生き辛い。
生きていくことが不安。
こんな声に分析屋は閉塞した経済がとか、雇用のうんたらとか、政治がうんたらとか、色々あるでしょう。
確かに能力の無い人間の雇用は不安定で、いつお払い箱にされるかわからない立場に常に立たされるし、誰でもできそうな仕事の条件はきついが食えないから日銭を稼ぐためにたくさんの人が群がり雇う側は困らないし、お金がなければ友達関係など保ちようがないし、政治はあまりにも雲の上の出来事過ぎて社会への諦観が民主主義そのものへの諦観に摩り替わり、そんなものより日々の生活に追われて、社会で何が起きているのか充分把握できないような事態が起こる。
一日の食費が300円以内で遊びや他の活動することは金銭面から控えなければならなく、仕事場と部屋との往復の日々。時間にさえ追われて、満足に休息が取れず、ましてや余暇を楽しむことなどできない。
日々の反復の中で変化があるかといえば、そうではなくむしろ一年後にはきちんと仕事があるのかどうかという危うさのみが大きくなっていく。
そんな閉塞した日々と環境の中では、どんどん貧相で卑しい考え方になってきて、社会の中の裕福なものを憎み、自分より少しでもよい環境にいる者を標的にして鬱憤を晴らす。
この手の負の感情は、直接的に社会そのものを蝕んでいき、次の犠牲者を出していく。
精神的に負の感情を持っている人間が、豊かな人間を育てられるはずが無いのだから。
生きていくことは不安なことばかりです。
それは当然のことでしょう。
平等な社会などありえないし、使えないものは捨てられるだけ。
常に何らかの烙印を他者に押されるし、肯定よりも否定のほうが世の中に渦巻いている気さえしてきます。
積み上げても叩き壊されることがあるし、理不尽さの前に悔しさと怒りだけが積み重なり感情を制御できなくなることだってあるでしょう。
社会の否定がそのまま自己への否定につながり、社会上から抹殺されるほどに追い込まれてしまうほどの閉塞感にやがて思考をそがれ、奴隷のように従うことしか術を持たなくなり、いつの間にかそんな「常識感覚」の中で、さも偉そうに語るだけの存在に堕落していくというありさまにもなりかねない。
いったい私たちはどうすればよいのでしょう。
考えることは苦痛です。
行動することは危険を伴います。
恐れと不安の中でどんどん精神が、いえ、魂そのものが萎縮し、自らの可能性を除草剤を撒かれた後のように枯らしていく。
生きていくことは不安なことばかり。
言葉ひとつではどうにもならないことばかり。
気持ちひとつでは途方もないことばかり。
それでも人に尽くしなさい親切にしなさい礼を欠いてはいけませんなどと言われても、腹が立つばかりで、仕方なしにその場しのぎの「社交辞令」を身につけ嘘を重ねていくばかりで、生活を成り立たせることに必死になり、いつしか気持ちの余裕が何なのかさえも見失っていく。
私たちはそんな狂った世界に生きているのかもしれません。
戦う牙をそがれ、従順なペットのふりをして、外に出れば悪態をつく。
人間油断すれば心がどこまでも荒んで貧相なものになっていくものです。
いつの間にかじとじととした精神に浸っていて、もうそこが心地よくなっている。
他人を見下している間だけ快楽で、一瞬の快楽を追うために悪口を言うことが癖になってくる。
そんな人間に油断をすればすぐになってしまう。
きっと上の連中は理解はできないでしょう。
日々数十円のきり詰めをしてお財布の小銭を確認しながら買い物をして日々を重ねる人間が「子育て」などというお金のかかる一大イベントに踏み込むのが不安だということを。
月末に財布の残り数百円を見て、給料日前に何か起こったらもうダメだなと不安を覚え、焦燥と無力感ばかりが膨らんでいくことを。
貧困層がデモを起こしたとしても、シャンパンを片手に見物するような気持ちしか持っていないのに、あなたのために一生懸命頑張りますと言う権力者や金持ち。
どんな世でも生きていくことは大変であることにかわりはないでしょう。
この時代に生れ落ちてしまったのですから、この時代において生きていかなければならなくなりました。
生まれたときから環境や遺伝子という因果を背負い育っていかなければならない。
社会の枠の中で能力は常に評価され優劣をつけられ落ちたものは価値を失っていく。
まったくもって理路整然としているように見せかけているおかしな社会であります。
戦う気力さえもなくなりそうで、生活や苦痛を逃れる道具にばかり目がいき、まったく他者のため、社会の未来のために何かひとつでも変えていこうとする勇ましさを失い、座すばかりの時間を送りそうになってしまいますが、私たちはどのような世においても、戦っていかなければならぬ運命を背負っております。
どうしようもなく、欲深き生き物であるからこそ、邪な魂を持った輩をはびこらせることを眺めていてはいけないのです。
それを「正義」とは言わないかもしれない。
自らが誤っているかもしれない。
それでも生きていくことはその過ちすら噛み砕いて栄養としていかなければならない。
黙っていても命を食らって生きていくのが生物だから。
生きていくことは不安なことばかり。
しかしまだ命があるのなら、まだ希望は残っている。
常に残っている。
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