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あさかぜさんは見た

日記

04/07

Tue

2015

心は強くなるの?

今回の骨折重度のものじゃなかったから不幸中の幸いとも言えるけれど、折れたら折れたで色々と発見がある。
 例えば今左足に負荷をかけると、やっぱり多少の痛みが走る。
 骨もくっつきかけだし、2ヶ月は骨が繋がるまで待たなきゃいけないというから、だいたい折り返し地点に来た。
 たぶんこの傷が重かったら重いほど信用できないものになる。つまり、体重をかけたりするのが億劫になるわけだ。
 人は様々な理由から不審になったりする。傷つけられたり裏切られたり酷いことをされたり。
 それは心に傷を負うということで、外傷とは違い目に見えない分だけ酷さがわからない。重いと思っていたら自然と癒えていたり、軽いと思い込んでいるはずが実は重かったり様々だ。
 自分の場合傷を負ったのは足だから、使えなければ困るし不便するから早く使いたいとは思うけれど、恐らく傷が治っても左足に対する不信感は残るので、少しずつ負荷をかけながら様子を見なければいけない。
 外傷の場合、このように目で見えて体で確認できるのがいい。さぼらなければ筋力も取り戻せるようになる。足がなくなったとしても、義足でなんとかできるように練習しだすだろう。
 でも心の傷はどうなのだろう。心の場合使わずに済まそうと思えばいくらでもできる。リスクを避け、安全で安心できる方へいくらでも行くことが出来る。意外に心も筋肉と同じで負荷をかけなければ限界がわからない。やる前からダメだと思ったり、根拠のない自信に満ち溢れて打ちのめされたりすることもある。そして、自分の限界値をわざわざ確かめないことで永遠の夢想の中に引きこもり、いつまでも夢の中の自分を見続ける人間もいる。
 これらのことは、すべて「挑戦」を失っている人間が陥っている状態だ。
 心の状態は普段の言葉遣いや行動に現れる。自分を見下していたり、驕っていたり、自らに対する心構えが他者に対して表現される現実での姿勢になる。自分では誤魔化しているつもりでも、きちんとやってきた人と相対すると瞬時にその臭いを嗅ぎ取られてしまう。凄い人は本当に凄いのだ。
 さて、心はどうやったら強くなるのだろう。骨を強くするのならカルシウムを摂取できる、サプリではない食品を毎日とるということはわかるのに、心を強くする方法となるとまるでわからなくなる。
 昔、物凄く悩んでいた。鋼鉄のような何事にも動じない心を手に入れるにはどうすればいいのか。自分を消し去ればいいのか。滅私と書いて努めようとしたこともあったが無理だった。今でも心は弱いし、昔に比べてそれほど強くなったとは思わないけれど、行動自体は意識して変えてきた。
「ないのなら自分で作ればいい。不満を持つくらいなら自分で変えればいい」
 できることからほんの少しずつやり続けてきたら、心は強くならないにしろ、出来ることが増えた。昔のように「~ができないから自分はこうだ」とか「~できないのはあの人がいるからだ」という発想はまったく持たなくなったし、全て出来ないことですらも自分が悪いからだと考えるようにしてどうすれば今の状況を改善できるのか行動してきた。
 自分の場合、どこで身につけたのかわからないけれど鼻が利く。面白そうな雰囲気の場所を引き当て、面白い出会いに遭遇することがある。そして特殊な才能を持った人と繋がりを持つことができる。
 何もかも自腹を切って身を削って自分を曝け出して特攻していくことを繰り返しているからこそに他ならない。
 私は他人にとって「いい人」である必要はないと考えているから、正直に色々表現してみる。相手を知ろうとして、その人の本性を見ようとする。その人の根っこを掴み当てて、付き合っていくべきかどうかを判別する。
 漠然とした言い方をするなら勘と経験のみで嗅ぎ分ける。
 当然最初からそんなことができたわけじゃない。色々な人と接して悪いものもいいものも見てきたし酷いこともそうじゃないこともしてきた。それらの経験が人を見る目を養っているのかなとも思う。
 昔のように他人にあまり同情することもなくなったので、感情にズルズルと引きずられて自分の判断を誤るようなことも少なくなってきたけれど、まだまだ未熟以下の存在。
 心は強くなっただろうかと己に問えば、強くはなっていない代わりに、正直にぶつかっていく勇気は出てきたかもしれないとは思う。
 昔はもっと臆病で、何事にも自信がなくて、プライドだけが高くて、人を影で見下していた。愚痴と嘲笑と呪詛のような言葉に満ち溢れていた。今も愚かだが、もっと腐りきっていた。
 それに比べればちっとはマシになったのかなとは思うけど、正直心の強さなんて自分にはよくわからない。
 とにかく勘は実践で鍛えるしかない。自ら戦場に出て、どんなに馬鹿にされようと最前線で戦う意気込みで行動し、そして他人にぶつかっていき教えを請う。時には立ち直れないくらい瀕死の状態になるかもしれないけれど、だけどよほどのことがない限り命を取られることはない。生きていれば心は残った部分から再生していく。
 そうやって負荷をかけることの連続が、やがて経験となり、うまく生きていくための自分なりの知恵をつけるようになるのだろう。
 もし目の前になんらかの障害や超えられそうにない壁があり、明らかにその先に夢が存在するのなら、ボロボロになったとしてもぶつかっていかないといけない。その真摯な姿勢は、少しずつ薄い膜を重ねるようにして自分の宝になっていく。宝が出来てくると、今度は同じ苦労をしてきた人間を引き寄せる。仲間ができると共に力を合わせられるようになる。
 最終的にそれが自分の心の強さになる。自分一人だけでは心なんて強くならないのかもしれない。
 だからやらない人間や逃げ続けたり言い訳ばかりしている人間が強くなれるわけがないし、言葉に重みが出てくるわけがない。だから他人も惹かれない。当然似たような仲間たちで埋もれたり、段々と孤独になったりする。当たり前のことなのだ。
 だから強くなりたかったら挑戦するべきだ。いつだって、何歳になったって、その汗は美しい。

「あなたの過去は確かに酷かったかもしれない。だがこれから何者であるかを決めていくのは自分自身なのだよ」

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04/01

Wed

2015

ドラマだね

どうしてもギリギリまで原稿を引っ張るという癖が抜けなくて、遅刻ギリギリに応募するということを毎度のこと繰り返しております。
 いつも近くの郵便局が閉まったあと、24時間の窓口の郵便局まで行って締め切りの消印ギリギリで送るのですが、今回の小説もう三度目の正直みたいな三番煎じで、正直もう純文学とかよくわからないから自分にとってはもう心底どうでもよくって、別に新人賞など取らなくたって作家としては一応書き続けることもできるし、ネタも沢山あるから、今回送ったら送ったで、結果などかなりどうでもよかったりします。
 前骨が折れた時の記事で、自分の場合何かよい兆しの時はわざわざ雲が円状に避けていくくらい晴れるというようなことを書いた記憶がありますが、31日は雨でした。でも嫌な感じがしなかったのは、骨を折ったとき冷たい雨が降っていて、今回は春先の寒さゆるまった雨が降っていた。
 雨の日に骨が折れて書こうと思い立ち、雨の日にひとまず送る。因果なものだなと、ふっと笑いながら外に出て、コンビニでプリントしてタクシーで行こうかと思っていたら、コンビニで近くの居酒屋の店主に出会い、郵便局行くんですって言ったら「じゃあ送っていきましょうか」と。
 正直、家にいる時から頼もうかなとちらっと考え、いやいや、さすがにぶしつけだなと思っていた矢先の思い通りの出来事。本当に幸先がいいなと思った。
 骨を折っていると、色々な人が優しくしてくれるものです。他人って案外親切なんだなーと、しみじみ感じることができて普段は感じることのできない新しい発見をしております。
 正直もう自分の内面を掘りさげた小説を書くのは、いささか疲れました。もうネタないし、自分の人生を投影しながら書くので一度失敗したら、もうほとんど書くことはなくなるのです。で、ダメもとの三番煎じなわけですが、要約したら150枚くらい予定していたのが、たかだが55枚程度、スペース入れて19999文字に収まってしまい、これでいいや的な感じで。
 今まで少ない力で絞って絞って、一本で勝負みたいなことやっていたからいちいち傷つくわけであって、もう書いた後のことは全て忘れ去ってどんどんやってしまえば気にすることもないやと。
 もう何年も前から書く書く詐欺を繰り返し、鬼のように書いてやると宣言したにもかかわらずダラダラと過ごす日々をもう10年近くも過ごしているはずですが、それでも遠回りしてきてよかったなぁ、と思うし、まだまだ色々な事やっていきたいし、恐らく今日のようなドラマのような展開がまだまだ起こるなら、舞台の上に立っていると確信できるので、状況的には窮地そのものなのだけど、かなり気楽です。
 あと2ヶ月、どれだけのことができるかわかりませんが、やれるだけやっておこうと思いますよ。

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03/19

Thu

2015

名言は思っているほど軽くない

よく酒場に行くと、どこかの情報誌などの言葉などをそっくりそのまま自分の言葉のように語る人がいる。
しかし実際に自分がやっていることでもなんでもないので、言葉だけを知っていて内容は薄っぺらい。
言葉だけ知っている人は、その言葉の本当の意味を応用できないから得た知識のみで語り、酷く狭量なことを平然と正解のように語る。
言葉の意味を厳密に言えば正解だが、しかし生きる上で役に立たないのなら本末転倒だし、そもそも知識というのは自分を活かすために使うものであるから自分を無視してはまったく意味がない。

よく名言なども覚えている人がいるけれど、実際その名言が出来上がるまでには何年もかかったり、相当な苦労が必要だったり、言葉でわかったつもりでも内容はずっと重いことが多い。
特に実現しようとしたら、かなりの苦労が必要なことが肌身でわかる。
実現するのでさえ大変なのだから、いかにいい言葉でも沢山集めすぎると逆に重くなって身動きが取れなくなる。
また、やっていないから、どれもこれも大事なもののように思えて、必要のないものまで集めてくる。
実際名言を一つ実現するだけでも大変なのに、出だしから行動が正解には程遠かったら、自分では辿りつけない正解に苦しめられるだけだろう。
そしてその数が多ければ多いほど苦痛になる。
結局何が安全かとなると、行動しないのが一番になる。
正解はわかっているのに、行動したら失敗する。
そして数多くのそれに囲まれているのだから、自分で実証を試みないのが一番傷つかない手段となるわけだ。
かくして名言なるものは己を活かすものではなく殺すものになってしまうわけだ。

何故人は目に見える安易な正解にすがり付こうとするのだろう。
名言など必要としなくとも必死に生きていく旅路の途中で経験上確信できるいくつかの言葉に出会うはずだ。
その上で名言に共感できるようになるのだ。
そして完成された名言に対して自分に足りないものもわかってくるだろう。
それを最初から正解を掲げて多く集めたって、なんの役に立たせなければいけないのか、本当に身につくのかどうかもわからない。
情報を処理できないのも優柔不断な証拠だし、自分で検証する前から受け入れているのだから思考停止している。
よって直接的な行為に結びつかない。
名言は暗誦できるほど頭に叩き込んでおかなければまず役に立たないし、行動の中で細部を学び取っていかなければ個人にとってはゴミのままだ。

有名な言葉だが、論語から引用しよう。
学びて思わざれば則ち罔(くら)し、思いて学ばざれば則ち殆(あやう)し

考えて行動する。
それができないのなら捨てて一つに絞ったほうがいい。
逆に重さがわからないのであれば、持っていても過ちを人に伝えるだけだから捨てたほうがいい。
そして下品なのは、他人の言葉を借りて自分の意見を伝えることだ。
それをもしやっていたのなら、将来薄っぺらい友達しかできなくなるので今すぐ止めたほうがいい。
悲惨な事になる。

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03/15

Sun

2015

左足関節外果骨折

今年に入り2ヶ月半経ちました。
 相変わらず去年のようなペースでダラダラと進みつつ、文章や芸のこととは別の方向性で頑張っており、そこで少し発想を変えて職場を変えて働いていたら、どうにも使い勝手が悪く、動きづらさを感じすぎていたので、ここは自腹を切って自分で環境を変えようと思い立ち、道具を東急ハンズで買いました。
 東急ハンズの外に出ると先ほどまで降ってなかった雨がパラパラと強く降ってきていて、雨傘も持ってきていなかったことから、嫌な雲行きだなと感じまして。だって、だいたい自分の場合、いいことが起こるというか何かしら予感を感じる時って晴れていて、ほぼお天道様のタイミングを掴むことが物凄く多いのですが、今回に関しては道具一式揃えての帰り際の雨。なんだか流れが悪いと感じるわけじゃないですか。
 それで、狸小路というアーケードがある通りが近く、知っている店も多いので、どこかのお店で雨宿りさせてもらおうかなと思い、どのお店に行こうかなと思っていたら、ふと以前フリーの声優の柴田マサタカさんという方と一緒に行ったお店を思い出し、そこへふらりと立ち寄って飲んでいたわけです。
 時間帯が早いせいもあって、お客は少なく、マスターも自分の顔を覚えていてくださって色々な話をしましたが、結構2回目でも突っ込んだ話をしてくれるというか、ズバズバ屈託なく意見も言ってくれる人なので、この方は正直な人なのだろうなと感じ、たぶん人によっては反発するようなこともしっかりと考えていて、自分にとってはとても好きになれる人でした。
 裏表ないってこういう人のこと言うんだろうなと。
「ナレーションとかで稼いでるんだっけ?」
「いや、稼いでるってほどでもないですね。元々小説とか書いていたんですけどね」
 との流れから、
「それ、本気でやらないとダメだよ」
 と言われ、色々と聞いてみました。
「いくつまでに何をしたいか決めないと、ダラダラとやるだけじゃん。本気って言うのは寝る間も惜しんでやるものでしょ。俺はお客さんもそう呼ぶけど仲間のためなら自分の持っている力総結集させるよ。自分が担がれてここまで来たから、逆にその次元になったらやらなきゃ」
「自分がそのレベルまで行かなきゃ。他の人よりも上のレベルになってようやく他人を助けられるんだよ。それまでは絶対自分のことだけで精一杯だと思うんだよね」
「夢って実現させなきゃ本当に夢じゃん。そういう幻想を語っているうちって本当に口だけの人でしょ。情報もそうじゃん。他人から聞きましたっていうのは違う。自分で見ましたっていうのが情報じゃん。そういう情報持ってないんだもん。」
「本気じゃなければ諦めればいい。時間の無駄じゃん」
「だってそいつ(口だけのヤツ)、泥すすったことないじゃん」
 とまあ、改めてというか、だいぶ酔っ払ってしまいましたが気持ちが引き締まる思いで。
 わかってはいるけれど、とか、わかっている、ってのは人間絶対嘘なんですよね。本当に理解しているっていうのは行為に出るし、行為に出ないのは、なんらかの理由が存在するからですよね。
 例えば自分の場合グダグダと特に精神的な理由をつけて「時間がない」というようなことを繰り返し毎日を過ごしてきましたが、それも工夫すれば工面できた時間たち。もうちょっと気持ちを強く持てば、切り替え方をきちんと学んでいれば、毎日進めている。色々反省点はあるわけです。
 自腹で職場環境変えるために色々買ってきたことを告げると「いいね!自腹っていうのが大事だね!」と言われました。
 自分もそこらへんはわきまえていて、いくら自分の職場でも他人の場所なので、それはただの押し付けがましいことかもしれないし、やろうとしていることも自分勝手なことだから、もしかしたらまったく相手側にとってメリットはないかもしれないという危険性もある。言ってしまえば、自分の能力が低いからっていうのが一番大きいから偉そうなことも言えない。
 大きな荷物抱えて外に出るとまだ雨が降っていてビニール傘を貸してくれました。
「必ず返しに来ますね」
 と伝え、さあもう一件(元々そこに行きたかった)ってな具合で雨の中、行きたかった店の近くの横断歩道の縁石をピョンと飛び越えて着地した瞬間にくじきまして、そのまま立つことができずにうずくまってしまいました。
 左足関節に特に鈍く重い痛みが走っており、力が入らず濡れた路面にお尻をべったりとつけて、「あーっ」と低くうめきながら呼吸をし、今度は傘が杖代わりになり、ようやく立ち上がってすぐさまタクシーを呼んで家まで帰りました。
「すいません。シート汚れちゃうかも」
 と謝りながら「いいよいいよ」なんて言われながら、これ本当に力はいらない、立っているのがやっとだと思って、タクシー降りてからも引きずるというより、なんとか一歩、また一歩と雨の中時間をかけて前に進んで家までたどり着くという具合でした。
 家に帰っても両親が「これは普通じゃない」と言うので、ばあちゃん用の車椅子に乗り、雨の中誰の手も借りず動かしていたのですが、車椅子に使う力とか、スロープでどの程度の負荷がかかってくるのかとか、色々なことがわかって新鮮でした。
 歩けはしないけれど、耐えられないほど痛くはなかったので、自分でも楽観視しているところがありました。
 雨は止む気配がなく、激しく降り注いでいました。救急外来。父親の車で行きました。
 10年ほど前でしょうか。同じ病院に、似たような時間に来ました。
 救急車のサイレンを消してくださいと言った記憶があります。
 母がうつ病で首を切り、救急車で運ばれた時同席してました。首の傷はたいしたことはなく、傷口からも致命傷ではないとわかりましたし、以前に大きな音を覚えていて過剰に反応する母の様子を見ていたのでサイレンを消してくださいと言ったんです。
 救急隊員は怪訝そうな顔をしていましたが、父がすいませんつけてくださいって言ってサイレン鳴らしながら行ったという記憶があります。
 同じ廊下。似たような病室。一人でその廊下まで車椅子をこぎ、眺めていると勝手に涙が出てきて、一人で泣いてしまった。
 色んな思いが込み上げてきたんでしょうね。自分への思いも、思い出しました。
 3月9日深夜。診察時には10日に変わっていました。
 診察は左足関節外果骨折。細い骨が二箇所折れていました。
 L字型の足固定用の器具をつけて包帯で巻いて、それで帰るという流れ。
 なんかもう、一つ一つの説明を冷静に聞いていて、手術で金具を入れる可能性が七割、靭帯ももしかしたら切れていたりする可能性もある、など何の感情も浮かばず、ただ浮かんだことと言えば皮肉なことだなという思いだけでした。
 文章のこととは関係のないことをして、その道具を気合を入れて買った矢先に起こした怪我。
「本気でやれ」とのマスターの話。
 立ち仕事なので、しばらく仕事はまったくできない状況になった。
 そして3月という時期。文学賞の締め切りが目白押しである。
 まったく頭の中になかった思いがぐっともたげてきて、これはもう、文章を書けという天命なのだろうなと妙に納得している自分がいて、これで本気でやれなかったら本物のクズ野郎だなと苦笑している自分もいました。
 次の日近くの整形外科の待合室で目の前に相田みつをの「本気」の詩が。
 また本気かよ。もうわかったよ。なんてしつこさにうんざりしながら、自分の性格も冷静に考えて、これぐらいしつこくないと無理だなとどうしようもない自分に冷めた目を向けておりました。
 先生の説明は二箇所折れてますとのこと。あれ、自分の見立てであってるじゃんか、と。
「この白い線わかります? これ骨がずれた跡なんですよ。これね、2mm以上ずれたら手術しか手がなくなるんですけど、まだ1mmの範囲なのでギプスという選択肢もあります」
 手術すると10cm切って金具をいれ、さらに一年後に取るそうなんですね。治ったと思ってるのに、さらに手術っていうのも面倒なので、ギプスと言うか正確に言うとプロテクターのような着脱可能なものらしいのですが(イメージ的にはアイスホッケーのプロテクターのようなものが近い)、それをつけることにしました。
 さて、松葉杖生活。小さな小物がとても危険に感じるようになりました。
 例えば瓶や紙、袋、箱など、小さなスペースも動きづらいし、周囲に物があるだけで今までとは違った感覚で注意しなければいけなくなりました。
 足一つ使えなくなるだけで、これだけ世界が変わるのかと、どこかしら新鮮な気持ちを抱きつつ、例えば足を折ったり、手が使えなくなったりしたら、仕事もできなくなるし、周囲に知り合いもいなかった場合助けも呼べずに一人で生活しなければいけないのですから、本当にこれは大変なのだなと改めて感じました。
 大変だなと眺めるのと、自分が大変さを被るのとでは、言葉の上では違うとわかっているのですが、その感覚を生めるのはとても難しい。
 今とてもいい経験をさせていただいているのだなと、すっきりとした気持ちで過ごしております。
 立ち仕事できなくなって、それで悩み事が今は消え、マスターの言葉もあり、わりとシンプルに物事を捉えようとしています。
 ごちゃごちゃしていた心が整理された感がありますよ。
 さて、せっかくのお休みなので、文章書いていこうと思っております。
 救急外来の帰りのときから「窓」が浮かんでいて「窓」と「部屋」で一つ心の中を描写しながら小説書こうと思っています。
 ある意味これも、一つチャンスを与えてくださったのだと思うことにしています。



「本気」 著:相田みつを
なんでもいいからさ
本気でやってごらん
本気でやれば
たのしいから
本気でやれば
つかれないから
つかれても
つかれが
さわやかだから


追記:
ちょっと前にもリアルラジオのDJさんと話し合ってFMの枠が取れるかどうかという話の中で、「それだけいいもの持っている団体なら、無理にでも負荷かけたほうがいいんじゃないのかな。僕も面白かったらガンガンラジオで流すから」という話をされていて、色んな意味でここが踏ん張り時、むしろこの機会を逃したら一生なくなるんじゃないかというぐらい。
思うところが多すぎる。

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03/09

Mon

2015

勉強させてもらえる先生はいつも目の前にいる

やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。
ー山本五十六ー

有名な言葉ですが、前半部だけがよく取り上げられます。


「人望がない人」は、大体"話しすぎ"ている
職場で、どうすれば人はついてくる?
http://toyokeizai.net/articles/-/62331


先日、上記の記事を見つけまして、色々と考えておりました。
束ねている、というほどのことでもないのですが、団体を持ち、年齢層も幅広く、様々な才能の人たちと関わっていくと、例えば10個下の上司の自分への接し方一つ取っても勉強になるわけです。
つまり我が身に置き換えて、一体自分の何がダメだったのかよかったのか、そしてどうしていけばいいのか、傷つきながら喜びながら、自分がやってきたことを反省し酷く落ち込んでいる日々が続いているのですが、こういうことは金を払って学べるものでもないし、言葉を学んだとしても感覚ではわからない。
最初に書いた言葉だって熟読していくら覚えていても、個々人に対しての細かな方法、実行した時の大変さだってわからない。
多くの人もそうだと思いますが、普通の人は今必要だと思っている情報以外のことには鈍い。そして、感覚を研ぎ澄ましていないから見逃す。
つまり言葉だけ知っていても行動しないから理解しない。知っているつもりで、中を見れば何も詰まってない。
やっぱり何かをしている人って、自分なりにちゃんと言葉を持っていたりします。そして、その言葉や行動はきちんと自らの人生、生き方から出て来ている。たとえそれがあまりよくない方法や言葉だったとしても、学ぶところは数多くあるわけです。
それは自分自分していたら絶対わからない。俺は、私は、こう思うから、これがこうだから、なんて考え方していたら、絶対見えてこないことでした。
相手の立場を考える。相手の気持ちを考える。相手の思考を知る。その上で一番制御しなきゃいけないのが自分の気持ち。憎いと思える人に程、大親友であるかのように接しろ。最近はそう考えるようにしています。
大親友って逆にベタベタしないし、わかりあおうとするから本当の本当の本当のピンチじゃないと助けようともしないし、でも話を聞く姿勢はいつも保っている。それが大事。受け入れる姿勢があるってこと。だからよく観察しているし、ちょっとした違いにも気がつける。
日々の中で学べるかどうかは、相手じゃない。自分の姿勢にかかっています。
もちろん人間は感情の生き物だから、そう簡単にはできないけれど、そのことを意識することはできます。

最近若い人と接してよく理解したことは、かつての自分もそうであったように、大人が思う勝手な親切心は、ただの説教にしかならず反発心を買うだけだとよくわかりました。
だから余計な事は言わない。聞かれないことは答えない。その前に相手のことをたくさん知るべきなのだとよく思いました。
今自分に足りないのはコミュニケーション能力。相手の力や本来持っている魅力を存分に引き出すということ。日々勉強中です。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。

気が付いたら他人からとても褒められる娘ができまして、人生が大きく変わりました。
この小さな可能性と向き合うため頑張って生きております。

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