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あさかぜさんは見た

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11/24

Sun

2024

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09/16

Sun

2012

ファンへの値段

「千人だな。一人二人じゃしょうがない。千人ファンがつけば食っていける」
という話を札幌の焼き鳥屋のマスターが言っていた。

今京都に居るが大阪が近い。
そういえば、と思い出す。
そもそも、そこの焼き鳥屋のマスターには数年前に会っていたのだけれど、元々は娘さんがやっていた2号店のお店に出入りしていたのがきっかけだった。
そこには大阪から流れてきた元ホストも働いており、娘さんとの間に子供を一人もうけて結婚し、閉店後はしゃぶしゃぶ屋をやりながら暮らしていたが、ある日忽然と姿を消した。
朝起きたらいなかったらしい。
私も「驚くような話じゃない」とは感じたが、マスターも「いずれはそうなるかなと思っていた」と言っていた。
まあ、普通の親とはちょっと違った肝を持っている人だ。

そこの焼き鳥屋、北大の近くなので学生の客などが多く、また長くやっているので卒業生なども来る。
中には数年ぶりに現れてオヤジさんの顔を見に来るお客もいるのだそう。

元ホストの男の料理の腕は、それほど悪いものじゃなかった。
お店を出してやっていけるだけの腕はあり、しゃぶしゃぶ屋を始めたが閉店してしまった。
焼き鳥屋のマスターだって、最初は周囲にライバル店が多く、太刀打ちできるような状態ではなかったらしい。
それが今は新しい一軒家に店を構えるまでになっている。

この差はなんだろう。
忍耐力の差だろうか。
それとも、立地の差だろうか。
人間性の差だろうか。
焼き鳥屋はうまいにはうまい。
サービスだっていいし、ボリュームもある。
学生が大勢で来ても、思ったより高くつく値段設定ではないし、そもそも焼き鳥という食べ物はいつ来ても同じ味が楽しめる。
ある一種の安心感がある。

しゃぶしゃぶ屋は少し値段設定が高かった。
しゃぶしゃぶのセットを頼んでしまうと4000円は最低でも欲しい。
焼き鳥屋は手軽に2000円以内で十分楽しめる。
どちらの店もBSEの問題などにぶち当たっていて、牛を超えて肉そのものへの不信感が高まっている時期を越えている。
差はしゃぶしゃぶ屋は開店しばらくしてだったことぐらいだ。

人が納得する値段設定というのは難しい。
値段が高ければ質が高いだろうという思いは強く持つし、自分なりにお金を払ったことへの満足感、体験や時間をすごすことへの満足感が欲しい。
それが得られなければ、次はない。
その前に「お金を払いたいな」という気持ちがなければ店にすら入らない。
入る前に入りたいと思わせ、入った後に満足感があり、出た後にまた来ようと思う。
そんな3つの条件をクリアして初めてリピーターが成り立つ。
その場所を好んでくれる人が千人いれば十分成り立つという焼き鳥屋のマスターの話は納得できる。

そもそも、ネット上でも千人のファンがいれば、という話はある。
「千人の忠実なファン」というケヴィン・ケリーのコラムだ。
少し違和感を感じるのは「千人」という数字だけが勝手に一人歩きしているような気がする。
焼き鳥屋に置き換えたって、「焼き鳥のファン」は数多くいても「そこの焼き鳥屋のファン」は最初はゼロだったはずだ。
「ファンがゼロの状態ではどうすればいいのか」
という最も初歩的な問題を真剣に考えている人はなかなかいない。
当然、ジャンルによってやり方は違うだろうし、つかみから始まってコースのフィニッシュまで導くには、どこにだって手を抜いてはいけないのはわかる。

私は最近よく思うことがある。
それは「読者はどこにもいない」ということであって、本を読む人が「私の本を読む読者」にはならないということだ。
当たり前の話だが、どうしても同じジャンルでやると「これがうけてるんだから、俺のもいけるだろう」だなんて考えがちになる。
不思議だけど。

今は無料で小説がどんどん出ている。
ネットでは無料が当たり前。
お金を払わなくても面白い作品がある。
素人とかプロとか関係ない。
そういうのはもっと加速していくし、電子書籍となればインタラクティブな方向に向かっていくことは確実になる。
これはつまり「活字の値段」そのものが低下していくことを意味している。

じゃあもっと極端に考えて活字の値段がゼロになるのだとしたら、何でお金を取ったらいいのか。
ファンの何を満足させればいいのか。
その満足した千人のファンが求めるものを満たし続けるにはどうすればいいのか。
これが最終的な値段設定になるのだろうと考えている。

私は焼き鳥屋もしゃぶしゃぶ屋も他の店も、料理と人セットで行く。
人と話しながら飲み食いするのが楽しいから行くのだ。
私がお金を払う基準はそこにあるのだけれど、他の人はどうなのだろう。
私にとっては「千人」を考えるより、「目の前の一人」を考えていたほうがよっぽど現実的でしっくりと実感が持てる話だ。
その「目の前の一人」ならば満足させられる。

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09/13

Thu

2012

京都に着いてから

ある大預言者Kが言った。
「そなたの親知らずはいずれ災いをもたらすであろう。いつかは抜かなくてはなるまいて・・・」
なんて言ったかどうかはさておき、私の親知らずは今下に2本残っています。
そして札幌の歯医者で「今は元気なので持っていますが、いつ爆発するかわかりませんよ」と何度も言われていた。
痛くなったらいけばいいだろう、なんて気楽な気持ちでいたら、なんと京都に行く少し前から奥のほうが痛み出し、京都の歯医者に予約することに。
札幌では親知らずが横に生えていて普通には取れないので準備が必要ですと言われていたので、どう取るのか聞くと「歯を四分割にして取ります。もし痛いのが嫌であれば大きな病院で全身麻酔で寝ている間に取るという手段もあります」と言ったので「それほどか」と恐れおののいておりました。
痛みを感じ始め、そろそろ年貢の納め時かと今日歯医者に行くと北海道からの患者に先生に珍しがられまして、「僕ヒラフスキー場とか行きましたよ」と言われました。
滅多に遠方の患者なんて現れないものね。
そこでちょっと恐ろしいことを言われまして「うちじゃ抜けません」と言われました。
レントゲンを撮ってもらって見せてもらったのですが、親知らずの根元が神経と動脈にかかっているらしく、下手をすると動脈傷つけて血が止まらなくなり輸血が必要だとか、神経傷つけると麻痺が残るとか、たかだか親知らずごときで大変な話をされましたよ。
そして現在首筋が痛いのですが、それはリンパ節が腫れているからだということなのです。
親知らずが縦ではなく横に生えているために奥歯と親知らずの間に雑菌が入りやすく、その雑菌が繁殖している状態ということらしいのです。

「これが、首の下まで痛みが行くようだとまずいです。雑菌が降りてきているということなので。本当にごくまれなケースですが死に至ります。私の診ている患者さんでも年に2,3人は病院に搬送される人います」

「ふっ」と、あまりにも意識していなかった話に笑ってしまったんですけど、うおい!札幌では神経にかかってるとかいう話は出てこなかったぞい!・・・って話し忘れているだけかもしれないけれど。
ということで口腔外科に今度行くことになりまして、京大にも診察に行っているよい先生だということで予約とってやってもらいますが、一ヶ月くらい先になるそうなのです。
京都に来て最初の大仕事が親知らずの抜歯だとは。


それと、話が前後しますが京都に行くときに今回Peachという航空会社使ったのですよ。
激安で有名で安いときは5000円ぐらいで札幌関空間片道で行けるわけですが、クレジットカード決済210円席指定210円ネットで予約制の荷物預かり1個1050円と、「サービスの値段」を一つ一つ意識させられる航空会社です。
新千歳でチェックイン時には機械にバーコードを読ませるわけですが、私はプリントアウトしたやつで一発ポンでしたが、横のおばちゃん携帯電話で読み取らせようとしていて失敗していました。
大きめじゃないと読み取れないみたい。
突然荷物が1個増えることになりましたが、カウンターでは2100円、クレジットカード払いのみ。
しかも荷物の破損状況チェックなしで免責だけ念を押すところに一瞬不安がよぎりましたよ。
横にANAのカウンターがありましたけど、打って変わって満面の笑みで迎えられました。
なんかPeachの従業員結構必死だよ。
大丈夫かね。
関西を拠点にしているらしいのですが、関空ではターミナルにはまだ着けることができません。
バスで外まで一気に出て、外というのは空港の建物内ではなく、タクシーとかバスとかが着く建物玄関口まで移動するという状態です。
なんとそこで荷物を外に置いてセルフチェックで荷物を持っていく。
これにはさすがの乗客もどよめきました。
だって似ている荷物があって誰かが間違って持っていっても保障なんてしてくれないんですから。
つまり値段といい扱いといい「荷物持ってくんな」ってことですかね。
機内持ち込みの分については無料なので、それ以外の荷物がない場合はお得かもしれませんね。
飛ばなかったとき怖いけどね。

しかしまあ暑さが和らいだとはいえ9月の京都の日中の日差しは、まだ柔らかく噛み付く程度の強さはあります。
北海道では体験しない気温ではありますが、これから冬ですし地味に頑張っていきますよ。
ひとまず当分はこれ以上腫れないように体の抵抗力をつけ、無事に歯を抜くというのが目標になりそうです。
健康って・・・いや、歯って大事ですね。
歯は大事にするんだよ。
良い子のみんな。

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09/03

Mon

2012

「そんなのわかってるよ」

信じられない残暑。
9月になったというのに生まれて初めて「残暑」というものを経験しました。
しかしまー暑いっていうか、ちょっと沖縄より暑くなった日もあるんですから、もう北と南入れ替えられたような気分。
今年の雪祭り大丈夫かね。
初音ミクの首がもげるぐらいじゃすまなくなってしまいますぜ。

8月からちょこちょこと小説を書いていますが、何せ人にインタビューして思いを掘り起こしていくって本当に時間がかかるなと思うわけです。
それに相手の精神状態だって安定していないし、体調も崩しやすい人間相手となると、こちらのペースを押し付けるわけにも行かず、ただひたすら禅僧のように心穏やかに接していかなければいけないのですが、何が相手にとって最善のペースかわからないまま時は過ぎます。

「もしも~だったら」と考え出すとたちまち頭の中が危うくなるのですが、こればかりは経験が足りず、探り探りやるしかないところが実情です。
この時の流れもまた運命なのかなと思うばかりですが、これから他の小説を書くとき人に色々と質問をして相手の根っこを見ていくとき、質問力や接し方のスキルがどんどん問われてくるのだなと実感するものです。

やりたいことはたくさんあって、世界も見て回りたいけれど、一年また一年と経ち、今や30代も半ばにさしかかろうとし、このまま還暦迎えるんじゃないかと思うくらい。
頭ではわかっているつもりでも、現実を体験しないことには本当に人間理解しないものらしく、私も例外ではないのです。

最後のチャンス、最後のチャンスとズルズルやっていて、今更引き返すことは自分の人生そのものを否定することにも直結していくので止められないのですが、出世はいつになることやら。
現金になることをどんどん出来る人間に成長したいと思っております。

暑い。

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08/27

Mon

2012

ようやく『恋空』を読む

携帯小説を書くにあたり、何がよいかなと無料で読める『恋空』を参考にしているのだけれど、100ページぐらい読んだところで苛立ちが抑えきれなくなり、深呼吸する。
どうして流行ったのか少し理解できないというか、ヒロくんって最低な男なのに、それを許しているあたり倫理観がないというか、めでたくおさまればそれでいいのかなと思ったり。

結局思春期の子たちの善悪の判断は、個人的な感情の快・不快によって分かれていて、倫理的な善悪など関係ないのだなということに、周囲の大人たちとの関係性の断絶を感じさせる。
つまり、悪いことをすれば咎められるし、未成年とはいえペナルティーは存在する。
大人だって子供の身勝手な独断専行を許さないだろうし、たとえ関わらなかったとしても生活することを考えるなら嫌がおうにも社会と関わっていく。
大人が子供に積極的に関わらず無関心になったから、こんな小説が喜ばれるようになったのかなとも思ったり。

現代版おとぎ話として考えればいいのだろうけれど、もしヒロくん生きていたとしたら二人は厳しい環境にどんどん追い込まれていっただろうと推測される。
というのも、彼女のことだけ大事にして他を大事に出来ないなんて、ちょっと人間的にせこすぎるし、過剰な感情反応が周囲との摩擦を起こし、働いたとしても職場からも追い出される。
自分たちの正しさは周囲の正しさとは限らない。
子供たちの嫌がらせよりも、もっときつい社会的な合法手段で締め出される。
どうしてもこの年になってしまうと、この手のカップルが20代後半になって愚痴まみれになっているところをたくさん拝見してしまうと、よほど女のほうもしっかりしていないと、子供が不幸な道を辿る。
倫理観がしっかりしていない親が子供を育てても、子供は小さいうちは親の行動を正義と思うので、しっかりとした人への対応ができなくなる。
独善的な親の子供が、突然周囲への配慮を欠かさず礼儀もわきまえるなんてことは、あまりない。

お話だけに集中して、世代のことなど考えなければいいのだろうし、読んでいるほうも、そんなこと考えもしないから売れたのだろうけど、極めて個人主義的な小説が迎合されるとなると、これからの子たちって、ねえ、もう今から心配になるし、そんな人には個人的には関わりたくないよ本当に。
最後まで読めないというか、本当に苦痛。
子供の世界って感情の世界で、感情的に納得できるか出来ないかで関係が成り立つけれど、大人の社会って感情なんてほとんど無視されて、もっと現実的な実績で評価される。

その人を知りたければ、その友を見よ。
こんなことわざがあるけれど、周囲の友達もあまり頭のよい人たちではないみたい。
こういう輩を相手にすると、やたらと面倒なことに巻き込まれ、自分がトラブルメーカーだということをすっ飛ばして「悲劇の当事者」のように言い出すから本当に厄介なのです。
私、何度かこの手の人と関わって痛い目にあったので、そんな経験もあってか、読み進めることが苦痛になりました。

大人になってこの小説の男が、結構なダメ男で、小説を読んだ人の中にも、ヒロくんのような男に痛い目にあって目が覚めた人もいるかと思います。
口だけじゃダメだし、勢いだけの行動ではやっていけないし、いつまでも実現不能であれば、やっぱり女としても忍耐の限界が来ます。
むしろ私は数年経った今こそ、小説を読んで「感動した」という人の今の感想を聞きたいですね。

美しい思い出は記憶の中でこそ輝き、美しい憧れは妄想の中でこそ輝きます。
現実は塩辛いよ。

ああ、小説、ぼちぼち書き進んでいます。
自分にとって、最後のチャンスかなと思っているので気合入れています。
結局文体に迷いましたが、詩文調を意識して徹底して書いていきたいと思います。
10月までの完成を目指しますのでよろしくお願いします。
色々とすさまじい話ではありますが、それでも生きようとしている姿に心打たれましたよ。

朝凪は、鳴かない

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08/12

Sun

2012

実は7月の半分以上京都で過ごしていた。
取材でいってきたのだけれど、人を知るのは本当に大変。
ほとんど生活に密着するような感じで、相手の感覚から理解していかないと表出している考え方や価値観に振り回されてしまう。
私たちは体の感覚ひとつ、体力精神力が皆別々で、自分の体力精神力を尺度にして他人を見る生き物だから、まったく違う人がいて、自分よりも劣っていると感じたとき、否定から入るのが普通だ。
それだけ人は弱い。
私は弱者を救う力のなき知恵なきものや、自らの力を弱者を抑圧するために使う人間は、皆「弱い人」と認識しているので、そう言う。

札幌から関西まで随分近くなったものだと感じた。
今なら安い時で片道一万円以内でいけるのだから、本当に距離は遠くとも近くなったものだと驚くばかりだ。
関空着陸間近、恐らく明石海峡大橋だと思うが大きな橋が見えた。
晴天で岸和田の街なみなのかな、よく見えた。
空から人間の街を見るときミニチュアのように見える。
「これが人間の作ったものか。人一人でビル一つ作ることさえ出来ないのに凄いものだ」
と人間の力の大きさを実感すると同時に、
「あれでさえ、土の上の積み木にしか過ぎないのだから自然の力は恐ろしい」
とも思った。
間近で見たら余計に人の力の偉大さを思うだろう。
しかしその「偉大さ」でさえ、地球から見えれば「蟻のような力」でしか過ぎない。
人は人の尺度で物事を見て、いつの間にか傲慢さに飲まれていく。
人の一生使ったってビル一つ建てられるかわからないのに、それでさえたいしたことはないのだ。

京都ではちょうど祇園祭をやっていた。
山車(だし)が出るのは中旬だが、ほぼ一ヶ月近くは祇園祭期間中ということで、河原町には提灯が出ていた。
昼間はほとんど取材で出歩くことが出来なかったので、夜に出歩くことが多かったが、京都と札幌を比較してよくわかることが「文化の違い」だ。
当たり前のことなのだが、歴史が深いと一つ一つに意味が込められている。
その意味が読み解けない。
神社仏閣一つとってもそうだし、祇園祭では屏風を披露するという風習があるのだが、屏風絵を見ても読み解けない。
それだけ知識がなく、まったく歯が立たず、ぬくぬくと「新しい街」でたたずんでいたのだなと実感させられた。

伏見稲荷大社でも本宮祭があり、途中まで登ってきた。
山頂近くには薬力社があり、健康ゆで卵が売っていて、一つ食べたがおいしかった。
そこに住んでいるおじさん曰く、何故「健康」なのかという理由で、
「卵はスーパーで売っているような赤玉やけど、そこの薬力社の湧き水を使ってゆでてる。薬力社には無病息災、健康長寿などのご利益があるので、健康卵なんですって言うと納得してくれはる」と言っていた。
山頂近くのスーパードライ瓶ビール700円も高級な味でした。
「飲料水200円とか高い言うけどな、途中業者用の専用道路があるけど、あとは人の手で持ってくるんだから、その労力考えれば全然高くない」
一度登ればわかるけれど、結構足腰に来る段差が多い。
それなりに急な場所もあり、上になれば背負って持ってくるのだから、言っていることはよくわかる。
昔は下から全部人の手で持ってきていたそうな。
そんな想像をすると、つくづく大変だなと思う。
そのおじさん昔からそこに住んでいて生活しているのだそう。
薬力社サイト
このサイトでちょうど左に移っている家です。

京都の街で過ごして考えさせられたのは「文化」についてよく考えていなかったなということだった。
新しいものがどんどん出来てきて古いものが淘汰されるのは自然の摂理ではあるけれど、自分たちのルーツまで絶ってしまうのは愚かであると考える。
例えば私たちの生活を滅茶苦茶にしてしまうような何かが起こったとき、戻るべきよりべとなるのは文化である。
それは芸事ではなく、衣食住に含まれたものであり、そしてようやく安定したところに祭事など芸事が含まれてくる。
自分たちのルーツを確認し、我々が何者であるのかを確認するような作業の集大成が文化なのだと私は思っているので、ぜひまた京都に戻ってじっくり考え事でもしたいと思っている。

P.S.
写真撮ってたけどめちゃくちゃで、手振れひどいわ、うまく撮れてないわ、カメラの使い方からレンズまで、まったくのど素人写真。
こりゃ参ったなと、自分の知識のなさに愕然。
カメラの勉強もしたいと思います。
ああ、へたっぴー。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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