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あさかぜさんは見た

日記

06/03

Mon

2019

話し始める前に黙ることを練習している

確かTwitterでこんなのがあったな。

嫁「ねえ、ちょっと話を聞いて欲しいの。話を聞くだけでいいからさ。アドバイスとかいいから話聞いて。会社でさ・・・」

旦那「それは~~で○だから君は□すればいいんじゃないかな」

嫁(ぶっ殺す・・・)

女性からの相談を聞いていると、この手の悩みがちょくちょくある。
男って黙って話を聞くだけってのができないみたい。
そして多くの若者へのコミュニケーションを阻害しているのも、この「黙って共感する」というのができないオッサンどもにある。
僕も団塊の世代ジュニアだからわかる。
前へ出たら生意気。
目上には逆らうな。
何で言うことを聞かないんだ。
だからお前はダメなんだ。
意にそぐわぬことをすると威圧的に否定されてきた。
こんな環境で育ったら、そらー社会で「教育」というものや、人への接し方が自ずと一辺倒になる。僕は長年この手のやり方が人を成長させると勘違いしてきた。
僕の接してきた少し年上の人間でも、この手のタイプは多かった。
時代遅れを通り越して、時代を逆行させる大きな原動力になっているし、本人は自分を正義と信じて疑わない。
もうそんな人間に出会おうものなら若者も心理的に硬直。挑戦しなくなる。
ここまでくると気持ちを促すしかない。小さな挑戦そのものを讃えて次のステップへ促すしかない。
いい年だからとか、そんなもんは関係ない。無視。純粋に前へ進もうとする、その姿勢を評価するしかない。

ちなみに世の男性の皆様。パートナーにアドバイスをしてと言われない限りアドバイスなどしたら、大抵機嫌を損ねられます。
仙人になった気分で相手の心と接してください。おおらかな心で、そこは見守るのです。話を遮らずに全部吐き出させるのです。
さもなければ、ある日突然、男性の方に思い当たりもしないのに、別れ話を告げられるでしょう。
これは、若者へも同じことが言えます。本当に。

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05/03

Fri

2019



梅の花が咲いていた。嬉しい。
なにせ花なんて咲くことなかったのだから。
この下でめいいっぱい焚火したのがよかったのかな。近所の人に怒られたからもうやらないけど。
札幌で小さい頃一軒家に住んでいたけど、そこに立派な梅の木があった。毎年見事な梅の実を成らせていたけど、その時は犬がいて、せっせと根元で用を足していた。
何もしなくても肥料が与えられていたから実も大きかったけど、この家は別に何もしてない。
肥料あげたら実とかなるのかな。
札幌にあった家は目の前に円山公園があり、この時期はべーべキューの煙で白く濁っていたし、北大連中等学生が結構やらかすので、桜に対して良いイメージなどあまりない。
今は学生さん相当丸くなって昔のように無茶やる人減ったけれどね。
人間はどんどん年を取っていく。
僕って、つい三十年前まで子供じゃなかったっけ? 四十年前はお腹の中にいた。
でもこの木は僕より年上じゃないかな?
それでも2m位の高さで枯れてるっぽいところを切ったので不格好。大きくはない。
生きてはいるんだろうけど・・・と眺めていたけど、花が咲いてよかった。
意外に強いんだな。実が沢山収穫出来たら梅酒でも作って10年後とかに飲むのも洒落てる。成ることはなかったから期待していないけど。
自然相手だととにかく時間がかかる。
人間のことだと、締め切りだ納期だ決算だ業績だノルマだ収入だ支払いだと急かされることしかないのにな。
そしてぼんやりしていたら僕も立派なおじさんになってしまった。どこからどう見てもオヤジ。
本当に時間の流れって平等なの?
でも咲いてよかったよ。梅くん。
君は若者なのか、大人なのか。いやいや、まだまだ若いのだろうな。ゆうに50歳以上だとしても。

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05/03

Fri

2019

たまに悪夢を見る。
だいたい生命の危機とか精神の危機とか。
例えば生命の危機だと誰かに襲われるとか、刃物は結構出てくる。
精神の危機は無抵抗の状態で色んなことをされるというやつ。
夢の中でも叫んでいるが現実でも叫んでいる。
その自分の叫び声で起きる。
動悸が止まらず、夢の内容をよく覚えていないにも関わらず、数日は精神がさ迷う。落ち込むと言った方が伝わりやすいだろうか。
覚えているだけでも十数年は平気で見ている。
普通に生きているだけでも精神が削られる。
穏やかでいたいはずなのに、そうならない。
生きることはとても辛い。
もうダメかもしれないと思う時が何度かあった。
このままじゃ無理だ。生きていけない。死んだ方がずっと楽だ。
酒をあおって忘れるけれど、次の日動悸がまた激しくなったりする。
不安で他人という存在が恐ろしくなる時がある。
こんなものと一生付き合っていかなきゃいけないのか。
結構うんざりするな。
たぶんこういうことを繰り返しているので、どっかで似たような日記を書いているだろう。
そこからどれだけの時間が経ったのか。
一応まだ生きている。
危ないなって思う時もあるけど、まだギリギリ。
今年は特に動悸が酷い。
そりゃそうだろうな。
失敗したら死ぬしかないしな。
こんな心を持って生きていくしかないのは、ハンデに感じるなぁ。
少なくともいらない機能だった。
悪夢とかセットで来るの。
心が苦しい。

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05/02

Thu

2019

肉の日にやったこと



4月29日。
「平成最後の肉の日」っていうことでね、牛肉なんですけれど、僕が紹介したいのはお肉ではないのです。
奥の方に見える付け合わせの方。
前に「ハスカップ」という主に北海道で栽培されているベリーのような味の果物を紹介しましたが、それ使っています。
内容は行者菜(ニンニクに代替可能)、人参、玉ねぎ、エリンギ、バター、赤ワイン、と混ぜていて、赤ワインではなくてハスカップの色で赤に染まってます。
ということは、フレンチのソースとしても万能。
いわば、バルサミコ酢の代わりにハスカップを使っても万能だということ。
食が生きるのはレシピ。
つまりは「設計図」さえあれば、誰でも簡単に使えて、食材の可能性を広げられるのです。
お菓子だけじゃない。
ハスカップは肉にも合うソースとしても万能です。
厚真町の皆さん。
使えますよ。
お菓子以外にも。
おにぎり以外にも。
立派な食材として。

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05/02

Thu

2019

伊賀焼の谷本洋さんの器を手にする機会があり、器を手にしながら考える。
どんな料理がいいのか。手に入れた器は近年「手軽に扱えるように」と谷本さんが本来の伊賀焼のコンセプトからずらして家庭用にと制作していたものの一つ。
陶芸とか陶器とかなると、ちょっと重いイメージがあるけれど、とても軽い。
谷本さんは全国を回っていて、何年かに一度、札幌の三越に来ることがあり、ちょっとした縁で知り合った。
器を手に入れたはいいが、やはり器を目の前にすると、下っ端調理師をやっていたし、本職は(自称)芸術家なので、面白くもなく美味しくもないものは作りたくない。
安易ながらお野菜をふんだんに使ってみた。



一枚目は油揚げと鶏むね肉と小松菜のたらこあえ。
液体塩こうじと根昆布出汁であえた。



二枚目は伊達で初めて見た「コジャク」という野菜。ゴマのような香りもあるし、春菊までいかないまでもちょっとした香りと苦みもあるし、「セリに似た」とネットではあったけれど、実際セリを単体で味わったこともなく、でも美味しいというぐらいしか説明できないやつと、からし菜を根昆布出汁とミツカン簡単酢と液体塩こうじを混ぜたものを薄めてハスカップの汁であえたもの。からし菜自体が紫の葉を持っていたので、ハスカップ抜きでも紫に染まっていた。
上に乗っているのはハスカップの実。
苫小牧産で酸味が強い。まるで淡い梅干しくらい。
実は2018年の胆振東部地震の中心地だった厚真町のハスカップは糖度が高く、よりあえ物への奥深い味わいを示してくれる。
僕は、この厚真町のハスカップをお勧めしたい。
野菜とあえても、まったく違和感がない。
食材としても大いに活躍できるし、ハスカップは大腸菌の繁殖を抑制する効果があるのだと、この前厚真町の報告会で偶然聞いた。



三枚目は少し花の咲いた菜の花を道の駅で見つけたので、食べ物としてはえぐみが出てくるものの、ビジュアル的に春だなと思い購入して、春雨と一緒に酢味噌生姜あえにしてみた。
酢味噌は事前に韃靼そばの実と厚真産の味噌をあえたものを使った。
味噌がとても素晴らしかった。塩っぽさや豆の主張を抑えながらも、かつ縁の下の力持ち以上の味わいを発揮する。淡く甘い。
ちなみに厚真町の「しゃべーる」という施設で味噌を売っている。
試してみてはくれまいか。
豆腐も美味しいが、当然日持ちはしない。
日持ちがする商品となれば、まず味噌だった。
他にも厚真町のお勧めは米があるが、プロの人に自信を持っておすすめしたい逸品だ。

本来の伊賀焼については、僕の手持ちの写真がないのでネットで検索して欲しい。
僕のような半端物の紹介で申し訳ないとは思うし、勝手な見解をこれから申し上げるが、僕は谷本さんが作る伊賀焼の神髄は「人為」と「天意」にあると考えている。
現代陶器を眺めていると「人為」を強く感じる。
我々は人工的なものの中に生きている。例えばビルであり、近代的な木造であり、決められたスペースを形どった鉄やらコンクリートやらといったものだ。
車の横幅がだいたい決まっている中で、駐車場の線が狭かったらイライラするのと同じような感覚だ。
都会に生きていれば目の前にアスファルトがある。
毎日排気ガスの香りを嗅いでいる。
何の塵なのか車が巻き上げた、明らかに体に悪そうな煙のようなものも吸っている。
建物は法律や人が決めた何がしの区画やらが決まっている。
都会に自然などない。
だからこそ、都会にあう(語弊があってもかまわないが)スタイリッシュで近代的な陶芸を持って「土」というものを示す。
つまり近代建築や近代生活にあう「陶芸」というものが一般的なものになっていると感じるところがある。
つまりは「人間美」なのだ。
だが伊賀焼に関しては、究極のアンチテーゼを示している。
「近代様式」や「現代陶芸」へのアンチテーゼだ。
作り手である当人には当然そんなつもりはないのは承知してはいるが、伊賀焼に関しては近代建築の中に置かれると、強烈な違和感しかない。
ゴツゴツしていて、まるで「大自然への哲学観」しか感じない。
その陶芸には渓谷があり、濁流があり、手の入れられていない青々としたむせかえるような緑があり、命が消えては生まれ、打ち寄せる水にもびくともせぬ上流の角張った岩があり、命の最後の使命を果たさんとする生命達があり、爽やかな、時には全てをなぎ倒さんとする風があり、そういう「実直な自然への問いと答え」が、そこには存在している。
だからこそ「哲学」なのだ。
現代陶芸が「人間美」なら、伊賀焼は「自然美」なのだ。

僕にはその器を扱うことができない。
使えないものは飾るだけになるから、僕はもしかしたら生涯手に入れられないかもしれない。
それでも「ちょっとカジュアルな」という感じの器を手に入れ、作者とも話をし、少しだけ知り合いの仲になり、器を使って料理を作るとなると畏まる。
迷いもあるし恐れもある。

どこにでも手に入るものながら、写真ではわからない北海道らしさが出ている食材を使っている。
韃靼そばという、寒冷地に強い品種のソバの実を二枚目以外のものには使用している。
二枚目はハスカップ。
新千歳空港で特にモリモトで扱っているのでお菓子のお土産として味わってみて欲しい。
ひとまずは、器を使っているというアピールも兼ねて、美味しい味わいにひと花以上のものを添えてくれた器を、これからも大事に扱いたい。

ありがとうございます。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。

気が付いたら他人からとても褒められる娘ができまして、人生が大きく変わりました。
この小さな可能性と向き合うため頑張って生きております。

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