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あさかぜさんは見た

日記

08/02

Fri

2013

「自分の殻にこもるな」と言われるけれど

よく目上の人が言う言葉で、年下の人が言うということは滅多にない。
自分よりも年齢が上の人の場合、自分の殻に閉じこもるうんぬんというよりも、「こいつはダメな大人だ」と判断するのがほとんどだからだ。
で、年下の人にこの言葉を使う場合、「なんで自分でダメだと思っていることを繰り返さなくちゃいけないのか」というのは最も余計な親切心で、低いところは「自分が気に入らないことをやっている。お前は早く俺の気分を害さないようにしろ」というところまで幅広く使われる。

親切な場合において考えるなら、だいたいこの言葉を使われるのはせいぜい20代までだろう。
30を超えてしまうと、「あんたまだそんな大人なんだね」という、表面上はにっこりとされながれも、「しょうがねぇやつだな」と心の中で思われる残念な関係しか紡げなくなる。その言葉さえ使われなくなるっていう。
そうなると同類同士でしか話が通じ合わなくなるという状態を生み出す。
つまり、世界観は広がらず、同じことの繰り返しの中で、グチは言うが改善はされず、問題提起はするが自分でリスクは負わず、私は一生懸命生きているし仕事もしているという自負心の中でアイデンティティの崩壊を防ぐという最も消極的な心持ちの中に落ち着かざるを得ない人生に身を任せることになる。
そして、そんな自分の状態に対し周囲と比較し、自分よりも下の人間を眺め、まだあいつよりかはましだと思いつつ、居酒屋では「あいつはこういういいところがあるけど、でもね・・・」と二の句を告げるときには自分よりも劣っている点をあげつらい、その日の鬱憤をぶちまけて、次の日の仕事に望むという、「流し作業」がアフターファイブの慣習になってしまうという、まことに残念な日々に対して、まったく何の疑問も持たなくなるほど不自然さを許容してしまう精神になるという恐ろしさを抱えることになる。

どんな人間も、自分が苦労してきて、ある程度通してきたものは認めて欲しいものだ。
年上が年下の人間に対し「自分の殻に閉じこもるな」という言葉の中には、自分が生きてきた人生の中で、ひとまずお前のような状態のやつで生き残れた奴は少ないという警句が差し挟まれている。
まあ、長い目で見てこそ、の言葉なのだが。
だからと言ってその言葉が全て正しいわけではなく、まったく間違っているわけではないところが恐ろしいところだ。
若い人なんて短期で見てるから、そんなロングランで物事をみる人間なんてそうそういるわけじゃない。
だから判別うんぬんよりも前に、目の前の目新しい経験に食いつくのは当たり前のことだ。

だが、よく考えてみよう。
まず私に限ってだが20代前半の頃は「自分の殻に閉じこもるな」と言われたとしても何のことかわからなかった。
自分は一生懸命生きているし、精一杯やっているし、悩みまくってるし、殻に閉じこもるとかそんなこと考えられる余裕なんてねぇんだよ、どうして自分のことわかってくれないだ、お前ら、俺の苦しみがわかるかと、声高らかに言いたかった。
そして自分が年をとって、その状態から抜け出すと、似たような状態の人を見て「自分の殻に閉じこもっているんじゃない」という内容のことを伝えている。
これは何としたことか。
もしかしたら優越感を抱きたいだけなのではないかと思うほどだ。
しかしどうやら自分だけかと思ったら、結構この手の「説教」をしたくなる人間は多いようだ。

私たちは切羽詰っている時ほど、他人のことを考えているようで自分のことしか考えていない。
適切かつ相手のためになるようなアドバイスをしていると思い込んでいるのは自分だけだったりすることは結構ある。
そんな時は、たいてい相手の事を無視している。
かと言って相手が自分のことを考えてくれているかといったら、ほぼNOに近い。
投げっぱなしのやり合いで終わってしまうことがほとんどだ。
それなのに何故「自分の殻にこもるな」なんて言葉が出てくるのか。
もしかしたら愚痴を言いつつ、自分を嘆きつつも、実はその場所が大好きなのかもしれないのに。
そして、余裕がある人間ほど、相手が「必要」だと思ったタイミングを完全に見極める。恐ろしいほどに。

人の基本的な姿勢とは、必要ではないものは必要ではない。
つまり、「殻」とは「障害」や「限界」や「能力」や「個性」のことを意味する。
「閉じこもるな」と言われたとき、何のことかわからないってことは、自分の限界を超えなければいけない必要性などまったく感じていないし、超えたところで何に生かせるのか、まったくわかっていないのだ。
だから受け入れられないし、理解できないのだもの。
必要性、という意味では、その方向性には興味をまったくそそられない、ということも言える。
私たちは必要としているものしか必要としていない。
正直言って、若い人から言えば余計なお世話だし、目上や年取った人から言えばお前のこと心配しているんだよということを前面に押し付けたいわけだ。

でもね、皮肉な事ながら、ようやく経験を積み重ねて、あの時のアドバイスが正しいことだったのか間違っていたことなのかが判別できるようになる。
悲しいことながら、ほとんどの場合他人から悟らされるのではなく、自分でつかみ取って気がつくしかない。
だからこそ、この言葉の意味が理解できない人間っていうのは、正直言っていつまでも幼稚だということが言える。
何故なら「年相応に見られるものね、人間って」ってやつだからですよ。
それを自分でも気がつかないといけない。

時間は待ってくれないし他人は厳しい。
でも自分のペースで我武者羅に積み上げていくしかない。
そういうところで他人を強く意識して自分の実直な部分を崩してしまってはいけない。
しかし最もやってはいけないのは、自分の不誠実さを肯定して他人を責めることだ。
後は、人の事情をよく考えられる人間になれれば、きっと、その先に見えてくるものがあって、「自分の殻」ってものが「過去のもの」として眺められるようになるんだと思いますよ。ええ。

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07/23

Tue

2013

記憶に残るゲーム PCエンジンCDROMROM

ゲームの話だ。
だから関係ない人にはまったく意味不明の話を展開する。

当時、ファミコンが私の小学生の頃ぐらいに出た。
その出た3年以内くらいに、いや、もっと出た直後かもしれないが、運よくじいちゃんに買ってもらって遊んでいた。
その場所が札幌駅だったのを覚えている。
だから、誰かを迎えにいく途中だったのかもしれない。
買ってから、近くの6歳年上の兄ちゃんが遊びに来ていた記憶がある。
その兄ちゃんは今や社長となっている。

そして、ディスクシステムが出て、それも家にあった。
ファミコン探偵倶楽部、という当時最も印象深いゲームがあり、今でも記憶に残っている。
1,2ともにやった。
スーパーファミコンでリメイクされたが、何故だか演出音楽共にディスクシステムが印象に残るという点では優れていた。
その他、水晶の塔やデッドゾーンなどがあった。
何故か「消えたプリンセス」にくっついていたテープを聴きまくっていたりした。
あまり覚えていないがファミコン昔話とかもよくやった。

その次、PCエンジン。
私はスーパーファミコンには走らなかった。
ファミコンはお馴染みの、ドラクエシリーズやファイナルファンタジーなど、印象に残るものはあったし、SONSONや桃太郎電鉄とか桃太郎伝説とか。
ファミコンはもう、ほとんどストーリーで思い出せるものはない。
でもPCエンジンが出て、ヒューカード形式のものが出て、凄ノ王伝説やネクタリス、邪聖剣ネクロマンサー、その他色々やったが、相当印象に残った。
当時、凄ノ王伝説とデビルマン、これは永井豪の漫画が原作なのだが、そのファミコンで遊びに来ていた6歳年上の兄ちゃんの家にあり、ここで何かしらハレンチなものや残酷なものを覚えて記憶がある。
なにせ、デビルマンなんて、アニメをちらっとテレビで見たときの生易しさと来たら逆にショックを受けたくらいだったから。
コミックのデビルマンは残虐非道そのもの。
拷問レイプ虐殺なんでもありの、人間そのものが悪なのではないかと感じさせる内容だった。

それでついにきたのがCDーROM×2。
PCエンジンと一緒にくっつけて一体で遊ぶという形だったけれど、相当ここで吸収した。
当時母親はゲーム三昧の自分に激昂していたけれど、何せ、CD音源で音楽が流れてくる、ちょっと劣化はしているけれど生の声優さんの音声は聞けるという画期的なシステムだったのです。
ここでスーパーファミコンだったらもしかしたら、運命がちょっと変わっていたかもしれない。
今で言う大御所さんの声優さんがいっぱい出ていて、その演技を贅沢に聞けたのですから。
音楽も生演奏などが合って凄かった。
聞きまくったのがバスティール。
例えばこの曲。



で、こんな渋い曲を聴きまくってた。
そしてYsは4まで出たが、この音楽は本当によかった。
手放したのがもったいないくらい。
日本Falcomは音楽フリー宣言をしているので普通に楽曲を載せられるが今でも音楽チームはいい仕事をしている。



あ、ちょっと脱線するけど、音楽でいい仕事をしていた2000年前までのチームはZUNTATAだ。
TAITOという今ではスクウェアに吸収されてしまった会社になっているが、現在でもギリギリ当時の突拍子もないような冒険心は保っている。
そしてさらに脱線するけどインベーダーゲームここなんですよ!
きゃりーぱみゅぱみゅのインベーダーインベーダの元ネタだってここだってわかったから、私だって「ああー」って思っちゃったもの。
色々思い出しちゃったもの。
そして、もうちょっとZUNTATAの話をさせてください。
ダライアスってゲームがあったんです。
私シューティングが苦手なので、ことごとくグラディウスとかはクリアできないし手付かずでいたんですけど、音楽だけは当時買っていたんです。
特にアレインジバージョンみたいなやつ。
そして偶然G-Dariusのの「未来完了」を見つけて買った。
今でも売れずに持っている。



当時うるさすぎて聞けなかったけど耳が慣れてくるにつれて、喧騒のような音楽が心地よくなった。
不思議だった。
漫画のAKIRAに出合ったような感触だった。
そして「レイフォース」とかのシリーズ。
たぶんほとんど同じ女性が作曲していたように覚えている。
TAMOYOちゃんだったとうろ覚え。



今でもZUNTATAは活動しているし、たまにハッとするような曲を出す。
ここは本当に凄かった。
アレンジバージョンを今でも手放せずに持っている。



なんだったら今買えるZUNTATAものをちょっと聞いてみてちょうだい。
今でもちゃんと音楽を冒険してます。



ようやくCDROM×2の話に戻りますが、タイトルだけ並べるとコズミックファンタジーシリーズはよかったし、クソゲーと言われた中にも結構印象深いものがあって、BABELがある。
プレイ動画がニコニコに載っていたので当時を思い浮かべながら見ていたけれど、これは当時本当に泣いた。
後は同じクソゲーだけどソードマスターとかね。
天外魔境はクリアできずに挫折。
そして私の小島監督との出会い、今でいうメタルギアシリーズのあの人との最初の作品、スナッチャーでした。
人間の疑念を刺激する。
人間はもろい。
人間のからだをアンドロイドがそのまま乗り換えることによって生じる心の作用をネタにした面白い話だった。
今のたぶんモンハンの元ネタは絶対これだと思っているゲーム、LINDAキューブ。
アゲインという名前でリメイクされたが声優の切れっぷりは原作のほうが凄かった。



こちらの演出は優しいしアニメのようにスラスラ動いているけど、もっと青野さんが攻撃的で「サチコっ! サチコっ! サチコでどうだぁ!」と言っていた記憶がある。
圧倒された。
絵が全然でもその演技に押されたのだ。

最近思い出したのが天使の歌。
これは2まで出たが、本当によかった。
1のキャラが2にまで出てきたりして、1のキャラが感動的な終わり方をして。
当時悲しかったものが、幸福なものに思えるようになった。
大人なシナリオもたくさんあって、当時は理解できなかった。
他のゲームだけど「それでも、この人のことが好きなの」というセリフ、今でもアホなんじゃね、とか思うけど否定できないものがあるというか、逆にわかっちゃう部分が多すぎて、同じセリフを吐きたくてもニュアンスが違ってきちゃうとかね。

天使の歌、戦闘シーンとかは飛ばしてください。







ね、今でいう大御所さんですよ。
贅沢な時間過ごしました。

両親ともゲームをする自分には反対していたけれど、このCDROM×2に走ったことで、本当によい時間を過ごしたなと今でも思います。
今だったらきっとこの声優とか音楽のクオリティ保つの本当に大変だもの。
もちろん当時にもクソみたいなゲームばかりあったけど、自分はシナリオがよければゲームがクソでもよかった。
よい贈り物をたくさんいただきました。
本当に本当に。


追記:
ラストハルマゲドンというモンスターが主人公のゲームがあったのを思い出した。
超兄貴で本格的に知ったけれど葉山さんが音楽担当でしたね。
それから超兄貴音楽にはまったんでした。
ラストハルマゲドンはストーリーも奇抜だった。

あと百物語もあった。
稲川淳二の生音声もいくつかあり、ビジュアルノベル形式で百の怪談話を読んでいくというものでした。
左から順番に行くと101話目があり、それが「霊界」に繋がる話でかなり怖かった。
一人夜中真っ暗闇の中でやると、背中が不安でたまらなかった。


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07/19

Fri

2013

君は自身を愚か者だといつも揶揄する

「僕は放浪の痩せ犬ですよ。有象無象のペテン師みたいなものですよ。売れない小説家なんて」
どこぞのバーでのたまって「面白いね」などと言われ知り合いが増えたりするものだから面白い。

「夢に見た。今何をしているのか」
電話が7月1日にかかってきた。
そんな電話は生まれて初めてで、近場だったので5,6年ぶりに会いに行けば、仏壇に飾ってあるばあちゃんの命日で、生前、というか私が本当に小さい頃面識があったので線香を上げてきた。
今を生きていれば自分と目に見えないものとの関係性など無視するし、認識や意識の範囲になど入ってこない。
先祖がいても自分は関係ないような意識で生きられるし、実際宗教的儀式など面倒くさい慣習にすら思ってしまうほどだ。
だけれど、様々な繋がりがあって自分がいる。
そういう「目に見えないところ」で、結構いろんなものが動いていて、そして直接的ではなくとも間接的に大きく自分と関わってくるのだという事を、驚くべきことに認識させられた。
こりゃー、墓参りは絶対にしなきゃいけないなと思うと同時に、血とか血に近い繋がりとかをもっと辿っていきたいとも思った。
そしてその綱を必死に手繰り寄せていけば、必ず望むものは手に入るし、きっと大きなものを協力してくれた人たちに返すことができると信じている。

勉学をしなければいけない、と感じている。
ちゃんとした教養を手に入れて、そして英語で文章が書けるレベルまで自分を高めないといけない。
鳥頭で右向いて左向いたら忘れる有様。
こりゃ酷いなと思っているし、書きたいものも今の頭では満足に高められる自信がない。
そんな危機意識はある。
どう計算しても、今からやっても40は過ぎてしまう。
長い道のりだな、もっと、偏差値とかじゃなくて、自由に高度な学問に触れる機会があれば、いや、欲を言ったらきりがないけれど、挑戦することにもっと寛容であったならば、自分も必要なものをもっと早く認識できたであろうに。
しかし、こんな妄想も自らの弱さから来る愚痴のようなもので、誰のためにもならない。
例え誰になんと言われようと、挑戦だけは生涯しなければ、自分に必要なものなんてほとんど見出せない。
それを教えてくれた京都の子に心底感謝したい。






緩いアーチを描いたカウンターテーブル。
店内の照明は暗いが店員の顔は見える照明。
棚に並べられたキープボトルを見れば、このバーに来る客層が安い客ではないことはよくわかる。
ネットで調べた検索ワード「芸術家 集まる すすきの バー」なんて調べヒットしたバーだった。
でも、そこは芸術家の集まる場所というわけではなかった。
飢えていた。求めていた。誰かいないのか。インスピレーションを常に行動のレベルまで落とし込んでいる人間が集まる場所はこの周辺にはないのか。
そんな思いで直感的に感じた場所を漁るのが最近の趣味のようなものだった。
だがそのバーでがっかりしたわけではなかった。
「4年今いるんです」
という女性バーテンダーに「じゃあ今は24くらいですか?」「いえ、私18の頃からやってるんで今21です」「あ、それは失礼しました」なんて会話をした。
一番最初に選んだ酒は、初めてで何があるかわからなかったのでふと見えた「竹鶴17年」の瓶に「ニッカで何かありませんか?」と頼んだ。
並べられた三種のフレーバーをつけたウィスキーと5種の原酒。
最初に飲んだのは「ウッディー&バニラ」。
ワイングラスのようなものに入ったシングルのウィスキー。
確かに香るバニラのような芳香と口の中に広がる軽いヤニ臭さと、かと言って重くない舌触りと余韻を感じながら並べられた原酒を見る。
次に5年刻みで25年まである原酒の中で真ん中の15年を選ぶ。
15年と言っても、自分の年からしてみれば長すぎる年月。
面白いことに5年から15年にかけて一番濃くなり、20、25年と薄くなっていく。
樽の偶然なのだろう。
「2800円になりますがよろしいですか?」
尋ねられるだけ良心的だ。
自分がいつも出費している一軒当たりの飲み代よりもはるかに大きい。
躊躇なく頼み、「ちょっとくだらない与太話していいですか」と聞くと「いいですよ」と言うので話す。
ダメです、なんて言う店員なんて滅多にいないだろうなんてどこかでわかっていたのに。
「この並べられた原酒見て、正直クラクラしましたよ。だって、5年が一番アルコール臭くて、それで15年で一番濁って、でも、うまみが出てきて、それで25年目になってようやくすっきりと見えてくる奥深い味わい深さってやつが得られるんでしょう。樽による偶然なのはわかりますけど、示唆的過ぎて本当めまいがしますよ。僕ね、芸術関係のことやってるんで、ああ、25年でようやくクリアになるのかって思ったらね、やりきれない思いがしますよ」
20年目が3500円。25年目が4500円。
それだけ年季が入って熟練すれば、それなりのものがついてくる。
正直そんな長い年月を修練のために過ごすのだと考えると精神的に厳しすぎる。
どれだけこの状態でいればいいのか。
自分のことばかり考える。
店員と話が弾み、色々な会話を交わす。
「私占い師に三年以内に結婚できるって言われてるんです。しかも遠方からやってくるって。お客様からいい恋人にはなれないけど、いいお母さんにはなれるねってよく言われます」
「いや、初対面でこんなこと言うのは失礼を承知だけど、あなたの場合理想のようなもので固められてなさそうだからストンと直感的に、ああこの人とならいいって思うはずですよ。だって恋人は恋が終わったらおしまいだけど、いい母親になれるんだったら、そんな簡単に離れることなんてないです。僕から見ても肝っ玉母さんになれそうな、そんな雰囲気は持っていますよ。とっても大事なことだと思います。だって理想で固められたら、こんなはずじゃなかった、もっといいものがあるはずだ、私の本当の姿はこれじゃないなんて、あれこれ考え出しますもの。そんなの絶対壊れるに決まってるんです。互いの苦労を了承できる関係が一番いいと思いますよ。こんなはずじゃなかった、なんてお互い思わないためにも、私は苦労を共にできる、苦労を納得しあえるっていうのが自分の理想よりも何よりも大事なことだと感じています」
僕結婚したことないんですけどね、なんて付け加え、きっとこんな風に好き勝手に酔っ払って、さもわかったようなうんちくを話す酔客など胸焼けがするほど見てきたのだなと思いながらも話した。
本当はみすぼらしい客なのに。
だからこそ、こうやって話術の中に取り込んでいくしか能がないのだ。
まさに「作家」なんてものはどんなところにも転がっていける「虚業」にも似たようなものなのだ。
いや、この場において、そんな考えを持ち出す必要さえなかった。
偶然とはいえ、その場所でよい経験をした。
それは、原酒を並べられたことと、店員と与太話をしたことだ。
その後二件目に行って、色々話をして、冒険する奴はほとんどいないという話を聞きながら、話の中に自分がこうしていることで、いずれ歯車ががっちりと合う日が来ると確信したような一日になった。
世もすっかり白み、明るみの中、家に帰り、行動の意味や意図すらも理解されぬまま、ぐっすりと寝た。
妙な夢を見たような、そうではないような、妙な気分に浸りながら起きる。
目に見えぬ何かは、確実に進んでいるのだと感じながら。
昼頃に起きて、去年録った写真を見る。
自然に笑っているあの子の顔。
作られたどんなものよりも自然で、夜間でぼやけていさえなかったら、本当によい写真だなと思うほど。
作られたものは理想的な「デザイン」の中にはあるかもしれないけれど、自然とはかけ離れている。
いつの間にか、そんな素朴な自然さが大好きになっていた。
「ありのままの姿」を捉えることは今の時代には難しい。
何故なら、情報というデザインの中でほとんどの人間の意識は突き動かされているから。
だから、ぼやけている写真を時間のある限り眺めていた。
その時間が、嬉しかった。

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06/13

Thu

2013

ろくでもない息子でしたが

母親は我慢を続けた。
父親は感情に勝てずに当り散らした。
息子は優柔不断で何も決められず言い訳ばかりで鬱になった。
やがて三者は各々の背負ったものをあふれ出させる形となった。
母親は壊れ、父親は狼狽し、息子は停滞し、やがてその形が上手い具合に収束へと向かった。
母親が安定し、父親は考え直し、息子は最後の思春期の鬱憤を晴らした。
息子はまだろくでもないが、父は病気で自分の体と命とを考え価値観を改め、母親は頑張って琴の練習を続けながら祖母の介護を続けている。
ろくでもない息子だということはここにずっと書いているし、実は父親はこのブログの存在を知っている。
ちょっとしたトリックはあるけれど、わりと本音のようなものに近いものを垣間見れるのは私たちの間ではここしかない。

先日、変なブログを書いたというか、なんだか文面では死にそうな勢いだからちょっと心配してくれたようだった。
言葉にこそ出さないが素振りで出る。
こんな自分でも、心配してくれるのだなと深く感謝したい。
私たち家族は、これも何回か書いたが、運よく今いい形でまとまっている。
あれだけぎくしゃくしていたのが、横目でもきちんとお互いのことを心配するような仲になっている。
長い時間がかかったけれど、運という言葉を書いたけれど、父は状況の改善に努力した。
母もとても強い精神力を示した。
残るは自分だけだ。

親も老いていく。
昔のような若い時の覇気は柔和になり、人が丸くなっていく人がほとんどだ。
年を取ると中年に思っていた「死」とは違う形で現実味を増す。
だから、残りの人生を真剣に考えたりする。
たまには嫌味を増し、後悔や鬱憤ばかりでどんどん嫌になる人もいるけれど。
でもね、親は親。
自分を作った人。
この親いなければ自分はなしと思える部分が良くも悪くもたくさんある。
もう自分の中で「これは親のせいだから」なんて思う部分は、もう何もない。
もう30過ぎた人間がそんな見苦しいことを言うのは、ただの阿呆なんです。
30過ぎて思春期やっているなんて酷いにもほどがあるしね。

本当に子供のことどうでもいいとか思っていたら無視しているだろうし、潰れるほど攻撃的なものを向けてくるもの。
血が繋がっているって、色々な映画にもあるけれど、どんな酷い家族であっても、妙なところで変な気分が浮かんでくるものなんです。
人は感情の生き物で、思考の生き物だから、わからんもんはわからん。
どんなに言葉で説明してもすっと入ってこずに何もかもはねつけてしまうことはある。
でも伝え合いの先に、ぶつかり合いの先に、傷ついてボロボロになった先に、何かふっと見えてくるものもある。
自分には責任はない。お前のせいだ。
そう考えてしまう時期だってあるでしょう。
でも人間どこかで丸くなるものなのです。
苦労していれば、ね。

私はろくでもない息子ですが、しかし誰も救ってくれないほどろくでなしではありません。
ろくでもない生き方をしていますが、しかし変化がないわけではありません。
長い年月をかけて、また少しずつ変わっていくのでしょう。
そんな悠長な暇などないのかもしれませんが、人物的な小物臭を払拭していきたい。
しかし騙ることはあるでしょう。
なぜなら語りをやっているのですから。
何かとご心配おかけいたしますが、私は死なないはず。
上手く生きていけるはずです。

道は変な風に外れてしまいましたが、笑いかけてくれる人はいます。
ありがとうございます。
何かと気にかけてくださって、本当にありがとうございます。
未来を潰さぬよう、頑張っていきます。

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06/12

Wed

2013

死にたくなるようなほどの泥

吐き気でぐるぐる世界は回ってやがる。
罪人は罪人。
前科者は前科者。
レッテルを貼られて貼って貼り返されて、憎しみは収まることなくやり取りされる。
ぼんやりと天井を見上げれば胃酸がぐいっと上がってきやがる。
まるで嘔吐物にまみれて泳いでいる。
自分と、他人と、会ったこともない知らない誰かの吐瀉物を、体に受けて泳いでる。
これは当然なのか、そうではないのか、与えたものが返って来た証拠でもある。
身分相応の憎しみを受けて、身分相応の場所に落ち込んで。

過ちは自分の中にこそある。
望むものが都合よく手に入ることなどない。
自分が弱いからこそ他人の人生や精神を傷つけることを行った。
結果、それだけだよ。
他のすべての言葉は言い訳でしか過ぎなかった。
そうでしかなかった。




追記:
そもそも異常なのは年下の連中に向かってわめきたてているってことだ。
イカレテル。
出来るものなら、償いはする。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。

気が付いたら他人からとても褒められる娘ができまして、人生が大きく変わりました。
この小さな可能性と向き合うため頑張って生きております。

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