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あさかぜさんは見た

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06/13

Thu

2013

ろくでもない息子でしたが

母親は我慢を続けた。
父親は感情に勝てずに当り散らした。
息子は優柔不断で何も決められず言い訳ばかりで鬱になった。
やがて三者は各々の背負ったものをあふれ出させる形となった。
母親は壊れ、父親は狼狽し、息子は停滞し、やがてその形が上手い具合に収束へと向かった。
母親が安定し、父親は考え直し、息子は最後の思春期の鬱憤を晴らした。
息子はまだろくでもないが、父は病気で自分の体と命とを考え価値観を改め、母親は頑張って琴の練習を続けながら祖母の介護を続けている。
ろくでもない息子だということはここにずっと書いているし、実は父親はこのブログの存在を知っている。
ちょっとしたトリックはあるけれど、わりと本音のようなものに近いものを垣間見れるのは私たちの間ではここしかない。

先日、変なブログを書いたというか、なんだか文面では死にそうな勢いだからちょっと心配してくれたようだった。
言葉にこそ出さないが素振りで出る。
こんな自分でも、心配してくれるのだなと深く感謝したい。
私たち家族は、これも何回か書いたが、運よく今いい形でまとまっている。
あれだけぎくしゃくしていたのが、横目でもきちんとお互いのことを心配するような仲になっている。
長い時間がかかったけれど、運という言葉を書いたけれど、父は状況の改善に努力した。
母もとても強い精神力を示した。
残るは自分だけだ。

親も老いていく。
昔のような若い時の覇気は柔和になり、人が丸くなっていく人がほとんどだ。
年を取ると中年に思っていた「死」とは違う形で現実味を増す。
だから、残りの人生を真剣に考えたりする。
たまには嫌味を増し、後悔や鬱憤ばかりでどんどん嫌になる人もいるけれど。
でもね、親は親。
自分を作った人。
この親いなければ自分はなしと思える部分が良くも悪くもたくさんある。
もう自分の中で「これは親のせいだから」なんて思う部分は、もう何もない。
もう30過ぎた人間がそんな見苦しいことを言うのは、ただの阿呆なんです。
30過ぎて思春期やっているなんて酷いにもほどがあるしね。

本当に子供のことどうでもいいとか思っていたら無視しているだろうし、潰れるほど攻撃的なものを向けてくるもの。
血が繋がっているって、色々な映画にもあるけれど、どんな酷い家族であっても、妙なところで変な気分が浮かんでくるものなんです。
人は感情の生き物で、思考の生き物だから、わからんもんはわからん。
どんなに言葉で説明してもすっと入ってこずに何もかもはねつけてしまうことはある。
でも伝え合いの先に、ぶつかり合いの先に、傷ついてボロボロになった先に、何かふっと見えてくるものもある。
自分には責任はない。お前のせいだ。
そう考えてしまう時期だってあるでしょう。
でも人間どこかで丸くなるものなのです。
苦労していれば、ね。

私はろくでもない息子ですが、しかし誰も救ってくれないほどろくでなしではありません。
ろくでもない生き方をしていますが、しかし変化がないわけではありません。
長い年月をかけて、また少しずつ変わっていくのでしょう。
そんな悠長な暇などないのかもしれませんが、人物的な小物臭を払拭していきたい。
しかし騙ることはあるでしょう。
なぜなら語りをやっているのですから。
何かとご心配おかけいたしますが、私は死なないはず。
上手く生きていけるはずです。

道は変な風に外れてしまいましたが、笑いかけてくれる人はいます。
ありがとうございます。
何かと気にかけてくださって、本当にありがとうございます。
未来を潰さぬよう、頑張っていきます。

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06/12

Wed

2013

死にたくなるようなほどの泥

吐き気でぐるぐる世界は回ってやがる。
罪人は罪人。
前科者は前科者。
レッテルを貼られて貼って貼り返されて、憎しみは収まることなくやり取りされる。
ぼんやりと天井を見上げれば胃酸がぐいっと上がってきやがる。
まるで嘔吐物にまみれて泳いでいる。
自分と、他人と、会ったこともない知らない誰かの吐瀉物を、体に受けて泳いでる。
これは当然なのか、そうではないのか、与えたものが返って来た証拠でもある。
身分相応の憎しみを受けて、身分相応の場所に落ち込んで。

過ちは自分の中にこそある。
望むものが都合よく手に入ることなどない。
自分が弱いからこそ他人の人生や精神を傷つけることを行った。
結果、それだけだよ。
他のすべての言葉は言い訳でしか過ぎなかった。
そうでしかなかった。




追記:
そもそも異常なのは年下の連中に向かってわめきたてているってことだ。
イカレテル。
出来るものなら、償いはする。

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06/03

Mon

2013

コトノハ ツラツラ

・何かに挑戦しているんだったら、ボロボロになるんじゃないの? 無様な姿になって、それでも立ち上がってさ、そういう風になって、挑戦してるっていうんじゃない? だって、挑戦ってリスキーなもんじゃん。これ守りに入ったら結構いかんってわかったよ。途端につまんなくなるもんね。じっとしてなきゃいけない時もあるけど、そりゃちょっと守りとは違うなぁ。期を見るってやつだろうね。

・どうしても自分の中の世界だけでは生きていけないわけですよ。子供の世界観の崩壊っていうのが、大人になったら必ず訪れる。いつまでもそこにしがみついていたら、目も当てられない大人になっちゃうっていう。年取ったら年取ったなりに普通に子供と話が合わなくなるのは当然だよね。それをですね、まだ自分は若いとか精神年齢幼いと同年齢の人とだんだん釣り合いが取れなくなったりして、やたら年下に走るとかね、成熟してきたら成熟したなりの仲間内ができるのが年を取るってことですよ。時間が経てば状況は変わってくる。特に家庭を持ったり子供が出来たり、未成年の頃には想像だにしなかったことが周囲の変化として確実に見えてくる。だからこそわかる未来っていうのもあるし、当然そういうものを含めて大人として扱ってあげるのが付き合いってやつだと私は思うけれどね。

・大人になってそれなりに身についてくるものがあったら、守りたくなるものが出てくるのも当然なんですよ。で、だいたいその守りたいものって、結構必死になって守りたがるよ。だって自分の人生に直接関わっていて、それを失うことによって未来は大きく変化すると痛いほど実感している。だから必死になるの。のらりくらりと守りたいですなんなのって、いつまで経っても動けないのは、それは割と真剣じゃないんですよ。願望とか期待の類でね、結構遠くから見ている。身近なものとして感じていないから、本人はやっていると思っていても、周囲からはやってるつもりなんだろ、とか、酷い時にはやってないとか、そういう手酷い評価になる。これって努力と似たようなものだよね。他人にとって見えないものや感じないものは評価に値しない。こんな風にシビアに考えたほうが自分の素直な姿が客観的に見れるよ。

・人が離れるには理由があるし、人が集まってくるにも理由があるんですよ。特に注意して考えなきゃいけないのは、人が離れていく理由なんですよ。だいたいそれは自分に大きな欠点がある場合がほとんどです。人が集まってくるっていうのは、ちょっとやっかいでね、必ずしも好意的な理由で集まってくるとは限らないからね。よくない感情を持って集まる人だっているからね。自分に合う人を探すよりも、尊敬できる部分を持っている人と接しながら、その人の良い所をよく観察するのがいい。万人に対して万能に接するっていうのは理想だけど、それが出来ている人って、だいたい凄い人だよね。特に自分に対してよくない感情を持っている人って人を責めやすいですよ。何か憎しみや後悔が沈んでいるんでしょうね。こういう負の感情に気をつけていかないと、無意識にぽろっと出ますからね。凡人はこういうとこ注意すればいいんじゃないですかね。

・楽に生きる方法はないかもしれないけれど、幸福に生きる手段はたくさん存在しますよ。だから苦労も心に積み重ねる必要がなくなってくる。報いっていう言葉あるけど、これいいことじゃなくて悪いことも含むんですよ。そういう意味で人間って絶対報われますよ。

・相手に悪いところがあったとして、それを指摘できない親友がいたとしたら、そいつは君の事あまり真剣に考えていないか、痛い目に合うまで黙っていたほうがいいかの、だいたいどっちかだと思うけど。でもそういうのって親友とは呼ばないわ。特にさ、自分も救われたいとか甘やかされたいとか、どこかでそういう気持ちあったら、絶対指摘なんてできなくなるよね。あとね、よくいるのがね、自分もそうなんだけど自分が思っている理想を押し付けてくる人。この「理想」の言葉と「経験上の言葉」って結構混ざってくるから頭使って聞かないと、選別難しいよ。リング上の選手に向かってやたらとわかったふりして言う人もいるよね。もし君の周囲によいアドバイスをしてくる友人が一人でもいるのなら、その人は絶対大事にしたほうがいいよ。そういう人こそ人生の宝になるんだもん。

・それしか手段がない、とか考えると、本当にそれしかなくなってくるんですよ。もしそれでドツボにはまってきたと思ったか、悪くなってるとか、状況が改善しないとか思うんだったら、一旦その考えから即座に離れることだね。そしてなるべくアイディアに目を向ける。これは意見のことじゃなくて、発想とか、発明とか、一見関係なさそうな物事に目を向けたりするのがいい。執着すればするほど、離れられなくなる。思考が捉われると思考の不自由さがそのまま人生の不自由さになる。

・君は不幸なわけじゃないんです。折り合いがつけられず生かす手段を身に着けていないだけなんです。人間一生未熟ですけどね。どうやら人間って一生恥ずかしいところ歩いていくみたいですよ。それでも笑えるようになったら明るい人生なんじゃないですか?

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06/03

Mon

2013

頭がパンクするのです

札幌に帰ってきて札幌でなんとか仕事を見つけ、そして京都で色々合ったことで心がパニック状態のまま4月を過ごし、5月にはなんとか落ち着き、ついに私の誕生日がある6月なのですが、まあ仕事先では「頭が悪い」とか「ほんっと馬鹿だな」なの、最初小学生と言われていたのが今では「幼稚園児でも一回言ったらわかる」とか、「仕事にやる気が見られない」とか「お前それでも30過ぎてるんだろ」とか、「犬とか猫の餌だもんな」とか、さんざんなことを言われていつも帰ってくるのですが、こちらプライベートでは声で色々やりましょうって言うことになり、ほんのちょっとずつ声で演技をしたり歌などに挑戦したり、まるで青春が戻ってきたようでございます。
なんせ体重だって3,4年前まで92kgあったのが、今は70kg前後にまで落ちて、実に高校らへんぶりに見るわけですよ。10の位に6の文字が見えたのは。
高校時代。うん。ちょっと病んでた。
でも今はあそこまでじゃないからいいか。
さて、やってみて色々わかることなのですが、この世界には「録音技術」とか「MIX技術」というのがありまして、さらっと聞いている高音質の声などは手馴れた方が知識を持ってやっていらっしゃるのです。
言われれば当然なんですが、それを自分でもやらないといけないっていう。
もう何屋だかわからなくなってくるっていう状態です。

自分の場合悪い癖がありまして、あれとこれとそれが一気に重なると、どれからやっていいのかわからなくなり、とりあえず右往左往しながら時間を浪費するっていう、頭のキャパが酷く小さくいつも困っているのですが、ごめん、言い訳すると結構精一杯。
でも一生懸命やっていると、「ああ、ここがまた壁なんだ」と見えてくるものがあり、今年掲げた「壁超え」がたくさんあり、なんとも楽しいものです。

声のことをやろうというのも元々暴言から色々始まったことなのですが、もう一つあるんです。
「だったらお前がやってみろ」と、何回か言われたのですが、その中に自分が発言したことで「うまく繋がりを作れば正規のルートを無視することも出来る。自分の努力次第でチャンスはいくらでも作れる」みたいな内容だったような。
あくまでチャンスだけなんですけどね。
その先の話はもっと色々な要素が関わってきます。
例えば京都で過ごしていた時、その人の知り合いの知り合いぐらいにもう有名人とかいて、じゃあどんどん人の輪を広げていけば、普通に特別そうに見えていた立場の人にも出会って友達になれるんじゃないかと、ふと考えたわけですね。
でも実際一年くらいかけていけば、なんとか別のコミュニティにどんどん入っていけそうな気がするんですよね。私なら。
HPもシナリオも小説も声もMIXもしなきゃいけないし、とにかくこれらのことは全て自分の未来に繋がるということで、頑張ろうかと思うのですがね、歌なんて録音したら荒が目立つ目立つ。
何が違ってきたのかなと思ったら、きっと昔より肺活量が減った。
ずっと家にいたせいだ。
どうすればいいのかな。
走る? 朝とか走りこみやる?
体力の衰えとかを感じている場合じゃないし、体作りからか……何だかすごいことになってきたぞ。

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05/28

Tue

2013

夢だったことを語る

声で色々やっていると、仲間の中に声優を目指していた人や演技を練習した人もいます。
その中の一人が母親に「声をしてる人はこの人で、アニメやキャラが違う……それがどうしたの? なんなの?」と言われ妙に冷静になった、と言った。
多くの人は何のためにそれになるのだろう。
成りたいものに成って、なんだというのだろう。
冷静になると、そうすら感じるのかもしれない。
自分の場合小説書きだが、こういうのは一種の病気みたいなもので、治るまではずっと病にうなされ続ける。
閉じられた世界というのは、その世界独特のルールや慣習が勝手に発達していて、外部から入ってきた人間にはとても馴染みにくく、苦痛であり、理解しがたいものが多数存在する。
閉じられた世界は「モラルハラスメント」が当然のように横行する場合が多い。
ある一部の上の人間がそうなら、下のほうに浸透するというわけだ。
一人でも二人でもいれば、嫌な雰囲気が出る。
そして、これは小説のことでも何度も書いているが、例えば芸人がテレビに出てきて売れる。
その下に一体どれぐらいの人間がいるのか、普通の人は考えない。
そのことを踏まえ、自分を研ぎ澄ますとはどういうことなのか。
これは「比較」のことではなく、「自分が誰よりも優れているのは、どの点なのか」を考えて、自らに集中し続けるという、ある一種の「不器用な鈍感さと器用さ」が必要だ。
どうして自分は小説を書いていきたいかというと、夢を叶えたいからじゃない。
もう「夢を見ていた頃」はとっくに過ぎて、もう覚めても冷めてもいるけれど、病的なものは取れない。
書きたくなる。
書かなきゃいけないと思うようになる。
これは一体なんと形容すればいいのだろう。
情熱だろうか。
習慣とも違うし、ふっとひらめいたものを表現したくなる。
じゃないと欲求不満になってしまう。
じゃあ、ストレス発散だろうか。
いや、創っている最中は苦痛ばかりなのに。

夢は覚めてから見るのが一番いいと思っている。
現実を知って、そこから初めて夢が見れるような気もする。
そして夢を叶えるには、ある特定の精神などの条件を整える必要があって、それがなければいとも簡単に落ちて、落ちたまま這い上がれない。
ちょっとしたテクニックなのだけれど、ちょっとした訓練が必要になる。
それは自分の心理的壁とそこから生まれてくる現実をぶち破るためのテクニックになってくるのだけれど、これを我流で会得するのはなかなか難しい。
優れた人間のよいところを真似をするのが手っ取り早い。
そして集められた他人のよいところは、気をつけていけば自分のものになっていく。
今は批判や非難ばかりで、まるでこの世界の人間がすべてダメみたく見えてくるけど、ああ、自分もやってたしね、本当、たまには褒めないと、心が荒んでくるよ。
見た目いくら落ち着いていても、汚れていたらいい人間は集まってなど来ないし、集まって来ないからこそ、また汚れたところに引き戻される。

自分だけの夢、なんていうものは存在しない。
誰か他人に分け与えられてこそ夢は叶えられる。
その夢を素敵だと思えるからこそ、誰かが応援してくれる。
夢はそうやって大きくなっていく。
それは極めて現実的な作業で、自己中心的なものでは絶対に成り立ち得ない。
だからこそ、夢は覚めてから見ろ、ということになる。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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