子供のように澄んだ目をした人がいる。
僕は心がもう歪んでいて、どうしようもなく狂ってしまった。
それを経験的に直しているだけで、油断すると素が出る。
そんな自分が心が洗われるような気持になるのが、澄んだ目をした人と一緒にいることだ。
そういう人はちょっと嫌がることが多いのだけれど、つまりは住む水の色が違うから、あちら様は違和感を感じることが多々あるのだろうけれど、それでも僕は年単位でもよいから定期的に会いたいなと思っている人がいる。
まるで世の中の悪いことなんて知らないんじゃないかって思うほど素直な魂を持っている人たちだ。
実際は酸いも甘いも知る人だからこそだとはわかっていても、相対している時はいつも素敵な人だ。
例えば、面白いことがあって、突然メッセージで自作の小説を送ってきた人がいて、その他には何もない。
小説を読んで欲しいのか、でも何をして欲しいのかわからないから、ひとまず、こうやったら面白くなりますよと、全力の手直しをして文面をまるまる渡した。
自分が小説の才能がないと言いたいのか、でもそれはやりようで、ネタがあれば面白くなりますよと反抗したつもりだった。
絵も面白いし絵本書きませんかって言ったら僕が芥川賞取ったらなんて言うものだから、もうその人に絵本を書かせるために芥川賞欲しいくらいになった。
動物を一生懸命診ている先生がいる。
言葉を持たない動物の気持ちに毎日寄り添っているせいなのか、美しいぐらい真っ直ぐな、まるでイチローがホームベースへのレーザービームを投げるくらい気持ちのいい瞳をしている先生がいる。
僕はこの人の目を見ているだけで学ぶものが凄く多い。こういう人はあまりいなかった。
後は会ったことがないけれど、きっとこの人の瞳は僕の学ぶべきものが多いのだろうなと思える人がいる。
プロではないのだろうけれど、写真を撮っていて、精力的に挑戦を重ねている。
写真を見ていると感覚的に実験的に自分の感覚を試している様子が見て取れる。
「旅の途中」
だけれど道に迷っているわけではない。
今度手術をなさるようだが、生き残っていたら僕はこの方とお話をしに南の端と言えるようなところまで行くつもりだ。
「人の世の理を知りながらも、自然体で抗う人」
それは本人は意識していなくとも、その精神がなければ挑戦なんてしないはずだし、自分が本当に上手くできる領域を狭い範囲で守り続けるはずだ。
貴方たちが嫌っていても、物凄く大好きな人たちで、僕はこういう純粋で真っ直ぐな魂の人たちと言葉を少しでも交わしたいなと思っているわけでありまして、それには僕が頑張らなければ会えないわけなのであります。
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