。
情報に踊らされる前に。

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09/21

Mon

2015

驕られる事を当然のごとく構えている女

よくデートに誘った時は男性が驕る事が当然だという女性側の記事を見かけますが、これ男性の記事なら腹が立たないのですけど、女性が書くと物凄くイライラするんですよね。
当然こちらがお金を負担することが当然という身構えで来る女っていうのは、それだけでちょっと卑しいので評価としてここでマイナスが出てくる。
例えば「割り勘にします。私まだ対等でいたいので」とくるなら「ほう」と感じるところがある。
お金を負担しなければいけないってことは、それだけのサービスをしても余りある女じゃないと金と時間をかけた価値がないんですよ。
以前アメリカのCEOが美人へした回答で「美貌は年齢と共に衰えるものですから消耗される価値であり、その時だけに価値があるもの」だか書いていたんですよね。
例えば僕は傲慢な女には一切の金を払う価値がないと考えている。
トークが弾まない女も一緒。
ガールズバーで若いお姉ちゃん相手に世間話聞かされてこっちが金払うみたいな、そういうのは「お店」でもあるわけだから、わざわざお店でできることを金と時間かけてやろうとする?
特に女性は自分をよく見せようとするために物凄くコストがかかる。
化粧品だってかなり高いし、下着だって男性からすれば、あんな布切れなんでそんなに値段高いのよと驚く。デザイン料!? それで服だってちゃんとしたやつ買えばかなりのお値段になります。
中と外全部あわせて10万近くいくとか、あんま珍しい話じゃない。毎日のお肌へのお手入れ入れるといくらになるんだか。
だからその女性と時間を共にするには男性がお金を払わなければいけない・・・という話にはならない。ならないんだよ。
というかその論理で行くなら自分を商品として扱っているわけだから、こっちは消費者として接するしかないんだから、金払ったんだからいくらでも文句言っていいよね、って話になる。
違う?
こういう話になってイラつく人っていうのは、既に矛盾している。
だって女として、人間として価値のあるところを見て欲しいっていうのと、外面への金のかけ方も含めての内面ってのは、ちょっと盛りすぎだし、色々ごちゃごちゃに混ぜすぎていると思うのね。
内面は内面。外面は外面。
自分も年取ってきてわかってきたんだけど、これきちんと見てくれる人は見てるのよ。内と外ちゃんと分けている人。
これね、「金」の問題じゃないの。「気遣い」の問題なの。
例えば外見がみすぼらしかったり汚らしい格好で冠婚葬祭出たら「ええ!?」ってなるじゃない。
ようは他人に対する「気遣い」なのよ。これ外。
礼儀作法、親切、優しさ、見返りを求めない心、尊敬の心、こういう類のものは内のもの。
含めて「気遣い」。
その気遣いがきちんとできている人はちゃんとしている人だし、「金」や「物質」的なことにこだわる人って、どんなに幸せそうに見えても幼い。
幼いってことは年をとってもあまり人間として価値が高まってきているとは言えない。そして、そういうもの以外に価値を感じていないのだから、心が貧しいとも言える。
お金って使えば消費されるものじゃない。
だから僕はよくお金のことを考えるんだけど、お金を使うんだったら消えない価値のために使いたい。
その可能性があるものでもいい。
でもさ、当然驕られるとか、男性がサービスするのは当たり前、なんて心構えの女に「金と時間のありがたみ」なんて本当に心底理解できるのかな? って思うんだ。
個々人によって、相手の女性にどれだけの努力をしているかなんて違うのに、あっちの上質のサービスとこっちのサービス天秤にかけて優劣つけたりするんだぜ? あのさ、それ男が女を外見だけで価値を決めるのとほとんど変わらないほど下品なことだからね。
そいつがどれだけ努力しているかなんて微塵も考えないでザル勘定でやるんだから。
ザルみたいに水流したら全部下に流れて次の日には綺麗さっぱり忘れているなんてこと、それなんのために付き合ったのかなって虚しくなる。
そいつの自己満足のために何故こちらが「焼け石に水」のような金を注いでいかなくちゃいけないわけ?
ちょっとわけがわからんのよ。
年齢によって外見は衰えてくる。
それは当たり前のことなんだ。
僕最近人生が充実し始めているんだけど、そういう「金」とか「サービス」の部分にこだわって人を見てくる人間とは、あまり付き合いたくないわけ。
それよりも「私こういう楽しいこと知ってます」とか「自分の汚いところを含めて素で話せる勇気」に触れたい。
これは色々人によって違うと思う。
需要と供給の一致じゃないけど、綺麗な女ってのが好きな男がいるけど、ちょっと典型的な例があるわ。
AV撮ってた男なんだけど、自分の年齢が上がると共に付き合う女性の年齢がちょっとずつ下がってきていたっていう話。
いい男、いい女。
共通してるのは「気持ちのいい人間」ってことだと思う。
やっぱりよく人を見て、よく気がつく。
そして色々考えて、勇気を持って行動していたりする。
そういうのが「よき人間」さ。
人によって100円の価値は違う。そこに気がつけるやつこそ凄い人なのよ。
あまり大きなことを要求しているわけじゃない。
ほんの些細な事であり、誰もが持っているものであり、本当に素朴なものなんだ。
その素朴さから離れ、自分を偽りだして大きく盛りだすようなら、理想を抱いて現実の人間から目をそらすのなら、そりゃイカサマをされたのと同じ扱いをするのは当然のことだし、正当なことをしていないんだから、それなりの扱いをされても文句は言わないってことが、自分の価値を知っている女ってことになると僕は思うんだ。
だからと言って男がぼんやりと油断してても、いい女は一切寄ってこないもんだぜ。
人間って自分の価値以上の人間と付き合えないようになってるんだよ。
不思議なものでさ。

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09/09

Wed

2015

漆塗りの職人さんと

このレストランはフライパンを一切使わないということを僕は記事で読んでいた。
 北海道でも数少ないであろう漆塗りの職人さんの個展の最終日ギリギリにお邪魔すると、今回は額に飾ってあるものなど目新しいものがあったが、前回お邪魔した時にあった食べ物シリーズがいくつか作られていた。
 寿司、豚串、桜餅、太巻き。これらを革で作るのだ。ついでに漆塗りの重箱の蓋にも目玉焼きが浮かし彫りでおいしそうに表現されていた。
 他にも夏ごろに作っていた紅葉の一枚葉が浮き出ている蓋の小さな箱など、完成された作品が数多く飾られていたけれど葉の具合も実におぼろげで美しく日光に霞む秋の昼間を垣間見るような眩しさがひっそりとたたえられている。
 最終日ギリギリのタイミングで行った狙いは、最後一緒に食事でもしようかと思い誘ってみたら快く承諾してくれたので、会場と同じフロアにある新札幌duoのレストランへと入り酒を酌み交わしたのだった。
「いやー、だいぶ弱くなってね」
 と言っていたものだから、職人さんも還暦が近いことだし、それほどでもないだろうと思っていたのが大間違い。
 最初は中ジョッキを空けたかと思いきや、最終的には赤ワイン1500mlを二人で空けたのだから、こちらも途中から「気をしっかり保っていなければまずい」と追い込まれていったのだった。
 つまみに頼んだのはポテトとチョリソー。味は別段まずくない。フライパンを使わないとのことなので、油も使っていないのだろう。カロリーオフのフライドポテトと言った印象か。
 周囲を見渡せば学生服の男女の姿が数多く見られ、その他は二十歳前後と見られる女性などが見られた。
 おじさんと言えばこの二人だけ。別段気にすることもなく色んな話をしていた。
「今だってやってやろうって気はあるからね。自分にしかできないことがあると思っているし、今まで言ってきたやつらにどうだ! って作品作ってやろうって気持ちはあるからね」
 僕は僕の感性において「文章」という領域に向き合ってきた。それはどうしても技術面との向き合いになるし、理想と現実との葛藤になる。僕はそれを通じて、ジャンルの違う職人と話を合わせることができる。普通の人に話してわからないことが、言葉少なめで通じ合えることは僕じゃなくとも不遇の作家ならば嬉しいことなのだろうと感じる。
「火縄銃って銃刀法に引っかからないんだよ。北海道の中に火縄銃の部品を修理できる人がいてさ」
 他にも日本刀の柄巻きの職人と鍔の職人が北海道に点在しているという。これは北海道内の職人だけで日本刀が作れるのでは、とさえ思えるほどワクワクしてくる話だった。
「蓄音機を直せる職人がいるんだよ。それでこの前その蓄音機でレコード聴いたけどいいもんだね」
 その蓄音機でいい酒飲んだら最高にいいに決まってる。ぜひいい音楽を蓄音機で聞きながら酒飲む会でもやりましょうよ、と言ったら「いいね」と言ってくれた。
 こういうの、大人の楽しみだと思う。
 漆塗りの職人さんは腕一本でやっている。月十二万ぐらいで過ごす生活。子供は男二人。自力で大学の資金を働いて出して出たというものだから立派なもの。僕とは大違いだ。
「俺さ、ある日子供が寝てたのよ。もうその時間大学の授業に遅刻する時間だから起こそうと思ったんだけど、子供っていくつになっても赤ん坊のままのような寝顔をするんだよ。毎日のように働いて疲れているのがわかっていたから、どうしても起こせなくってね、その子供みたいな寝顔見て、こんな父親じゃなかったら苦労させずに授業行かせてやれたし、もっと遊べただろうしってな、だっらだら号泣しちゃって」
「外食なんて滅多にいかないし、回転寿司なんて行った事もなかったんだけど、この前初めて家族で行ったのさ。そしたらどう頼むのかわからずに店員に聞いたら、その画面でやってくださいって。それで頼んだらレールの上新幹線走ってきて寿司が来るの。俺と嫁さんは三皿ずつぐらい食べればいい方だったけど、子供の方が一杯食べてたね。三人でそれでも二千円くらいだぜ」
「半額券みたいなのもらってさ、前に定山渓の鹿の湯に泊まったんだけど、子供も大はしゃぎしちゃってさ、バイキング食べ放題で喜んで部屋に戻ったら畳の部屋にすっと布団がちゃんと敷いてあって子供が布団だーってはしゃいで。興奮しすぎちゃったのか次の日子供熱出しちゃって」
 僕も二人で十万という生活をしたことがあったから、この幸せがよくわかった。
 際限なく何かがあると幸福を感じづらくなるというのは人間の心理上とても皮肉な事だと思う。
 僕はかつてとても傲慢であったし、保護されるのは当然の権利とばかりに他者を親を責めていたことがある。
 しかしそれはとても愚かな事で、何一つ自分で生きようとしていなかった証だった。
 僕は職人さんが眼を輝かせて喋ってくれるこれらの話を、とても幸福なエピソードだと受け取っていたし、幸福というのは生活の質や金の問題などではないことを改めて感じていた。
 元々油絵から始まったと言う。
「だからさ、構図とかそういうの、もう油絵の方が得意だったからすぐできるわけ。図に描かなくても頭の中ですっとできるから、革とかでも頭の中の図案通りやればいいからさ、なんか来るべくしてこういうところに来たのかなって思ってる」
「漆って北海道じゃ手に入らない。だからいつも東京の業者に頼んでいるんだけど二十数年一度も顔あわせた事ない。それでも向こうが信用してくれているのは俺一度として支払い遅らせたことないから。電話でしかやり取りしたことないけど、葉書にも一筆添えてこっちのこと心配してくれるようになってる。これが一度でも払えなかったりしたらこうはならなかったと思う。信用。俺手元にある金でしか頼まないからちゃんと毎回払える。これが将来手に入る金がどれくらいだからとかやっちゃったら、もうこの商売できなかったと思うね」
 そうやって話をしていくうちに「どうして君は俺のところに来てくれるの?」と問われた。
 僕はわからずとも創作っていうのが好きで、自分も一応物創りのはしくれなんで、創作物が好きなんです、と答えると「こんなおじさんと話したって何の役にも立たないでしょ。でもよく来てくれるよね」と話してくれた。
 そのうち創作の話に触れた時、その時には相当、というか「弱くなった」と言いながら、ワイン一本750mlだから二人で一本ずつは空けた計算になるのに見た目ケロっとしている職人に奥歯を噛み締め意識を保ちながらチクショウと心の中で負けるものかと意地を張って話したことなのだけど、
「僕の創作の原点というか、源泉ってどう考えても思春期の頃の傷なんですよ。その傷を通して人を見ているし、やっぱり他のものになろうとしても、それはただの偽りであって偽りを通してできたものなど自分で違和感持つだけなのでできなかった。だからこれからも自分に正直に作品創りをしていきたいなって。僕の人間性が否定されても作品が凄いってなれば、それでいいかなと」
「ふぅん。そうだとは感じていたけど、うん、君は危ないね。俺なんかゆるくやってるからさ。君は火がついたら爆弾みたいに止められないタイプだね」
 こうやって、会話をする。
 同じクリエーションの領域にいる人は、たぶんわかりあえるものだと思ってる。
 そのうち閉店の時間が来て帰ることになったけれど、帰り際店の若い男性店員に韓国語で挨拶をしたら「僕が韓国のハーフだとわかって言ったんですか?」となり話が盛り上がった。他にも中国語と英語の日常会話程度は話せるらしく、エスペラント語という一応世界共通言語を学んでいて子煩悩だった。
 もう酒がまわっていて、久しぶりに相当痛飲した帰りの地下鉄の中で合気道に似た技を結構かけられた。
「俺黒帯だから」
「その程度?」ごときの簡単な動きで捻られて痛い。酔っ払っていたから精度が悪かったのだろうけど無理して「痛くないです」なんて言って筋でもおかしくしたら洒落にならない。「ピキッ」ときたところで「イタイイタイ」と早々にギブアップをしたけれど、本当に多才な人だなと感じさせられた。
「俺みたいな人と話してたって何の得もないのにさ、こうやって会いに来てくれて」
 酔っ払っているせいなのか瞳を潤ませる。
 その時僕は感じた。
 クリエーターの源泉は運のいい人、天才を除き、ほとんどは悲しみを力としている。悲しみを持たぬクリエーターなどいないのだ。
 この悲しみの力が尊すぎるほどの愛の力に変わっていく。クリエーターとはその術を知る人だし、当然人の幸福を誰よりも感じようとして与えようとする人のことを言うのだと瞳の奥に輝くものを見て思った。
 愚直。ここは、その愚かさほど美しく輝ける世界だ。

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08/24

Mon

2015

そろそろ、いい頃合だ。
動いていこう。
自分の人生に対するケジメでもある。

いい風が吹くだろう。

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08/22

Sat

2015

何故負の情報をここに書くか

ええと、ちょっと前から伝言ゲームという検索ワードでだいぶこちらにおいでなさっている方多いと思いますが、そのほとんどは私のようなドクズが書いているとは思いもよらず、日記を読むにあたり大変困惑し、舌打ちでもし、ちょっと最低みたいな気分を抱いて去っていく方がほとんどだと思います。
そしてこの記事を書いたところで過去のアーカイブに埋もれ、将来少しずつ変わってくる自分が、この記事を書いた気分とも一致しないかもしれないという人間の生活や運命そのものも鑑みながら現段階における自分の主張を述べておきたいと思いまして。
あの、すいません、そんな必要ないと思って読んだ方に一言申し上げておきますが、この場所は一応個人過ぎるブログであり、たとえ公人となったとしても、わたくし自身のありのままの姿、むしろ汚い部分を見つめる場所でもありますので、あくまで記録としてもおおいに生涯使わせていただく所存でございます。
ところで、突然すぎる、そして他人にはホラとも取れる内容を書きますけれど、私は間違いなく上に上がっていける人間でございます。
そして、恐らく30年後ぐらいにはテレビで何らかのまとめ番組が組まれるかもしれません。
テレビがあるかどうかってのは置いといて。
ほとんどの本、テレビ番組における「偉人」は「編集された理想像」であります。
たとえ立派な事ができて、聖人君子のような真似が紹介されたとしても、徹頭徹尾善人であり続けられる人間は、私はまずいないと考えております。
そのような時に、例えば私が有名になった時に、絶対人々が勘違いしないように、ここに「編集されたクズっぷり」ってのを書き記しておきたいと考えているわけです。
その理由は絞られております。
「俺でもできたんだ。てめぇらごちゃごちゃ言い訳してるんなら許さねぇぞ」
ということと、その逆。
「誰でも、こういう場所に這い上がることができる。可能性を狭めているのは他人でも環境でもなく、ただ自分だけだ」
ということを身をもって世の中に知らしめたいがため、超ダラダラとやっているわけです。
でもですよ?
私、先ほども申し上げたように絶対上に行けるんです。
だって今ライバル次々と脱落しているんですもの。
もう愉快な思いと同時に、色々同情すらも及びもつかぬ気の毒なことが多々起こって、この分野から去っていくわけです。
そうなると、私が勝つに決まってるじゃないですか!
若い世代も沢山上がってきているけれど、どうせほとんど脱落する。
もうわかるもの。
ここに骨を埋めたがるヤツって、まずいないことに。
ほとんどすべての人は承認欲求のためにやっているってことに。
だから、みんな脱落していくし、「職業」として捉えるから食えないことに気がついてやめていく。
これ、「職業」じゃないんだよ。
自らの生に対する最後の、最も強い葛藤の表出なんだ。
みんなやめる。
みんな去る。
この世界が何かもわからずに。
夢だけ抱いているならさっさと去れ。
この世界では英雄は絶対生まれない。
ただ命をおろし金でこすり続けて、そのおろしたものを表現にぶつけるやつにだけしか、この世界の価値は見つけられない。
だから、頭狂ってていいんだよ。
それくらいがいいんだよ。

これは「職業」じゃないから、僕は一生「自称作家」でいる。
だってさ、その才能を信じ続けられた人って自分しかいないんだもの。
つまり信じ続け練磨する人間も自分しかいないんだ。
わかったかい?

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。

気が付いたら他人からとても褒められる娘ができまして、人生が大きく変わりました。
この小さな可能性と向き合うため頑張って生きております。

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