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あさかぜさんは見た

日記

04/11

Mon

2011

父親が大腸ガンだと判明した。
結構大きいらしく転移さえしていなければ大丈夫とのことだが少なからず家族はショックを受けた。
大きな病気をしていなかっただけに本人も張り裂けんばかりの悲しみに包まれているのがよくわかった。
ガンだと宣告を受けた日、父親は病院から一人で歩いて帰ってきたが、家の前で合った時空が潤んでいただろうことは目を見てわかった。
すっかり意気消沈する父親のために、一人で朝早く出て、後で考えればぜんぜんお門違いの神社にまでお参り行って(菅原道真とか学問の神様だから関係ないもんね。病気に)北海道神宮で病気平癒のお守りをわざわざ7時くらいに社務所に押しかけて売ってもらった。
ただのお守りかもしれないけれど、病気を治そうとする意気込みを持つのと持たないのとでは治りがまったく違う。
その意味ではお守りを持っていると自覚し、毎日見ることで、ひとつの目標意識が持てると思った。
千円以上の効果は期待できる。
普段父親とは会話らしい会話もしないから何も言わずに目の前ですっとお守りの箱の入った小さな白い袋を渡した。
一瞬なんだかわからなかったみたいだけれど、それが何かわかるとめったに泣くこともない父親が目の前でぐっと泣いていた。
心中察するに余りある。

実は父方の祖母は私が生まれる前にガンで死んでいる。
今回父親もガンになったということは、遺伝子的に受け継いでいる可能性が非常に高くなってきた。
私もいずれなるのかもしれないなと思っている。
先日母親と会話している時、何かの拍子に父親の若い頃の写真を出してきた。
ちょうど父が私と似たような年のころだろう。
気持ち悪いほど似ていて「うわあ」と静かに叫んでしまった。
ある意味生き写しのような感じだ。

その時、「あっ」と気がついたことがある。
今被災している人たちが、想い出の品を探すという気持ちだ。
想い出には常に「喪失」が付きまとう。
二度と戻らないものを思い返し探す。
自分たちが生きてきた歴史や証拠を改めて心に刻んでいき、魂の立脚点とするためにも、想い出はとても大事なものなのだ。
都会のスピードの中にいると見失いがちなものだ。
あの写真を目の前にした感触が被災した時の気持ちとだぶることを想像すると、どう言葉にしてよいのか迷う。
あたたかみのある、抱きしめて包んでくれる大事な人と一緒にいるような感触だろうか。
今までは想い出というものを否定的に捉えていた節があったので、写真や品物は自分の場合あまり大事にしないところがあったが、母親が今の心中で写真を見る気持ちが、私たち家族を取り巻くひとつの事実が、想い出に対する価値観を変えようとしている。

父は過去を責めるタイプ。
母は過去を後悔するタイプ。
私はというと、過去を責めたり後悔することに疲れたタイプ。
20代は時間がありあまりすぎていて人の倍はそれらをやっていて、もう疲れてしまった。
だから起こったことだけ現実として捉えていこうとしているし、起こっていないことは不安も希望も同列なのだから、なるべく実行力を通して希望を持つことにした。
そのほうが楽だから。

父は模範的な社会人であろうとしたし模範的な市民であろうとしている。
だから日本人的な偏見や悪い意識も多々ある。
定年で会社を辞めて、それらは年月をかけて緩和されてはきている。
親が強い偏見を持っていて子がその下で育つと、偏見や差別意識から逃れることは難しい。
そのことは骨身にしみるほど体験したからよくわかる。
通常の状態が偏見や差別意識にまみれていたら、それが日常的慣習となる。
人の豊かさには、常にこのガンを患う可能性を伴っている。
私は父と癖も似ているし、行動も似ている。
顔も気持ち悪いほど似ている。
考え方はどうだろう。
感性は。
たまには父親も人間の可能性という未知の部分を無条件に応援してやってもバチは当たらんと思うのだけれどなあ。

意識せずとも何かを受け継いでいる。
遺伝子とは目に見えないもので、常日頃意識しないものだが、ふとした時に強烈に意識する。
それが自らの体を通した人や物だったりするから不思議なものだ。

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04/08

Fri

2011

東電じゃない政府側で原発について説明している人

西山英彦さんという方らしい。
今まで一度も気にしたことがなかったが、この人の経歴を見ると法学修士だった。
つまりコテコテの文系やんけ、ってことで少し驚いたのですが、この人は「原子力安全保安院」でもなく「審議官」というポストの人なのですね。

ということは、この方は「公務員」として忠実に職務を行っているに過ぎないのですね。
専門家としての本音など一言も出てこないし、政府や東電側から伝えられた内容を一言一句間違いなく伝えるのが、この方の仕事。
この人が間違いを言っていたとしても責められるような立場には一切ないわけだ。

じゃあ原子力保安院の上の人や東電側の社長はどこにいったの?
原子力安全保安院は経済産業省の機関なのだから、事実上の支配関係は象徴の官僚トップということになりますわな。

いやー、しかしテレビって凄いよね。
毎日映像とか流されると、あたかも映っている人たちに責任があって、何かがあった時映っている人たちが悪いんじゃないかとか思っちゃうものね。
でも実際には映っている人たちなんて、ただの「捨て駒」に近い人たちだったり「都合よく利用されるべき立場の人」だったりもするわけだから、言い方は悪いけれど黒幕には国民感情的に責任追及がいかないように何重にもフィルタリングされているわけだ。

「隠された被爆労働〜日本の原発労働者」
1995年イギリス







この番組を見ると、すっと入ってくる部分がいくつかあって、少なくとも20年近く日本の中枢部の体質というのは一切変化することなく動いてきたのだなと漠然と察知することができる。
「腐っている」のではなく「何一つ変化などしていない」というのが厳密な表現になるだろう。
当然内部浄化もされないまま、ここまできたわけだ。

毎日のWEBでは東電が福島市町村9箇所に金額は公表していないが1億8千万ほどの見舞金を支払ったとされ、浪江町は2千万受け取り拒否(謝罪もなしに金だけとはどういうことか)ということらしい。
放射能被害は因果関係を証明できないだけに裁判も非常に苦しい。
札束口の中に詰め込んで黙らす手段が通じないと今度は裁判で落とす。
エネルギー政策は国家事業だからね。

蛇足だけど、日本の原発技術はエネルギー政策とは言うものの「隠れた核武装」を世界に知らしめるための技術だったのだということもわかった。
まあ、濃縮ができるのだから、普通に考えればそうだよね。
国民感情としてはもう原発ひとつで世界の信用を失っているのだから、これ以上は原発は受け入れられないけれど、日本は外交上のひとつの強力なカードとして「核技術放棄」は絶対に選択できないと思うんだけどな。

「思惑」は絶対国民には知らされないのだよね。
いつだって。
その「思惑」にいつまでも気がつかないで抵抗しない国民性っていうのもどうなんだろうと思うけれど。

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04/05

Tue

2011

東電?政府?原発対応

雑記。

正直なんだかよくわからなくなってきた。
ちょっとずつ放射線などの基準を変えていっているみたいだし、この一ヶ月の間でも細かな基準値の修正や、情報を制限しているのが良くわかる。

ところで、海流を調べてもすぐわかるけれど、福島からダダ漏れさせた放射性物質を含んだ水はカナダ、アメリカ、メキシコにまで行く。
最近ヨウ素ばかりの発表だけれど、セシウムはどこにいったの?原子炉でできるセシウム137の半減期は30年とちょっと、ということらしいしプルトニウム239に限っては2万4千年。
放射性ヨウ素だけが出て、セシウムは出ないのかな?本当に良くわからない。

少なくともいくら隠したとしてもカナダやアメリカでセシウム137が検出されれば世界的な国際問題になるし、日本は世界各国から莫大な保証金を請求される可能性もあるのでは?
特にセシウムが放出するγ(ガンマ)線は物質透過力が高く内部被曝すると大変危険だとブルーバックスの本に書いてあった。
さすがのアメリカもこれは怒るよ。

気になるのは誰が海に流していいかってことを決断したか。
内閣が東電と共同で対策室を作ったのではなかったのかな?だとすると菅直人首相が最終決断したのかな?
東電はいまだに福島の人たちに謝罪もせずに賠償金を払おうとして福島の人たちの感情を逆なでしているし、政府の対応も大雑把過ぎて海外からの不信感を買っている。

資金力のある企業は風評被害のコストを軽減するために壊れた工場を海外に移すだろうし、放射性物質のせいで数年以上は海外からの不信感をぬぐうことはできない。
ブランド力が落ちるということは、値段の競争力も落ちる。
今までのやり方なんて一切通用しなくなる。

怒りをもつ前に気持ち悪くなって吐き気がしてくるほど。
明らかに東電の災害対応が悪いのに、どうして公的資金投入の可能性まで示唆させなきゃいけないのだろう。
福島の人は日本国にこれから絶対税金払わなくなるよ。
それだけ聞くだけでもはらわたが煮えくりかえってくるのは他人である私でもよくわかる。

ただひとつだけわかるのは、今の日本の政府や東電の状態は地震によって暴き出された真実の姿なのだってことだけ。
毎日落ち着かないよ、本当に。


P.S.
よい生地を見つけました。
英語圏の総合科学誌「ネイチャー」の福島原発事故Q&Aの日本語訳

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04/01

Fri

2011

精神の調子が良い時、素直にいろんなものが入ってくる。
悪いものも良いものも分別されず素直に入ってくるので、頭の中がぼんやりした状態で、互いにぶつかりもせず干渉しあう。
これは個人的な感覚だから説明するのは難しい。

この記事はメモ書きとして使おうと思う。
箇条書きに近いものもあるので人に読ませるものでもなのだが。

妙なイメージが見える。
最初は躍起になって動いて人を励ましていた人が、やがて関心が薄れ忘れたようになって行く姿。

人の考えは確証的なものが得られないだけに、何もかもが正しい。
ただし、決定していないどの考えにも反論は加えられるので、どれも間違っている。
つまり未来へ実証的に動いていくか、それともデータによる法則性を提示するか、になる。

希望は「バタフライエフェクト」で、つまり「蝶の羽ばたきが、地球のあちら側の台風を起こす」という理論に基づくが、その反対も言える。
たいがい「覚悟のない希望」を唱える人間ほど非常時に逃げ出すものだ。

「私は自分を貶めても平気だし、自分の底を知っているからいくらでも這い上がれるまでの期間を予測できる。でもあなたは違うみたい。必死につくろって今たっている位置を保とうとしている。あなたと私の間にはそれだけの決定的な佐がある。今のあなたには私を見抜くことができない」

世の中には自分のことを相手に出す時に歪んだ形でしか出せない人がいる。
俺もそうだよ。
思い返せば、家庭内に会話というものがあふれていたら、俺はわざわざ自分の気持ちを文字にするまでもなかった。
人一倍認められたいとか、認められないゆえの歪んだ他人への恨みとか、典型的な日本人の閉鎖的な発想が、強烈なアレルギー反応として体に染み付いている。

たいてい人は自分自身への矛盾や盲点が、そのまま他人への盲点になる。
自分のことを知らない人間は他人に自分を押し付ける。
なぜか。
それは自分の中の矛盾や盲点から起こる強烈なフラストレーションを他人で実証したいという欲求があるから。
矛盾の解消を実証によって補おうとする。常に。
自覚しているならまだかわいいが、自覚していない人間は話し合うに値しない。

そう、だから自分は友達を失う。
人の矛盾なんて暴くことはない。そっとしておけば幸せに過ごせるじゃないか。
ある意味身も蓋もない考えでは、人から賛同されないのは当然のことなのだ。
もっと認めてあげればいいのに。

よく考え、よく物事を見ている人は観点が鋭い。
年は一切関係ないということがわかった。
年配でも自分を誤魔化し続けている人はいる。

希望も絶望も同時に語る。
それは現実だろ。
希望は「実践」において重要。
だが他人に説くものでもないと思う。
希望は語るものじゃなくて見せていくものだ。
そして魅せられた人が希望を実践していく。

東京というのは情報に操られる都市なんだな。
だから希望的な情報も「価値」となる。
絶望的な情報も吸収される。
だから現実と脳内仮想を両立した一種の情報都市になっている。
資本主義社会に生きていて、毎日その社会を維持させるために働いて金を回しているのに「自粛ムード」が流行るのは、どういうことだろう。
経済学を学んだことのない私でも金は血で、血が回らなくなると体そのものの組織が死んでいく、という理屈を知っているよ。
自粛したからって何の助けにもならないばかりか、逆に個人も他人も苦しめることになる。
この矛盾を解消するために他人にも「自粛」を促すことで生まれる矛盾を解消しようとする。
きっと「働く」ということも、とても個人的なところに理由があるせいだろう。
東京人などの都市人間は「公共性」を「社会を通して」ではなく「社会を構成している私個人を通して」見ている。
その典型例が巨大組織のトップに見られるような(目立つからよく見えるのだろう)、へんちょこりんなやつなんじゃないだろうか。
「私個人」で「社会」を見ているから、不安も恐怖も簡単に伝染していく。
「システム依存」が酷くて、ひとつシステムが狂うと都市機能も、中に生きている人間そのものも混乱していく。
実際脆いとは薄々わかっていても、目の当たりにするまで信じられないのは、結局自分にとって都合の良い情報を集めて暮らせる「半仮想地域」だからなのではないのか。

いや、これからの時代現実から遮断されればいつだって「半仮想地帯」に陥る可能性がある。
きっと箱の中から箱を見るのと箱の外から箱を覗き見るのでは感覚が違うだろう。

日本はこれからよりコンパクトな地域づくりをしていかないといけなくなる。
抑制ではなく「最適化」の方向へ向かっていく。
贅肉をそぎ落として筋肉をつけるにはどうすればよいのかの都市づくりをしなければ、また同じところに戻る。
そういうのは、もう東北の人たちは望まないはずだ。
西と東で日本は大きく変わるような気がする。

英語は来年から、と思っていたけれど、もうちょっと早めなければいけなくなった。
外貨を獲得する方向にシフトしないと自分も生き残れない。
日本語ももっと叩き込まないといけない。
今年はまず当初の計画を通しながらスピードを速めないと。
文学賞狙いの文章とか。

賞金が入れば現地入りもできるから。

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03/28

Mon

2011

世の中、外だけ小奇麗にしている奴が人の支持を得ていた。
でも、それももうおしまいだ。
いくら外が小奇麗でも中の歪んでいる人間はボロが出る。

心根の美しい人間は飾り立てた言葉を使わないものだ。
装飾する必要がないから。
自らの卑しさや弱さを隠すために懸命に飾り立てるのは「香水」の発想と同じだ。

人生も自分も飾り立てるものじゃない。

今はそれだけ思う。
現代社会の中で、いかに装飾されたものが利益を得られるか。
それはまるで金メッキで飾ったものが一見高価そうに見えるようなトリック。

残念ながらそれは加速されると現段階では思っている。
都会化された感覚は恐怖によってより堅固な城を作るよう本能が動く。
都会ではより装飾されていくだろう。
言葉も人も装飾して恐怖から逃れようとする。
そのためのあらゆる虚飾が用意されていく。

俺は行くよ。
もっと辛いところへ。
夢を見続ける浮ついた都会人はもういい。

俺に足りなかったのは、もっと傷つくことだった。
もっと傷ついて、もっと深い悲しみを知ることだった。
すべてのゼロ地点はプラスとマイナスの狭間に。
その狭間を見極めなければ。

自分なりの千羽鶴、折ろうか。
世界一の偽善者として。
支援金や儲けが充分あれば、そのうち現地に入るよ。
なくなるからこそ、残さなければいけないものもある。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。

気が付いたら他人からとても褒められる娘ができまして、人生が大きく変わりました。
この小さな可能性と向き合うため頑張って生きております。

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