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あさかぜさんは見た

日記

03/01

Sun

2015

一つ場所が違えば素人になる

題名をそのまま解釈すると当たり前のことなのですが、この当たり前、しばらく感覚として忘れておりました。
色々新しいことをやり始めているのですが、10歳以上年下の方から色々怒られたり注意されたりしながら頑張っております。
文章のことなら色々言うこともできるし、年の功で少しなりとも知っていることはあるのですが、文章以外の技術面となるとそうもいかず、たとえ知っていたとしても、できる技術を持っている人間の方がはるかに凄いわけです。
そして、世の中自分よりも何かしら優れた能力を持っている人たちによって支えられていて、自分ではできないことをやっている人たちの活躍によって今の自分の生活もあるわけですね。
なので、たとえいくら年上だろうと、その現場の中に自分が入ってしまえば50歳だろうと60歳だろうと「新人」として扱われ、できなければガンガン怒られるわけですね。20代の人たちに。
それで、彼らだって年上の扱い方って凄く困るはずなんです。私も最近若い人の扱いに困っております。私の場合はちょっと批判的な事を言うと敵視してくるほどの勢いで不満を抱く人が多いということですかね。君たちちょっとのこともダメなんかい、みたいな。
年下の子たちは年上の人たちをどう思っているんでしょうね。昔は私も大人を馬鹿にしておりましたが、大人になって交友関係が広がってくると、すげーーーー人が結構おりまして、足元にも及ばぬ人もちらほらいたりして、本当に視野の狭い子供だったんだなと思いますが、もしかしたら、今の子供たちも当時の私と似たような思いを抱いて見下しているのかもしれません。
でもなんなんだろうね。あの若い頃に抱く意味のない根拠のない自信。何の行動もしてないのに湧き上がる自己陶酔感。私はそういうのなくなっちゃったんですけど、不思議ですね。
今はどうしてなくなったかっていうと、そりゃジャンル一つ変えればたちまち素人になるからですよ。文章のことに関しても、もうどうでもいいって領域にまで来てますからね。作りたいもの作る。そして創作ってものに集中する。取り囲んでいるすべてのものを含めて創作ですから、他人の言葉も反応もすべて含めて創作だと思えるようになりました。だから自分なんて、ある意味どうでもいい。
今色々苦労しておりますけど、なんか泣きそうなくらいケチョンケチョンで、少し自信なくしかけております。でも、なんとなく忘れてた感覚だなぁと思い返しております。
新しいことをやれば新しい発見がある。その自己への他者への新しい発見がとても楽しいかなと思っております。
挑戦ってほどでもないけれど、苦労は買うべきだし、買わないと心の負債が増えていく気がして、心がどんどん弱くなって人にただ口先だけ動かす人間に成り果てる気がして、そういう人間にはなるべくならないように、日々勉強です。

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02/19

Thu

2015

恐れているほど自分は変わらない

ダメなタイプってものの中に、妙な細かいところにこだわりすぎているというのが挙げられる。特に何かに影響を受けすぎていて、人に伝わらない細かさにこだわり続け、「伝える」ということをまったく無視している人。
 伝えたらどのように解釈されるのかの想像力がなく、他人に伝える実践が少ないため、余計に独善的な事を繰り返し、ドツボにはまっていることにも気がつかない人。
 結構この手のタイプは多くって、自分は間違っていないとこだわっている人が多い。
 残念ながらそれは自信のなさの裏返しであって、どんなにスタイルを変えようとしてもやっぱり自分というのは残る。

 それで、自分を変えることに恐怖を抱いている人がいて、自分が自分でなくなってしまうのではないかとやってもいないのに尻込みする人がいるけれど、別人になるという発想でいるからできないのであって、「適応力を鍛える」とすればなんら問題はない。
 世の中で生き残るためには「相手が欲しいものをさっと作れる」能力が必要だ。
 その能力は達人レベルじゃなくてもいい。大満足というレベルじゃなくてもいい。相手が普通にしていられる程度のレベルでいいのだ。それをうまくやれば生き残れる。
 ただ、どうして独善的になってしまうかと言うと「対話」をまったくしないからに他ならない。だって与えようとしている人の話も何も聞かないで、ただ自分が努力し続けたからってどうにもならないところがある。
 たくさん人の話を聞き、その話を沢山蓄積できれば、普通に情報は処理されていき、自分と他者との妥協点は見出せる。そこに商売のコツはあるし、生きたいくためのヒントがある。

 私も文章上では偉そうなことを並べ立てているが、別に自分が正しいことを言っているという自覚は一つもなく、たぶんどこかで間違っているのだろうなという意識は常に持っている。
 それでも、まずはやってみないことにはわからないし、自分の中の体験として色々蓄積はあるものの、腐っても創作に携わっているので、時代によって考え方も変わってくるだろう。

 さて、例えば文章でどうしてもダメな人の中には、特に強く影響を受けた作家の文体に引きずられる人がいる。構成とか、人物設定とか。
 無意識に「こうじゃなきゃいけない」みたいな考えが強くて、そのこだわりを捨てると自分のスタイルを見失う弱さがある。
 新しいことに挑戦できない、もしくは変えられないというのは、逆を言えば引き出しの少なさをモロに物語っていて、普段何しているかと言うと、趣味の領域から出ずに、その領域でずっと楽しんでいる。
 新しい知識を入れること、強いて言えば自分がまったく知らなかったジャンルを知っていくことは最初は大変苦痛だし、自分の思い込みが強ければ、思い込みを裏づけする資料のみを探し出すという了見の狭いことしかしなくなる。
 好きなものばかり集めてもいいものはできない。ダメだと思うものも一旦自分の中で受け入れて処理する必要がある。つまりは、ダメはダメでも「何故ダメなのか」を感情をまったくいれずに考えられるようになると少しは見えてくるものがある。
 当然一つのものばかりを考えてもいけない。本当にダメなものというのは、最低でも20くらいのサンプルを集めてようやく見えてくるものだ。
 その点、いいものは結構たくさんある。大小こだわらないのであれば、発想を変えるだけで、いいものは見えてくる。
 いいものというのは完成されていなくてもいいのだ。むしろ完成されたいいものというのは時間を止めなければあり得ない。
 自分に劣等感があれば、いいものを見つけるのは難しい。そのまま自らのコンプレックスを刺激する材料にもなりかねないから。
 でもね、世の中捨てたもんじゃないと思う。何も変わらない人生を送っているのならば、見知らぬ誰かと懸命に会話をすべく、外へ外へと出て行くといい。
 大丈夫。恐れているほど自分は変わらないし変われない。
 必要だと思ったら懸命に努力して変わっていけばいいだけの話だ。

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01/18

Sun

2015

何度も辞めようと思った

今文章を書いたりして作品を作っている。
一昨年あたりから発想を変えてグループを作って作品を作るようになった。
今でも思うが、大変な事だし、何度も何度も辞めようと思った。
馴れ合いの中ではいい作品が生まれなくて、そしてお世辞を受けても改良点がわからない。
何よりも自分で欠点がわかってしまうから、嫌な気持ちにしかならなくて。
納得できるいい作品を作りたい。
そしてその上で感動してもらいたい。
いつも夢を見ていたように思う。
辛くて、やっているふりをして、目をそらし続ける。
結局行動としてできていなくて、すべてが先送りになる。
こういうことを繰り返して何年も過ごしている。
だがこれは自分に対しての裏切りだし、何よりも、生きている価値をただ「夢想」で作り上げているだけなのだ。
これではいけないと思う。
色々な話が少しずつ進んでいて、よい方向に向かえばいいと必死にしがみついている。
とにかく、もっと自分を苦しめて行為の中に置いていかなければいけない。
自分の言葉が薄っぺらく、机上の空論にならないためにも、ちゃんと実践で自らを鍛え上げていく。
一生、辛い思いをして、そして孤独の中に身を置きながら、進んでいかなければいけない。
人は欲望に負ける生き物らしい。
自分の弱さを何かに転嫁しながら、薄っぺらな正しさを正当化するものらしい。
今でも辞めたいと思うし、何度も思ったし、辞めたら自分に価値がなくなるから死んでしまいたいなぁと思うこともある。
だけど、まだやれるかなと思うし、もどかしい、本当にもどかしい状態を続け、我慢に我慢をし続けながら、一つ一つしっかりとやっている。
これがどこに続くのか、これが何を作り上げるのか、自分にもわからないけれど、自分にしかできないこともあるのではないかと、手段尽きるまで必死にやろうと思っている。
もちろん、考えるだけではなく、実践しながら。
精神は弱りはするが、死に絶えるまでには至っていない。
その「熱」ある限り、が大事なのだ。
その大事さを多くの人は大小優劣で否定することがある。
もったいないことだ。

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01/03

Sat

2015

足りないが吸収している

苦しみが足りないと思う。
こんな自分では立ち行かないと思う。
苦労が足りない。努力が足りない。
自分は自分にどこか満足した瞬間を一度でも味わいたい。
才能はあると感じている。だが知識が足りない。教養もない。
学ばなければいけないことや引き出しを増やさなければいけない。
体力も増やさないといけない。
五感を鍛えなければいけない。
いい酒で酔いたい。安い酒じゃ頭が痛くなるぜ。
ガンガンして、ただその場をやり過ごすだけの、酷く体裁を整えただけの、まがい物の泥酔。
それで満足している場合じゃない。
生活よりも、生きていたい。
生きている実感が欲しい。
ただ、それを求めたい。
今の自分を脱却して、早く生まれ変わったような場所へと行きたい。
そのためには、足りない。
苦しみも努力も何もかも。
だから、死にたくなるほどの苦しみが欲しい。
道は確実に見えている。
そして、その準備もほぼ7割ほど整いつつある。
2年でここまできた。
この1年でどれだけ進めるか。
それが勝負だ。

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12/04

Thu

2014

思いは招く 株式会社植松電機 植松努社長のスピーチ



ちょっと考えてしまったのは、大人の「可能性を潰す言葉」というのが、子供に対してどれだけの深い傷を負わせるかということだった。
本当にいい大人が目を潤ませ、唇を震わせ、傷ついたことを素直に公衆の面前で語るというのは、よほどのことだ。
そして植松社長は、汚いこともやってきたのだろう。
酸いも甘いも経験してきた今だからこそ言えるようになったことなのだとわかった。
若いっていうのは、それだけで可能性だ。
他人が成し遂げられない何かを常に持っている。
つまらない大人はつまらない子供に育てようとするし、自分のつまらなさを年下の世代に伝えようとする。というか、日常で語りだす。なんでだろね。
これは例外なくそうだったし、世界観の狭い人間はそれ以上の広い世界を見ようと努力することはなかったし、常に自分の世界の中にこもろうとしていた。
でも、子供はそれがわからない。
大人が言っているんだから確かな事なのだろうと思うし、私も思っていたし、相当傷つけられたし、今じゃ性格がひねくれまくってて、あまりよくない大人になっている。

何かに挑戦し続けることはとても大変な事だし、そして理解も得られない。
他人がいいよいいよと言っていることは、大抵誰かがやっていることだし、そのいいよをやり続ける人しかいなかったら完全に閉鎖的な社会が出来上がるし、進歩はなくなる。
新しいことをやる人は常に好奇心の塊で、新しい発見をできることに喜びを見出している人たちだ。
この手の人たちって目が輝いているし、ワクワクするようなアイディアを沢山持っている。
そして不思議とやったことがない人は、自分ができないフラストレーションかコンプレックスかを絡めて、「それは無理だ」ということや否定的なことを言う。
以前勘違いしていた人がいたけれど、個人の問題と、他人まで巻き込む問題を一緒にし、ここの線引きがハッキリ出来ておらず、個人で夢を追いかけるのならまだしも、他人も巻き込んで、後のことは知らないって人がいたけれど、ようはね、周囲のよくない感情を引き起こしてしまう人はどうしてもどこかでその支払いをしなければならなくなってしまう。
人生のどこかで、ツケのようなものを支払うことになる。

人の希望を応援することは大変な事だ。
何をしてもよいということにはならないし、よく考え、よく実行し、そしてよく反省して、そして考え改良し実行するの繰り返しだ。
社長の言葉の中にもあるけれど、死に至らないセーフティーネットとなるのが学問であったりする。
知識は行為の中にあってこそ磨かれる。
ただの飾りであったり、知っているだけでそれ以上学ぼうとも見ようともしない人間を、学問は裏切っていく。
ただ、学べばいいということでもない。

様々なよくない感情が渦巻く中、成長中と自らを鼓舞できるのは強い人間だとは思うけれど、それでも夢を本気で追うことは、ただ惰性の中にいるよりもずっと楽しいし、誰に批判されても、自分の中で何かを確実に見つけている。
その見つけ出したものが、宝石となる。
よりよい人と繋がるための魅力的な輝きになる。
そして出会うべくして、人と人とは繋がるのだろうと言うことを、多くの経験から学ぶのだろうなと私も思っている。

私は少なくとも死ぬ間際に自分の人生に公開するのだけは嫌だ。
看護師が看取った人間の中の後悔で一番多いのが「自分の好きな事をもっとしておくべきだった」「自分にもっと正直であるべきだった」という類のものが多いのだそうだ。
それだけ押し殺して、何かの事情を借りながら自分を生かしているのだろう。
私はそれができないから、だからやりたいようにやるつもりだ。
自分のできる範囲を広げながら、なるべく返せるように、生きていくだけだ。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。

気が付いたら他人からとても褒められる娘ができまして、人生が大きく変わりました。
この小さな可能性と向き合うため頑張って生きております。

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