忍者ブログ

あさかぜさんは見た

リクエスト何かあれば「comment」に書いてください。「note」「Paboo」で小説作品読めます。

08/10

Wed

2016

弱いものを見つけてどうでるかが人間力

自分はかなりの長い時間飲食の世界にいました。
この世界は、偏見でもないとは思うのですが、最近は滅多にいませんが中卒で入ったとか、高卒で調理師専門学校を出て入ったとか、所謂そこからあまり勉強もせずに自ら積極的に学も身につけず、どっぷりとその世界に朝から晩まで働き詰めでやっているという方が少なくありません。
となると、かなり世界観も狭く、技術の世界なので体育会系のピラミッド支配形式になりやすく、理不尽な暴力は上から下へと行きがちな世界だと言えます。
世間的にはワタミの件でだいぶ「飲食業界はブラック」というイメージをもたれておりますが、個人でやらずグループ企業で働いている社員さんなんかは、相当ブラックなのではないかと思っております。
仕込みも含め、プラス、店の営業時間は8時間以上のところがほとんどですし、最近では社員を1店舗につき2人つけるというのは珍しくなってきておりますので、だいたい10時間労働は当たり前、さらには随分前から激安戦争も始まり薄利多売ですので余計に大変なのではないかと思います。
となると、精神も当然疲弊してきますよね。
どこの会社でもそうなのですが、飲食業では露骨に誰かの愚痴や批判が毎日のように繰り広げられておりますし、特に聞くのが和食の業界では変な「お高いプライド意識」もあいまって、怒号、叱責、脅迫、人格否定、酷い時には暴力も「指導」という形を借りて当然のように行われていると聞きますし、私の友達もやられました(包丁の柄で殴られた、木の板で頭を殴られた等)。
トップに立てるような人物というのは人間が出来ていないと立てないものなのですが、そこに行けずに和食崩れの「和食の職人」が世の中にはゴロゴロいます。
例えばあなたの会社にもいらっしゃるかもしれません。
「過去どこどこに所属していたから自分はこれだけの実力がある」という「経歴で実力を示す」人。
経歴だけで実力がその通りだとは限らないのですが、言ってる本人は実力あると思っている。
しかし周囲が見ると「???」と疑問点が多い「肩書きだけの人」は特に、「弱いものを見つけては上からプレッシャーを与える」ことをやりがちですし、間違っている点を指摘されると逆切れします。
特にこの手の人間、上からガツガツやられてきて、ついにはトップに立てなかった人種ですので、今までの恨みつらみのようなものを下のものにやりがちです。

ことあるごとにこのフレーズは繰り返しておりますが、基本的には暴力は常に弱者に向かって水のように移動してきます。
立場であったり、欠点であったり、何か付け入る隙があると、やられるし、やりたくなるものです。
飲食のお客様でもよく見られるのですが「店員に横柄な人」も、精神的な暴力行為だと考えております。
特に若い時などはわからないことが多いのですが、立場が上がってきたり、経験的に知ってることが多くなってくると、他者の気になるところが多くなってくるものです。
自分もそうですし。でもそれって自分への鬱憤の裏返しだったりします。

必要のない批判はいらないとどこかでも書きましたが、さらに理由を見つけました。
飲食の業界見ていると、よくわかるんですが、わりとクズ野郎って一杯います。弱いやつを見つけては暴力行為に及ぶ人。
そんなやつらを批判なりしていたらきりがないわけで、この世の中にも活躍している人の中で欠点のありまくる人は数多くいるわけです。
批判すると自らも苛立ちますし、永遠に続く賽の河原の石積みのようなものです。また鬼が来て崩して積み上げての繰り返し。無駄。
世の中の悪いところを批判するのとは違って、ただの個人攻撃ですからね。たとえその人が目の前から消えても次から次へと来るわけです。
そんなことを繰り返すよりも才能あるものを育てたり、優れたものを素直に褒め称えていって、世の中に紹介していく方がずっと有益じゃないかと思います。
だいたい皆未熟なところから始まりますし、マイナーなところから育てていくのは大変ですけれど、壊していくよりかはずっといい。

弱い立場の人、欠点のある人、そのような人たちに対し決して弱いものいじめにならないように振舞う気持ち、例え上からの理不尽な暴力を受けていたとしても自分で止めようとする強い心があるかどうか。
そういうところに本当の個人の地金が見えてくるのだと思います。

人間聖人君子は不可能なので、不断の心がけとして、ということですね。



拍手[0回]

PR

07/31

Sun

2016

人間として存在するために大切なこと

よいテーマ、というか、生涯考えなければならないことが見つかった。
こんな風に自分に積み上げていければ、必ずよい結果が得られると信じています。
僕は「尊い」という言葉を忘れ去っている者を個人のあり方として大変疑問に思う一人です。
さもなければ言っていることと、やっていることに矛盾が出るのですから。
物事の本流にある人は行動のみに徹するため、あまり騒ぎ立てることはないのですが、情報に対するアレルギー反応を示している人はいつも外野の人たちなのだとわかりました。
諦観にも似た「達観主義」のような気持ち悪い風潮が今の日本を十二分に蝕んでいることがよくわかりました。
頭で考えすぎるあまり目の前の現実を否定する。自分の頭をリセットできない故の閉ざされた思考。
体験に固執している人も、ほぼ似たような行動パターンを示します。
互いの分野で互いに頑張っていればそれでよしとしない人たちは、ほぼ何らかの「怠惰」に塗れていることも特徴として挙げられるかもしれません。
人間わりと、それほど起用じゃないから、ほとんどの人はあれもこれもなんていう風にはならない。
だからこそ自分が正しいとか、こうしなきゃいけないとか、そんなこと押し付けられますか?

「あなたはここが優れています。私はここが優れていますから、こんなことで協力できますよね!」
そんな話、あまりここでも見えないのはどうしてですか?
他人を尊重するふりをして自分しか大事にしてないからじゃないでしょうか。
このことは僕も自身に突きつけて考えないと、忘れてしまいそうなほどです。
「人間として存在するために大切なこと」
まず自分の問題がありますが、それがある程度解決できたら、その言葉を他人のために使っていくべきだと思っています。

拍手[0回]

07/26

Tue

2016

批判だけだと縮こまる

何のための批判なのか、批判した上で何を作り上げるのか、それはただの鬱憤晴らしにしか過ぎないのではないのか、一方向からしか見てないのではないか、マイナスしかないのだろうか、プラスマイナス差し引いても批判をしなければいけないのか。
批判はとても出しどころが難しい。
よほど向上心のある人ではない限り、だいたいは一方的で相手の言い分は聞こうとしない。
ほとんどの人間は批判されると、批判した人を相手にしなくなる。
立ち向かうことだけが正しいことではないけれど、立ち向かわなきゃならない時もある。
批判するなら一人になる覚悟を。
批判されたなら、相手のことを懸命に考える努力を。
だけれど、批判を糧にするためには、相当努力しないといけない。
何故なら何を言っているのか反抗的な気持ちを持たずに理解する知識と度量がないと受け止めきれないからだ。
例えばきちんとやっている人の批判というのはおおかた正しい。
年季が入っている人の言葉は鋭いだけに立ち直れないと思えるほどに傷つくかもしれない。
どこかの人が言っていたけれど「みんな駆け出しのころは批判されて大物になっている」のだそうだ。
批判の中には大きな財産が眠っている。
宝を掘り当てるには言った人間の人生や言葉の精確性までも考えていかないといけない。
そういうのを優れた大人は一瞬にしてやっている。
もし少しでも凄いなと思う大人、鋭い批判をしてくる人が現れたら、その人のことを懸命に考えてみるのはどうだろうか。
その人が何を経験してきて何を感じていて何を考えているのか。
わからないからこそ、考えてみる。
違った視点が生まれてくるかもしれない。
ただ、批判というのは、あくまで意地悪さや辛辣さを含まないものであって、例えば作品への批判だったら作品以外のものは貶さないというのが鉄則だ。
よく人生や人格まで批判してくる人が居るけれど、そのような人間は相手にしないほうがいい。
ろくなやつがいない。
でも本当に上手い人は、批判はここぞって時にしかやらないし、さり気無く出してくるものだし、批判の内容だって使えるものと使えないものがあるから選び取っているし、どうでもいい批判は感謝の気持ちを述べるだけで受け入れない。
言ってくれる人が居るだけありがたいと思わないと、自らの向上には繋がらない。

でもね、ここで言っている内容、あくまで他人とのことであって、近しいものだと批判が重なるごとに相手をしたくなくなるのが人間の本心。
プライベートじゃ平穏でいたいのは誰しも一緒だから、批判をしたくなることがもしあったとしたら、別の方法を懸命に考え出さなきゃいけない。
特に一緒に居る人だとしたら、批判をするごとに何かが狭まっていくと思ったほうがいい。
最終的には心が遠くなって絆が千切れていく。
一緒に居るってことは、常に互いが協力的であるべきだし、その協力的の内容とは、互いの本心の部分で傷つけ合わないことだ。
大事にしているものを大切にしてやることだ。
もし相手の大事にしているものがわからないのであれば、近くに居ても遠い人なのだろう。
恋人であっても夫婦であっても自分の子供であってもそうだ。
遠い人にしないためにも日々の何気ない思いやりを大事に会話をしていけば、心配するに値しないだろう。

拍手[0回]

07/20

Wed

2016

AIに仕事を奪われていく

様々な仕事が将来AIに取って代わられるという。
それも自分たちが生きている間の近い将来にだ。
富というのは、この点からも平等に分配されるわけがなく、特殊な技能のないものから職を奪われていき、その人たちはどのようにすればいいのかは政治的なことや、もしくは市民団体の強力なサポートなどがないと二度と職にありつけないような事態が生まれるわけだけど、ちょうど今の二十歳前後の人たち、今からちゃんと政治と未来とを考えないといけないと思うんだけどな。
ああ、その未来に対して示唆を与えるのも小説家の仕事なのかな。
仕事がなくなると何が起こるかっていうと、犯罪が増えていく。家にも住むことができなくなるのだからスラム街のようなものができる。そのスラム街を拠点にして外国のマフィアが暗躍し始める。
ようは、これ小説の世界だけど容易に想像可能な未来として待っている。
未来を想像するためには、その他大勢の人間と同じようではいけない。持続可能な社会がこの先、いや、結局戦争経済に徐々に移行していくグローバル化や、社会のAI化の中で、どうすればいいのか。
全てが八方塞になる前に誰かが未来を的確に予想して立ち上がらなければいけないのだけど、皆が他力本願で、自分もまた政治家の才能はないし、結構泥まみれなので、一瞬にして下ろされるだろうし、才能の出現を待つしかないのが実情。
ただ、不思議なのは僕は地域で政治家を育てるという運動が起きてもいいんじゃないかと思ってる。
優秀な人材に村で金を出し合って育てる活動をしていくとか、このことに関しては「勝手に育ってくる」のを皆待っている。
時代の流れは止められないから、機械が悪い政治家が悪いなんて言う人も出てくると思うけど、それは見当違いだし、自分たちが民主主義の世できちんと将来を理解できなかったのが悪いのだから、誰も責められない。
例えば誰かを育てるというのも一人当たり一ヶ月千円とか五百円とかでもだいぶ違ってくる。
教育に割くお金。本だってみんなの共有財産として扱っていけばいいし、人間が知恵をつけない限り、生きていくことそのものに希望を見出せなくなる。
AIは学習していく。物凄いスピードで。
だから気がついた時には職がなくなっている事態は充分起こりうる。
目に見えた時には、もう遅いんだ。

うん。そうだね。
このことは書かないといけないのかな。
小説の世界として。

拍手[0回]

07/09

Sat

2016

老害って言葉

三つ子の魂百まで、ということわざがあるのだけれど、わりとこれって当たってて、ネットでも現実でもそうなのだけど、道理をわきまえてなくて不愉快な人ほど出しゃばってくるっていう性質がある。
だからまるで年上のほとんどが若者に害をなすような感覚、もしくは若者の成長を阻害するような存在として見てしまいがちだけれど、まだ何十という数ではないけれど、何人か見ていて、さらに生い立ちなどを知っていくにつれ、どうにも昔からその手の性質はあったのではないかと確信できるようになってきた。
また、年齢が行くにつれて子供じみてくるのもあるかもしれない。
なんというか、自分なりに楽に動ける方法を長年の人生で確立しているので、癖は上塗りされ、考え方は固定され、行為は冒険を忘れ、体力は衰えるわりには頭はしっかりしていたりするので口が先に出たり、じれったくなって苛立ったり。
特に何がいけないかって、知っているものが多くなればなるほど、それをベースにして物事をみるから、とにかく見下しがちになる。
自分だって今あるくらいだから恐ろしいことだ。
「こいつはまだ何も知らない」
という目で見るし発言する。
自分でも何故なんだろうと思いながらも、だいたいこのパターンだなっていう範疇から人が外れなかったりするから、ぱっと言ってしまったりするけど、この手の姿勢をもっと疑った方がいいのではないかと思っている。
もっと怖いのは年を取って態度が硬化するのか、軟化するのか、どうしたらもっと色んな人たちと寄り添えるのだろうと考えたり。
人は無意識の中で今まで自分が生きてきた、行動してきたパターンを是とする性質があって、それが固まってしまうと目の前の人間を上手く観察できなくなる。
つまり相手のことを無視してでも我を通すようなことを平気でやりのけるし、それが年長者の特権と言うか親切心だと思い込んでいる人も多々いる。自分は間違っていないと自信満々なのだ。

自分が知っている素敵な大人っていうのは、本当に腰が据わっていて、安易なことでは否定的な言葉を吐かない。
そこに誰がいても真摯に向き合うし、相手の可能性や、物事の可能性をじっくりと共に探っていく。
幸運だったのは、自分がその手の大人に出会い、一緒の時間を少しでも過ごせたということだ。
で、かく言う自分はというと、情けない限りだ。
それでもなんとかして自分が活躍して団体が育っていくといいな、なんて思ってるけど、まだまだすぎる。
努力が足りない。

還暦過ぎるとだんだん子供になっていくと言われている。
だから性格が変わるなんてことはまずないと思ったほうがいい。
老害なんて言われている人たち。
その人たちに安易に老害、老害と使う人たちが、老害と言っている人と同い年になったら、あらまあ不思議。
その人たちは立派な老害になっている。
当たり前でしょ。それが今生きている自分の基本的な他者への姿勢なんだから。
だったら年取って変わると思います?
今度は若者に対して誹謗中傷の類の言葉が向けられるに決まってるんです。
そういうお友達は若ければ注意するといいし、年取ってたら友達づきあいは遠慮した方がいいと思いますね。ええ。

拍手[0回]

フリーエリア

にほんブログ村 小説ブログへ
にほんブログ村

バーコード

プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

最新コメント

(07/27)
(02/23)
(03/05)
(03/02)
(01/24)
(07/29)
(01/21)
(08/16)
(04/28)
(04/20)

ブログ内検索

カレンダー

03 2025/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30

忍者アド

Copyright © あさかぜさんは見た : All rights reserved

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]