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あさかぜさんは見た

日記

01/05

Sat

2013

新年はたくさん参拝しました

札幌にいたころは北海道神宮という大きな神宮が近くにあり、そこへ初詣へ行っておしまいでしたが、今年は京都で八坂神社、春日神社、平安神宮、北野天満宮、伏見稲荷と初詣リレーのようなことをして、使うまい使うまいと思いつつも、おみくじお守り等に散財し、年末年始はしっかりとやり、年越しそばに自家製おせちもどきも作り、しめ縄までバッチリやっちゃったんですから新年早々スッカラカンです。
おせちといっても、高級黒豆、ピリ辛酢レンコン、叩きゴボウ、伊達巻、くわい(これ、初めて食べました)、数の子、紅白かまぼこなどでしたが、こちらに来てもうひとつ初めてなのが、お雑煮。
北海道は、というか実家では、めんつゆ使った、所謂かつお出汁としょうゆベースに三つ葉、鶏肉、にんじん、大根、お餅なのですが、京都は白味噌なのですね。
普通の味噌とあわせて甘みを多少抑えましたが、金時にんじん、祝い大根、頭芋、豆腐、盛り付けのときにお餅、糸鰹、和からしを入れて食べるというスタイル。
結構おいしかったですよ。
特に頭芋は「お頭になるように」と切らないで一個まるまる入れるという豪快さ。
くわいも芽がちょろっと出ていて、「芽が出るように」ということみたいです。
これだけ念入りに願掛けのような食べ物を食べたのだから、今年はしっかりと動かないとなと財布の中身を見て思うわけです。
何度も繰り返しますが、ないわけです。
お腹に希望だけが詰まっているわけです。
この希望を現実的なものに変換していかなければ、これだけ投資した意味がなくなってしまう!
結局文学賞もろもろ間に合わず今年に全て持ち越してきたという酷い有様なので、生きることも大事ですが作品を(以下略)。
はたして何度このことを日記に書き、やるぞやるぞ詐欺を繰り返してきたか。
恥を知ったほうがいいレベルになってきました。
しかし、しっかり年末年始をやり願掛けをこれだけすると、何か新年早々ずっしりとした達成感がございますな。
これだけやったんだから、今年は前年よりもさらにやらなければいけないなと思うわけです。
さーて、何から手を付けようか迷っているわけですが、京都のことも書いてみようかなと考えています。
今年は頑張って作品出していきますし、その土壌も少しずつ出来つつあるので、覚えていてくれている人は一ヶ月に一回ぐらいはチェックしてもらえると動いているのがわかるかもしれません。
うわー、がんばるぞー。

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12/29

Sat

2012

何回か恋愛を経験して失恋するのと、初心な気持ちで本気で恋愛して失恋するのとではショックの大きさが違う。
といっても、これは回数の問題ではなく、もしかしたら「本気度」の問題かもしれないが、私の場合はあらかじめ「ショックに備えておく」という気持ちがどこかに生まれてしまっている。

昔は本当に純粋な気持ちで人を好きになろう、一生懸命やろうと自分勝手な想いだけが空回りしていた。
その結果、うまくいかなかった。
それは結局自分のことが良く解っていなくて、だからこそ相手が自分を見てどう感じるのかまで考えが及ばなかった。
自分は自分のままでいい。
だがそれでは角が立つ。
ならどの程度でどうしていけばよいのだろう。
そんなバランスの取り方や、言葉のかけ方がまったくわからなかった。
今だってわかっているわけではないが、これは余計なことなのではないかとはいったん考え、のどの奥に引っ込めたりする。
相手にしたり言ったりすることで、相手に利益はあるかどうかをよく考えたりする。

多くの人は恋愛をすると見返るを求めるだろう。
もちろん自分が好きになり、自分が労力をかけている人なのだから、その労力の代償を無意識に求めだすのはしょうがないことだと思うし、当然の欲求だと思っている。
しかし結局それは恋でしかなくて、恋というのは常に自分の想いを中心にして世界は回っていて、自分と相手の間に起こるノスタルジーだからこそ相手そっちのけのファンタジーが膨らむものであると今では思っている。
見返りがなければ渇望が止まらなくなるので、失恋してしまう反作用がぐっときて、錯覚として自分は必要だったのか、何も残せなかったのではないか、あれをしなければよかった、色々マイナスのことを考えたりする。
つまり、自分では気がついていないが「見返りがなかったこと」を嘆いているのだ。
時として、別れた相手が不幸になればよいなどとも考えたりする。
幸せそうな姿を見ると余計に自分が惨めになる。
誰しも経験することだろう。

失恋における心の傷は、欲求に比例して高まる気がする。
その欲求の中には「こうだったはず」というものが多分に含まれている。
別れても自分は相手の中で大きな存在であって欲しい。
そんなことを考えるのは結構男性が多かったりするのだが、男性は哀愁の中に引きずり込まれやすい生き物なのかもしれない。

失恋の傷は時の流れが癒すというが、私はそうは思わない。
痛いものは痛い。
とんでもなくトラウマとなって残ったりすることもある。
少しだけ自分が成長して、すべての結果について、よしとしなければ傷など癒えずうずき続ける。
とてもとても辛いことだ。
意識せずとも過去がフラッシュバックし、様々な感情が渦巻く。
しかし残酷にも時間は進み続ける。
嫌になってくるだろう。
憎しみすら抱くかもしれない。
よかった時を何度も思い返しては浸りこむ。
男はそんな弱々しい面がある。
女々しいという言葉もあるが、女に対して女々しいとは使わない。
何故男限定の言葉なのかと考えると、まあ、こういう時はそうだよな、とも苦笑してしまう。
男は傷を背負って大きくなるものです。
今やこの時代には古臭い考え方かもしれないけれど、大きなものを何とかしようとすればするほど傷ついていくものなのです。
誰かを本当に守りたいのなら、瞳を上げなければいけない。
守りきれなかったのなら、次に恋愛をしたときに、同じ苦痛を与えてはいけない。
同じ苦痛を与えるということは、過去を無駄にする、もっと言えば成長していないどころか、駄々をこねて座り込んでいる子供と同じメンタリティーであると宣言しているようなものなのだから。

恋を経験して大きくなるかならないかは、時間の流れうんぬんよりも、起こった現実に対してどう心の栄養とするかなのだと私は思いますよ。
どんなに時間がかかろうとも、本当に好きだったのなら、一緒に過ごした想い出をあまり汚すことのないよう。

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12/28

Fri

2012

文化は一日にしてならず おかきや京豆腐楽しんできました

全国の天気予報ではどうしても札幌を見てしまう私ですが、京都で風邪を引き、ようやく治りかけました。
ひとまず無事です。

さて、日記を更新しない間、清川豆腐店で豆腐作りを見学させてもらったり、島原の付近におかきを売っている菱屋を見つけたり、京都を見学するには働いてみたほうがいいのではないかと、嵐山の花灯路というイベントにスタッフとして潜入したりしておりました。
もう、嵐山の冬の夜の気温はしっかり体に刻んできましたよ。
花灯路に関しては、ライトアップされた竹林や神社や寺を楽しめるのですが、ちょうど11月下旬ほどが紅葉の時期で一番綺麗なのですね。
札幌ではどっさりと散ってしまっている季節なのですが、さすが山の上だけあって、ちょっと寒かったです。
仕事は交通整理と道案内なのですが、竹林の中、外灯の下でぼんやり照らされながら雨の日半透明の合羽を着て声を出していたら女性の方に「こわーい」と言われてしまいました。
幽霊じゃねぇよ!
しかも時折私の足元を見る人がちらほらとおりまして、余計に思ったものでした。
道の先は天龍寺の墓地が見えますからね。
わかる気がするけど、幽霊じゃねぇんだよ!

お豆腐作りは「これでも今日は遅い時間」とは言っていましたが、4時半に起きまして見学させてもらいました。

うるかした豆を圧力釜で炊いた後、豆乳とおからに分ける作業中。


豆乳を汲み取っている作業中。
ちなみに熱いまま放っておくとたくさん湯葉が出来上がります。


にがりを入れて豆乳を混ぜた後固まるのを待つ。


重石を乗せて豆腐から水分を抜く作業中。


最後固まった豆腐を切り分けて水に浮かべます。



約この工程が1時間ほど。
たくさん注文がある際は4回ほど、この工程を繰り返すそうです。
お父さんは今年で66歳なんですって。
顔も赤々として若々しく見えましたよ。
昔は豆腐を作った後ゴルフにでかけていたそうですが、ご病気なされてからは体力的にもきつくなってきて注文を減らしているのですって。
前の日記にも書いたのですが、お父さんに万が一のことがあったら、この味は失われます。
今しか食べられないのかなと思うと、とても惜しい気がしますな。
大変人の良いお父さんお母さんですから「技を伝授してください」と頭を下げに弟子入りしたら教えてくれるかもしれませんよ。
一番苦労したのが「同じ味を作ること」だそうです。
見た目は簡単そうに見えますけど、結構繊細な作業をさらりとこなしているのかも。
40年もやってらっしゃるのですからね。
シンプルな材料なだけにタイミングやにがりの入れ方などでハッキリ味が分かれるのでしょうね。

ちなみに場所はここ



そして島原。
ここもふらふらして偶然見つけたのですが、今は島原の門などが多少残っているだけで、島原という昔ながらのイメージは壊滅しています。
ほとんどが住宅。
お豆腐屋の豆蔵のお豆腐もおいしかったのですが、菱屋というおかき屋さんが収穫でした。
きちんと噛み砕いたときにお米の味と醤油の風味がする本格的なおかきなのですが、中でも「うすばね」という薄いおかきがここの売り。
凄い薄さです。
そしてネーミングもぴったり。
羽のようにふわりと薄い。
しかもしっかりパリッとしている。
ところで、おかきって焼いたら膨れるのに、どうやったらこんな薄さになるのでしょうね。






実はここもね、お父さんには娘一人で店を継ぐ人は決まっているわけじゃないんですって。
100年以上も続いているおかき屋さんなのに、もったいないですね。
選挙では「京都の文化」うんたらと叫んでいた人がいましたけれど、文化はこういうところから崩壊するのですよ。
そのうち「京都らしさ」というもの、つまり文化における技術や知識の伝承がおろそかになると、別に京都でなくともよくなるわけです。
名前だけ残って中身は近代文明に食い散らかされてスカスカでは、京都に文化があるとはだんだん言えなくなってくる。
建物だけ違う。
後は他の地域と一緒というのでは文化らしい文化、土に根ざしている文化とはいえないわけです。
こういうのは、失われかけてから問題提起しても遅いわけですな。
京都府や京都市が、「文化継承プロジェクト」でも立ち上げて、衣食住などにおける技と継承状況を逐一チェックするということでもやらない限り、そのうち滅んでしまいますよ。
特に人がいなければ成り立たない技術というのは神経を研ぎ澄ましてあぶりだしていかないと、廃れるのは本当にすぐです。
20,30年あればなくなってしまう。

ということで、少し話が長くなりましたが、菱屋さんはここ

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11/23

Fri

2012

八坂神社で凶を思いっきり引いちゃってへこみました

2,3ヶ月前に大吉を引いて、よしやったぞこれから安泰に違いないと思いつつ、待ちぼうけで鼻ほじくりながらチャンスでも巡ってこねぇかなと考えていた私が同じ八坂神社で凶を引きました。
凶そのものを引いたのは数年ぶりだったとは思いますけれど、ずたぼろには書かれてはいない。
勇気を持てとか、努力で諸事なんとかなるみたいなことが書かれていて、むしろ絶望的な凶ではなく、お前なんとかしろよみたいな感じで書かれていたのが唯一の救いというか、こっちにきて、ちょっとお仕事しようと思ってバイトでもしながらちょこちょこ動こうとか考えてて、書き物ではないお仕事決まった矢先に凶を引くとか、私が書き物さぼっていたのを見通していたかのごとく、というか、色々凶の意味を考えていて、努力すればなんとかなるみたいなことを仕事のところに書かれていると、そりゃーもう書き物のことしか思い当たらず、書き物では何一つ進んでいませんよということが、どう考えても言い当てられているような気がするのです。
ということで、凶を引いて、その意味をずっと考えていたのですが、人間はどうしても自分の思い当たる範囲で物事を考えている。
人間は目で物を見ているのではなく、脳で世界を断定している。
知覚で世界を感じていながら、脳で認識を慣習化している。
これは逃れられぬ癖なのですが、それゆえに私だって自分の経験上おみくじがたとえ迷信であろうと、それなりに因果関係を考えるわけじゃないですか。
そうしたらやっぱり書き物が運命、命運、命数、それらの中に含まれていて、ちょっと小金稼いで生き延びたとしても私の生涯でやるべき仕事は何一つ進んでいないのだと二礼二拍手一礼でしっかりお願いした後引いたおみくじに書かれていればそりゃー考えるわけじゃないですか。
現段階では変なこと書きますけれどね、人間って生涯にすべきことが決まっていると思っているんです。
というか、万人に対する運命論者ではないのですが、成すべきことを悟った人間は、神の敷いたレールの上を左右にぶれながら歩いていくのだと、何か信じているわけです。
というのも、変な話、私の親があの性格でなければ今京都にいることは不可能であったし、今まであれがなければ、これはない、ということを何かしら意識させられているのです。
人間体験したことでなければ語ることはできないわけですから、口先三寸であろうとテクニックってのは積み重なるわけでしょ。
そりゃあね、人間努力とか行動の積み重ねの上に人生が成り立っているわけですが、すべて努力どおりになったり、思い通りになったりするわけがなく、それなりに人の気まぐれや自分の感情と相手の感情の狭間でサイコロを転がしたようにあっちへいったりこっちへいったりするものですから、狭い意味では努力しだいでなんとかなるとか思いながらも、多くの小説が題材にしている理不尽さに共感しつつ、人生を重ね合わせて考えるものでしょ。
ですから、自分の意思ではどうにもならなかった、生まれ持った境遇とか、人の巡り会わせとか、そんなものを一つ一つ考えながら、人生の意味や生まれ持った意義を考え出すのが人間だと思うわけです。
そんな感じでぐだぐだと長くなりましたが、ようは一行でまとめれば、「書かずして未来なし」であり、一言でまとめれば「書け」なのです。
それをおみくじで言われたのだなと色々考えた結果そうなったのです。
こうして無駄な文章を書いて、いかにも長く無駄な、でもタランティーノには及びもしない、どうでもいい日常風景の面白さだと思い込んでいることを書いていると、やっぱりこの日記もどうにもなるものでもなし、酒なんか飲んでふてくされている場合じゃないぞという感じで結局は重要な文章は三行だけで終わる今日の日記を終わろうかなと思いつつ、そういえば今日はどうしてこんな日記を書きたくなったかというと、梅小路公園で夜の紅葉ライトアップを見て京都駅前で酒を飲みながら、ふと考え事が深くなったのでこうやって書いているのですよという読みづらい日記を書く次第になったわけです。
お付き合いくださった皆様、今日はありがとうございました。
ほろ酔いの私はこれから寝ます。

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11/15

Thu

2012

清川豆腐店

京都の西院という場所にいるのですが、近くに清川豆腐店というお店があります。
京都に来たのなら、というかある小説でやたら豆腐の描写が印象深いやつがありまして、それに触発され豆腐屋の豆腐が食べたくなり、探して近くのお店に行ってきたわけですな。
一丁180円で私の手のひらくらいあるから、だいたい400g程度はあるのでしょうか。
一人でたいらげるには少々量が多く、冷奴、湯豆腐の他にも創作料理で楽しみましたが、いやはや日本酒が飲みたくなる豆腐というのは、実にこのことですね。
ほのかな甘みが口の中に残って、触感がふわっとしていい。
豆の舌触りが滑らかでやっぱりスーパーのとは段違いにおいしいです。
色々お話を聞いたのですが、やっぱりにがりの入れ方タイミング一つで味が変わるとのこと。
お店によってそりゃー味は違ってきますとのことでした。
近くに大型スーパーなどが乱立して、小さな豆腐屋は近くで数件しかもう残っておらず、清川豆腐店では子供さんが後を継がない意思を示しているらしいので、豆腐を作っているお父さんが止めたら、もうそのお店はおしまいなのだそうです。
「私ら食べていくくらいは稼げるけどな。儲からんから」
と気さくにお母さんが話してくれました。
ちなみにお揚げはお母さんが作っていて、店番はいつもお母さんが出てきます。
たまーに、いなかったりするのですけどね。
朝も3時4時くらいに起きて豆腐作ってるんですって。
色々お豆腐の話してたら、
「スーパーとかでも安く豆腐売ってるけどな、普通豆腐は2・3日でダメになるからな。それが何日も持つなんて何が入ってるかわからない。怖くて食べられん」
言われてみればそうだよな、と思いましたよ。
食品添加物とか、日持ちさせるために色々入っているんですよね、ほとんどの食品って。
一応我々それを食べたからといって大きく体調を崩すなどありませんが、本職の人から見たら2・3日でダメになる豆腐が一週間近くも日持ちしたら、不気味に見えますよね。
自然の製法では混じりえないものが混じっている、と考えるのが当然。
スーパーで慣れてしまうとそんなことにも気がつきませんが、しかしちゃんとしたお店が大型スーパーの出展で消えていってしまうのは忍びない。
おいしい豆腐が180円で買えるのに、こんな良心的なお店がなくなったら「本物の味」はどんどん高値になって4・500円出さないと買えなくなってしまいますよ。
ちなみにおからも譲ってもらったのですがスーパーの買い終えた食品を入れるサッカー台のところにある透明なポリ袋サイズくらいにめいいっぱい入れてもらって10円。
え? と一瞬思いましたが、捨て値ですよね。
豆腐屋のおからは捨ててしまうことは知っていましたが、普通においしいです。
捨てるにはもったいないくらい味が残っていて、やっぱり良い豆使っているからでしょうか。
家に帰ってさっそく調理。
ゴボウを細かく切ったものをごま油で炒めて、そこにおからを入れ、酒和風だししょうゆで味付けしたらご飯のお供に最高でした。
豆乳おからクッキーなるものがあるくらいだから、小麦粉に混ぜてもおいしいはず。
今度色々試してみたいと思います。
本物の味が残っているっていいですね。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。

気が付いたら他人からとても褒められる娘ができまして、人生が大きく変わりました。
この小さな可能性と向き合うため頑張って生きております。

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