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あさかぜさんは見た

日記

09/08

Sat

2018

大地震の次の日

北広島総合体育館で携帯の充電受け付けるとあるので正午近くに行ってみる。
午前七時から受け付けていた予約1700件が三時間も経たずに埋まったとのこと。
燃料もいつ届くかわからないので再開は未定。
避難者は100人ほどはいるという。
体育館から出ていく時入り口に「車上荒らしが多発しているので注意してください」とのこと。
火事場泥棒ならぬ地震泥棒。気持ちがげんなりする。
体育館近くの樹木は根こそぎやられているもの数本。片付けも最低限にとどまっていた。
駅前の地元のスーパー3件。COOP東光ともに店の中は復旧せず、昔から生き残っていた小さなスーパー昨日も停電でやっていたが、電気がついて本格再開。見たことのないレジへの長蛇の列。いつもの20倍の長さ。
電気が復旧してないこともあり、日持ちのしない食材皆控えて買う。スナック菓子やカップラーメン人気。惣菜も飛ぶように売れる。冷蔵必要なものは残りがちだが、日持ちのきくもの、ほぼ棚が空に。しかし調理が必要なもののレトルト食品は残りがち。カレーのルーとか麻婆豆腐の元のようなもの。
冷蔵きいているせいか、ビールなどアルコールを求める人も昼過ぎだったがあり。
駅前の飲食店数店縮小営業再開。片付けに終われる場所と被害少ない場所、電気未だに入らない場所の明暗別れる。
地元ガソリンスタンド500メートル近くの長蛇の列。ガソリンはリッター数限定で入れることが出来るようだった。
まだ物流不安定ながら大手スーパー一部営業再開とのラジオ流れる。
地下鉄完全復活。JRは空港再開に合わせて快速エアポートのみ明日も一時間に2、3本のペースで出すことを決定。
飲み屋でNHKを見ていたけれど当たり前ながらnowではなく、今困っている人の情報は断然ラジオが強いことを如実に感じる結果に。
報道の在り方に被災地の抑えた怒りを想像することができた。
NHKでさえ悲劇を煽る媒体。ニュースの後に支援先の情報でも入っていたら本当に立派だったのにニュース投げっぱなし。見てる人間唖然。過去よりも明日の現実的保証求める気持ち強い。
当たり前のことへの感覚や恐れが日常の便利さで麻痺する怖さを逆に知る。
夜には大雨。被災地余計に不安。土石流発生しても被害を受ける人間いないことを雨にあおられながら願う。
家は未だに停電。生肉などの食材がそろそろまずい。味噌や塩や酢を濃くして常温でも2、3日持つようにする。
政府は明日中に全道電力復旧するとのことだが逆に万が一のことがあれば計画停電もやむ無しとの発表。
余震も震度7クラスが起こる可能性もあるとのこと。
もう一回起こればかなり深刻な事態に。
毎回台湾の全面的支援が尋常ではないレベル。
親日というよりも旧知の親友レベル。


P.S.
9月8日早朝に電力回復して現在の日記を投稿。

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09/06

Thu

2018

9月6日深夜3時過ぎ、大きな地震が起きた。
ちょうど朝ごはんを作っておこうと調理中だったため、火をすぐに消す。
大きな揺れの5秒くらい後に完全停電。
外に出ると辺り一面真っ暗。
初めての経験に途方に暮れる。
前日の夜、経験したことのない勢力の台風に見舞われ、太い木や枝が風によって折られ倒される状況。
根っこから抉れて倒れている木もあった。
その次の夜には大地震という有様。
台風で物が飛んできて窓ガラスが割られなかったのが幸い。
台風の日はたまたま30分だけ早く帰ることが出来て運良く難を逃れる。
が、次の日には記録的大地震という2日間。
札幌より震源に近かったため、かなり揺れました。
避難場所を確認し、ラジオをずっと聞いている。
夜はペンライトで過ごす。食事は残り物。
昼間はまだ携帯の電波が届いていたけれど、夜には電波が来なくなり札幌方面まで来て連絡を取る。
ガスが止まったためガス会社へ確認の電話をするために。
途中個人飲食店の一部が非常用照明でやっていたり明かりのついているコンビニに人が殺到していたり。信号のほとんどはついておらず車が曲がるときは恐る恐る譲り合い。闇の中に人が突然浮かぶ。電気のない都市はゴーストタウンのようだった。
深夜近くになり、この地域でも電波が復活。ガスも止まっていたが安全装置が作動していたことをガス会社に電話してわかる。ガスは復活。断水の予定がないとのことで料理が可能に。
近くの校舎に避難所が設置される。発電装置で対応。足下のみ照らす。少量だけど三食出る様子。電気ポットがありカップラーメンは作れそう。
一昨日の台風の影響があり、所々倒木がある。道が塞がれている歩道もあるが、それほど多くはなかった。
雨が来そうだったが晴れていた。気温はこの時期にしては高めの25度前後。台風の影響か夜も極端に下がらない。
電気のない世界の夜はハッとさせられるほど美しい星空が広がる。見たことがないほど天上が輝いていた。
もしかしたら生まれて初めて、あれだけの綺麗な空を見たかもしれない。

P.S.
日付は6日ですが、8日にアップしてます。

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08/27

Mon

2018

ある子たち

いい年になってきて、自分の子供のような子がどんどん増えてきて、自分はお父さんのような年になって老人になっていって、それで例えば一般倫理ではくくれない子に出会ったりする。
そういう子は家庭的に本人はとても不幸を感じていて、家庭的に不幸ではなくても学校などで問題があっても、ネットの人にしか話されていないという状況もある。
その子たちは、性的なものに溺れたり、音楽を大音量で聞いて耳を壊していたり、暴力的な行動に出たり、全てに無関心であったり。
この子たちの感覚は通常の人間にはわからないし、似たように捻じれた精神を持ち合わせているか、よく下調べをした専門家のような人間にしか見えてこないものがある。
人間は皆平等ではないという現実が精神の部分で存在している。

僕たちの差別は必ず思い込みと習慣から生まれる。
そして自分の経験を押し付けて相手の人生を踏みにじることは、今の僕でさえ平気でやってしまうほど、意識していなければ誰しもやってしまうほどだ。
例えば、性的なものを見せつけることでしか強いつながりを感じ取れない子で、かつ家族にないがしろにされていて自らの命を感じ取れない子に対してどうしたらいいのか。
自分の体を壊すこと、例えば先ほどの大音量イヤホンで音楽を聴くの他にも腕を切る、ずっと絶望を抱いている、本当に色々。

自分に余裕がなければ助けられないのはわかった。
でも、僕もだいたいの人から理解されないような奇異の目で見られたことが多いから、この子たちの気持ちはよくわかる。
どうすればいいのか。
本当に、日本は同調の国。
それ以外は、村八分にしていく。
どこもかしこもコミュニティ単位でそれが発生している。
いや、人自体がそうなのかも。

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08/27

Mon

2018

生への葛藤

「精神」というものの形成は、どうしても家庭環境が強く作用する。
全部が全部「自分の努力で」というわけにはいかないのだ。
その証拠に他人に色々言う人間ほどわりと意固地なのだから。

僕は、ふと思うことがある。
活字が嫌いだったのに小説のネタのことをずっと考えていて、そこからできあがるものを日々夢想し、日々に年齢に体の疲れに潰されそうになっている。
隔たった考え方をし、他人と違う思考をし、他者とは共有できない世界をもって人と接している。
もうちょっと普通の人になりたかった。
何も知らず、社会に何の疑問も持たず、規範から外れず、真面目に仕事をすることによって特に可もなく不可もなく、誰からの期待も恨みもなく、平凡に暮らしていく。
そうだな、まるでJOJOの吉良吉影のように。

自分が生きていていいかどうか未だに迷う。
迷う時がある。

精神は上下を繰り返して一定であることがない。
死にたいと思うこともあれば、希望が十分にあると思う時がある。
不思議なものだ。
何故こんな精神を持ったのだろう。
何故こんなに生きることに迷わなければいけないのだろう。
そういうのは、若いころで終わらせて二度と迷わないものなんじゃないのか。
孔子は四十で惑わずと言ったそうだが、惑うばかりさ。
だがもう少し猶予はあるのだけれど。

知っている。
どうするか、ではなく、何をやるか。
限られた時間を使って何をやるか。
ただこれだけでしかない。

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08/17

Fri

2018

今の時代新聞というメディアの情報が遅すぎて、何のために読んでいるかわからなくなる。
自分が取り逃したもののみ拾うという媒体でしかなくなった。
しかし今のウェブのレイアウトでは情報を拾うには少し見づらいところがある。
日本語は縦文字がやっぱり読みやすい。
というより、日本語の速読は縦読みの方がよいのではないかと思っている。
慣れている、というより、字体として漢字を含む文字は横には向いていない、と強く感じる。
ウェブレイアウトに感じる違和感は、この文字に対する違和感にあるのではないか、と考えている。
情報を素早く手に入れるための媒体は、もう新聞ではなくなっていてネットが主体になっている。
日本語のネット記事は縦文字にしてくれまいか、と望みだしている。

新聞というものを改めて読みだして一か月ほど経った。
情報に主観はいらない。
ただ客観的なものだけがあればいい。
そういったノイズが排除されている情報源は今の日本には少ない。
色々わかってきたことは、新聞という媒体は、何かを知らない者への煽りが多分に含まれていて、その煽りが経済効果や政治効果を生むという新聞社の過信がまだ残っているために、新聞社の中の人たちは、そのことも理解できないまま、「昭和」ではなく「平成」を終えようとしている、ということだ。
早く気が付くべきだったのに、まだ権力のある人たちが残っているから、時代の流れに気が付かないまま流されてしまう。
この人たちが、終わろうとしている命をいかに使って政治へテコ入れしてくるか、というのを眺めている。
近々この人たちの最後の足掻きが、日本の情報と情報に対する法律を変えるのではないかという想像だけ残して、冷静に眺めてはいる。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。

気が付いたら他人からとても褒められる娘ができまして、人生が大きく変わりました。
この小さな可能性と向き合うため頑張って生きております。

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